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奈良県立橿原考古学研究所 土曜講座 「牽牛子塚古墳外周部の調査」 on 2016-8-6

2016年08月08日 05時38分32秒 | 奈良情報
県立橿原考古学研究所付属博物館で奈良県内の発掘調査成果を紹介する速報展
「大和を掘る34」が2016年7月16日から9月4日の会期で開催されている。
主に平成28年度に発掘調査が行われた縄文時代から江戸時代までの32遺跡からの
出土遺物が展示されパネルでも紹介されています。

上記展示の中から発掘担当者が紹介する土曜講座全4回の2回目の講演会が
2016年8月6日に奈良県立橿原考古学研究所講堂で行われ聴講してきました。


上の写真は講演会のプログラムです。
今回は3つの講演の中から「牽牛子塚古墳外周部の調査」発表者は明日香村
教育委員会の長谷川 透 氏に焦点を絞り内容についてレビューしました。


上の写真は講演会で発表の長谷川 透 氏と牽牛子塚古墳及び平成22年~
23年度に新たな埋葬施設として確認された越塚御門古墳の想像図
越塚御門古墳の被葬者は天智天皇の娘の大田皇女(おうたのひめみこ)
大田皇女は天武天皇の妻になったが2人の皇女を産んだが20代の早世
した悲劇の人物で斉明天皇にとって初めての女性の孫で可愛がっていたと
想像されます。
大田皇女の妹は持統天皇。
日本書紀の天智天皇の六年の春二月に雨豊財重日足姫天皇(斉明天皇)と
間人皇后とを小市岡上陵に合葬したが、この日、皇孫、太田皇女を陵前の
墓に葬った
との記述がある。

牽牛子塚古墳の前に、越塚御門古墳が見つかったことにより、この日本書紀の
記述が裏付けられたと言えそうである。



上の写真は2010年9月10日(金)の朝刊で新聞各社が一斉に報じた
牽牛子塚古墳の想像図です。奈良県明日香村の牽牛子塚古墳が、天皇家に
特有の八角形墳で、斉明天皇陵と”確定”。
但し、宮内庁の陸墓指定では斉明天皇陵は車木ケンノウ古墳(高取町)
=小市岡上陵(おちのおかのうへのみさき)と比定

埋葬施設については、横口式石槨であり、二つの墓室がくり抜かれている
合葬墓である。
日本書紀の天智天皇の六年の春二月に「雨豊財重日足姫天皇(斉明天皇)と
間人皇后とを小市岡上陵に合葬
」したとあり、被葬者はこの2人
であると推定される。

牽牛子塚古墳の所在地:奈良県高市郡 明日香村越189他
Goo地図はこちら




上の写真は平成27年度(2015)の発掘調査のトレンチ配置図


上の写真はトレンチ1区の平面及び断面図。

1区で判明したこと
(1)古墳の土台部分(斜面の部分)の一部が4mの高さで、何層もの土を
  突き固める版築工法で造成されていることが分かった
  色の異なる砂質土を約5センチ単位で交互に突き固めており版築層の
  上は約70センチの厚さで整地されていた。墳丘裾の凝灰岩切り石の抜き取り痕跡とバラス敷も検出した。

(2)八角形墳の外周部も八角形

(3)墳丘外周部で凝灰岩切り石の抜き取り痕跡とバラス敷を検出。
   バラス敷には長さ40cmの仕切り石も検出

4区で判明したこと
 越塚御門古墳の北側に設定した4区では越塚御門古墳の墓壙(ぼこう)
 を検出

明日香村教育委員会作成の関連資料

 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳 整備基本構想 - 明日香村

 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳 整備基本計画 - 明日香村




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