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福建商業会議所の石碑 in 福建会館ビル on 2020-9-16

2020年09月27日 06時37分47秒 | 神戸情報

2020年9月16日、福建会館ビルの敷地内に建つ福建商業会議所の石碑の写真を

撮ってきましたので紹介します。

上の写真は福建商業会議所と書かれた石碑 撮影:2020-9-16

神戸華僑の歴史は1868年の神戸港開港とともに始まります。最初は長崎から移住

してきた人達であった。華僑は故郷とのつながりを大切にします。戦前から神戸

では、広東、福建、そして三江(浙江、江南、江西)の3つの地域から来た華僑が

夫々、広業公所(広東系)、福建公所(福建商業会議所)、三江公所(三江商業会)

の3団体が作られました。

広業公所は現在その役目を終え解散している。海岸通のKCCビル(華僑歴史博物館が

2階に入っている)の海側に記念碑がひっそりと残っているのみである。

福建公所(福建商業会議所)は現在も財団法人福建会館として活動しています。

主に福建の南部の閩南(びんなん)の人々が中心で戦前は台湾出身の人々も出入り

していた。三江公所(三江商業会)は昔は福建公所に隣接してあったが、現在は

三江会館といい、多聞通の神戸地方裁判所近くに移転しています。

尚、福建公所の前身である神戸八閩公所は明治3年(1870)に設立されています。

華僑を代表する団体として1909年5月、当時の駐日領事の勧告で、神戸中華商務総会

が設立されました。事務所は1893年に創建の中華会館に設置されました。

会長や理事は広江公所、福建公所、三江公所が輪番で担当。

1911年11月、神戸の華僑が当時の辛亥革命政権を支持するため、清政府と直接関連

する中華商務総会が「中華民国僑商統一連合会」に改称され、1912年3月に連合会が

解散され、商務総会の名称に戻ったが、1918年中華民国商会法により神戸中華総商会

と改名した。

戦後は華僑総会が華僑を代表する機関として総領事館や県市の窓口となっている。

現在は大陸系の神戸華僑総会(下山手通)と台湾系の留日神戸華僑総会(北野町)の

二つが活動しています。

 

上の写真は福建会館ビルの敷地内にある「福建商業会議所の石碑」の位置を示した。

福建会館ビルの所在地は神戸市中央区北長狭通5丁目1−21

 

Goo地図を添付して筆を置きます。

 


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