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関戸由義の墓 in 追谷墓園 on 2018-6-24

2018年06月27日 05時28分51秒 | 神戸情報
2018年6月24日、追谷墓園に墓参りの為出かけていました。
予てより確認したかった関戸由義の墓の写真を撮ること出来ましたので紹介します。
設置場所は19区の奥にあります。区画図は後に添付


上の写真は関戸由義(よしつぐ)の墓
墓碑には「関戸由義之墓」と記載されています。


上の写真は関戸由義の墓の遠景です。
左手に上屋を伴った追想の碑があります。
風雨にさらされていないので碑文ははっきりと確認できると思います。


上の写真は追谷墓地の区画図


上の写真は関戸由義(よしつぐ)の肖像 「ゆうぎ、よしのり」とも読む幼名は良平
出典:禾舟(川嶋右次)「関戸由義氏事蹟一班」兵庫史談 第2巻第6号(1933年6月)

関戸由義(よしつぐ)の基本情報

生年月日:文政12年(1829)10月25日 出生地:越前国足羽郡下呉服町
死去年月日:明治21年(1888)8月17日 神戸市北長狭通4丁目自邸で死去
墓:死亡時は城ケ口共同墓地に埋葬 のちに追谷墓地に改葬(19区奥)
父親:薬種商第4代輪違屋(わちがいや)平兵衛
母親:越前国足羽郡亀屋町の藩医 第4代山本正伯宅に乳母奉公した女性
妻:山口フサ(天保10年(1839)4月11日生まれ)
義理の弟:山口左一郎(後に関戸左一郎)天保14年(1843)2月7日生まれ
長男:関戸慶治 慶応元年(1865)7月26日生まれ
次男:春雄 明治4年(1871)3月21日生まれ 村瀬家に養子 村瀬春雄
   大正13年(1924)4月9日没 
   高等商業(現一橋大)を中退、明治23年ベルギーに留学。明治26年帰国して
   高等商業の教授となり、損害保険論を講義した。明治28年帝国海上保険
   (現安田火災海上保険)に学識を買われ副支配人として招かれた。
   大正元年副社長となる。海上保険学の父といわれた。
   一橋大学内に銅像あり
三男:五三郎 明治8年(1875)5月7日生まれ 一時、清水家に養子(明治16-17年)
四男:陽一 明治9年(1876)12月22日生まれ


関戸由義について過去に書いたブログ:

神戸の都市デザインを描いた先駆者 関戸由義について

開業時の元町駅
開業時の名称は三宮停車場


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