2020年3月3日、大津市坂本で明智光秀の所縁の場所を訪ね歩きました。
本日はその第3回で東南寺を紹介します。
シリーズ過去の記事:
第1回 坂本城本丸跡
第2回 明智光秀像と坂本城跡公園
東南寺の基本情報
住所:大津市下阪本3丁目6−14 TEL:077-578-0001
宗派:天台宗 御本尊:釈迦如来、阿弥陀如来
創建:延暦年間(782-806)最澄が創建
Goo地図を添付しておきます。
東南寺の本堂と略縁起
上の3枚の写真は東南寺の上から本堂、山門、説明板
延暦年間に伝教大師が創立した寺で、比叡山の東南、戸津ケ浜にあったので
東南寺という。寛永15年、高島郡今津にあった一堂を当地に移したので一名を
今津堂ともいう。ここは伝教大師の法華経説法の場であったので、今も毎年8月、
比叡山延暦寺の高僧による有名な「戸津説法」が続けられている。
下阪本学区まちづくり推進協議会
東南寺は最澄(伝教大師)が延暦年間(782-806)に両親の追善供養と民衆教化
のために、人々にわかりやすく法華経を説く場所として創建したと伝わっています。
比叡山の東南にあるからその名になったといわれる。
元亀の兵火(1571)=比叡山焼き討ちで全焼し、寛永15年(1638)に今津町に
あった堂舎を移して今津堂と呼んだ。それが今の東南寺である。
明智一族の首塚
寺は坂本城の二の丸にあたり、境内の最澄像の両側には坂本城の陥落時に城を
枕に討ち死にした明智一族の首塚があります。
一応、このブログでは明智一族の首塚ということで書いていますがこの場所については
様々な言い伝えがあります。(下記のようなもの)
1)光秀が坂本城築城に際して、本家の美濃守護土岐氏から伝領した宝刀を城の主柱の
下に埋めた跡
2)光秀秘蔵の愛刀「郷義弘」(ごうのよしひろ)の脇差を落城に際して娘婿の
左馬之介秀満が埋めたところ
3)左馬之介秀満の首を埋めたもの
葉上照澄阿闍梨の記念碑
上の写真は葉上照澄阿闍梨の記念碑
「ひたすらに 謙虚に行ず ただ行づ つゆいささかの はからいもなく 南山」
上の写真は山門横に掲示の説明板
上の2枚の写真は石碑の側面と裏面に刻まれた文章
戸津説法
戸津説法(東南寺説法)は往時は30日間、明治時代以降は5日間、天台座主から
直接使命された僧侶が最澄の志を継ぎ、法華経を解り易く民衆に説法を行うもので
天台座主の登竜門としても知られています。
例年、8月21日から5日間戸津説法が行われます。
故今東光師も昭和50年(1975)8月21日から5日間説法された。その時の講話は
「毒舌・仏教入門・集英社文庫」におさめられている。
鐘楼
境内社と庫裡
宝塔・宝篋印塔
石仏
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