ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

可哀想→恥ずかしい

2019年12月17日 | カウンセリング
夫や妻、親、兄弟、親類、友だちなどが人に迷惑かけている場合、

私たちは、そんな状況で
つい「可哀想」

と、同情心を持ちます。

そして、自分が何とかできないかと考えます。

ところが、他人を変えることができないために
自分が期待したように相手が変わることは、ありません。

相手が変わるとしたら
それは相手が自分で変わろうと思った時だけです。

自分が何とかできないかと考えます。

ところが、他人を変えることができないために、
自分が期待したように相手が変わる事はあまりありません。

相手が変わるとしたら
それは相手が自分で変わろうと思った時だけです。

なので、「可哀想」と思うと、どこか自分を責めてしまうので
「恥ずかしい」と思うようにするとどうでしょうか。

相手は変えられない。

だから、自分を責めないために、「可哀想」を手放す。



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