ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

《犠牲者にならない練習》

2015年12月20日 | こころ
只今、犠牲者にならない練習、我慢しない練習をしています。

《犠牲者にならない練習》

写真の制服姿の方は、福岡空港でお世話になったANAの斎藤さん、筱原(しのはら)さん。

飛行機から降りて、地下鉄乗り場まで車椅子で送っていただき、とても親切にしていただきました。

しのはらさんは、車椅子の方を手伝いをする練習中だそうで、
「勉強になりました。」と、返ってお礼を言ってもらいました。


空港で車椅子をお借りしたいと思い、
前の日にあらかじめ電話したけど、
空港に行くと、なかなかスムーズに借りられない。

それどころか
「搭乗口からの貸し出しになります。」

あらら、昨日の話とは、だいぶ違ってしまってる…。

『我慢して歩こうかなあ…。
(元気な時には大した距離じゃないけど、ヨチヨチ歩く身としては遠いなあ)
電話でお願いして、搭乗口までも貸してもらえるハズだったのに…』
と、思った瞬間、
ふと『私、悲しいんだ』と思った。

悲しいのを抑えて、
『もう、いいです!歩きます!』と、すねて歩き始めたら、

きっと、『なんて、可哀想なんだ、私』
と、これ見よがしに、ゆっくりと、痛そうに歩く自分を想像した。

ああ、こうして、我慢するから、
悲しい気持ちが、だんだんひねて
この我慢した気持ちが『恨み、つらみ』に変わって行って
『可哀想な犠牲者』が作りあげられるんだなあ~。

これ、交流分析で言う
『犠牲者のゲーム』
とか
『義足のゲーム(もしも、私がこんなでなかったら)』
って、呼ぶんじゃないかなあ~。

もし、一人で我慢を続けるなら『苦労性のゲーム』になるかも?!

なるほど…クレーマーって、
一見 怒っている様に見えるけど、
本当は、『悲しい』とか『怖い』のを我慢しているんだろうな。



◯義足のゲーム

こんなに可哀相な私。

責任回避や失敗の弁解の時などに自分のハンディキャップをアピールし、同情を誘います。

泣き言や言い訳の多い人がよく使うゲームです。


◯苦労性のゲーム

自分を駆り立て、無理を重ね、疲労困憊するゲームです。

仕事中毒の人に見られます。幼児の頃から要求水準が高く、何をやっても満足が得られません。

うつ病・偏頭痛・筋痛症・胃潰瘍などになりやすいので注意が必要です。



コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私を育てていただいた子ども... | トップ | 《断わる勇気》 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ブログ、楽しみにしています。 (n-sky)
2015-12-20 14:45:31
なるほど!
このように考えればいいんですね。
教えていただいて、ありがとうございます。
いつも勉強になります。

先生のブログを拝見させていただいて、癒されるような気持ちになるのはもちろんのこと、
読ませていただくだけで学ぶ機会になっていること自体、とてもありがたいことなのだと思っています。

ありがとうございます。


ところで、米倉先生、
特に最近は、ブログがすさまじい勢いで更新されていますよね。
毎日のように更新しておられますよね。
しかも、長文。

先生がいつもいろいろなことに思考を巡らせておられること、また、その文章力に感心しながら、いつも読ませていただいております。

毎回楽しみにしています。

P.S.
ANAのスチュワーデス3人の写真かと思いました(笑)

以上、とりとめのない文章でした。
返信する
Re:ブログ、楽しみにしています。 (ひまわり先生)
2015-12-20 16:51:57
n-skyさん

私の更新頻度まで、分かるほど丁寧に読んでいただき、ありがとうございます。

なるほど…ホント、いつも色々、感じて、色々考えてます。

そう言われて分かりましたが、
足が不自由なために、仕事以外は、大人しくしてるので、更新が多いのかも?

書くことが大好きなので、
書く暇が出来たのも、いいものです(^^)
返信する
Unknown (うみちゃん)
2015-12-20 23:43:38
わかります、その気持ち。私もすぐすねてしまう。かまってほしいくせに…。本当の気持ちをわかってほしいと思ってるくせに。気持ちを素直に伝える練習中です。
返信する
Re:Unknown (ひまわり先生)
2015-12-21 11:38:59
うみちゃん

気持ちを素直に伝えるには、
伝わらない時に
「私は、悲しい」って、言ってみてください。

こんな風に感情処理できると、
また諦めずに伝えるエネルギーが湧いてくるのではないかと思います。
返信する
たったそれだけの事ではなかった (drop)
2015-12-21 11:42:15
当時、恒例だというその与えられた仕事は勤務中の空き時間では到底やりきれる量ではなく、仕方なく持ち帰って休日返上で確か2カ月くらいかかるものでした。頑張り屋さんと言われることもあった私は、やってやるぞという気持ちと完了した時の楽しみを想像しながら、取り組みました。終わったら思いっきりその気分を楽しもうと思っていました。時には晴れた休日なのに どこにも行けないと決めて、朝から晩まで。やり始めて、どうも量が多いと、上司になぜ、多くのスタッフがいるのにも関わらず数人だけでやらなければならないのか、そして、表向きは、仕事とプライベートのonとoffはちゃんとしているという発言も気にかかり、この仕事が恒例だからという理由だけで、
話しを聴いて審議するなどの様子もありませんでした。私は、やり方がおかしいのではと言いました。その仕事が終わらないうちに、次の仕事が舞い込んできました。とても、腹が立ちました。そして、悲しかった。自分の感情に気づきながら でも、家族の理解などがあり、やりきりました。でも 得られたのは自分に対しての達成感よりも職場への不信感の方が上回りました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。