祖父のお葬式は狭い自宅で執り行われました。
まだ小さかった私ははしゃいでいました。従姉のお姉さんが手持ち無沙汰だったせいか遊んでくれたからです。でもこのお姉さんが私と遊んでくれた記憶は後にも先にもこの時だけでした。私は保育園に入る前でした。
経済的な理由だったのか私は一年保育でした。地元の公立の保育園に入園しました。あまり覚えていませんが園に入って初めて同年の子供達と関わりを持ったと思います。一年保育で早生まれの私は喋れないし、無理やり異世界に連れ込まれたといった感じで頭の中が真っ白で抜け殻状態でした。当時から離人の感覚がありました。自分の回りにバリアーがある感じです。回りの子供たちを遠巻きに見ながら、他の園児と自分との違いを冷静に観察していました。みんなは私よりあんなに元気がいいのは何故だろう…。とか私は左利きなのに他のみんなは全員右利きだ…、とか回りの園児達との違いに凄く敏感だった記憶があります。
最初、私は転校生扱いでした。でも、うまく溶け込めなくてフワフワ漂いながらそこに居るといった感じでした…誰かに指示されないとどうしていいのか判らないという感じ…存在感の薄い子供でした。しかし自分で言うのはなんですが内面は非常に感受性が強い子供でした。ただ自分から働きかけを一切しないし言葉もほとんど無いので、回りの人間は誰も気を使ってくれない。むしろ嫌われる、という悪循環で益々手に余る子供、扱いに困る子供として排斥
の対象になってしまったのだと思います。でも一番辛く、悲しい思いをしているのは当の本人です。自分でもどうしたらいいのか判らない。どうしたらみんなと同じに出来るのか、自分でも焦りを覚えました。私は左利きだからかな…?とか思ったりして、左利きを隠して、無理に右手で描いてみたり、はさみを使ったり…作業時間は倍以上かかるし切った断面はギザギザにしか切れなくて悲しくて泣いたりしました。でも理由を自分で表現できませんから保母さんからは変な子だと呆られていました。結局…たぶん3分の1ぐらいは登園しなかったと思います。でも、まだこの頃はあまり母に咎められたりはしませんでした。
まだ小さかった私ははしゃいでいました。従姉のお姉さんが手持ち無沙汰だったせいか遊んでくれたからです。でもこのお姉さんが私と遊んでくれた記憶は後にも先にもこの時だけでした。私は保育園に入る前でした。
経済的な理由だったのか私は一年保育でした。地元の公立の保育園に入園しました。あまり覚えていませんが園に入って初めて同年の子供達と関わりを持ったと思います。一年保育で早生まれの私は喋れないし、無理やり異世界に連れ込まれたといった感じで頭の中が真っ白で抜け殻状態でした。当時から離人の感覚がありました。自分の回りにバリアーがある感じです。回りの子供たちを遠巻きに見ながら、他の園児と自分との違いを冷静に観察していました。みんなは私よりあんなに元気がいいのは何故だろう…。とか私は左利きなのに他のみんなは全員右利きだ…、とか回りの園児達との違いに凄く敏感だった記憶があります。
最初、私は転校生扱いでした。でも、うまく溶け込めなくてフワフワ漂いながらそこに居るといった感じでした…誰かに指示されないとどうしていいのか判らないという感じ…存在感の薄い子供でした。しかし自分で言うのはなんですが内面は非常に感受性が強い子供でした。ただ自分から働きかけを一切しないし言葉もほとんど無いので、回りの人間は誰も気を使ってくれない。むしろ嫌われる、という悪循環で益々手に余る子供、扱いに困る子供として排斥
の対象になってしまったのだと思います。でも一番辛く、悲しい思いをしているのは当の本人です。自分でもどうしたらいいのか判らない。どうしたらみんなと同じに出来るのか、自分でも焦りを覚えました。私は左利きだからかな…?とか思ったりして、左利きを隠して、無理に右手で描いてみたり、はさみを使ったり…作業時間は倍以上かかるし切った断面はギザギザにしか切れなくて悲しくて泣いたりしました。でも理由を自分で表現できませんから保母さんからは変な子だと呆られていました。結局…たぶん3分の1ぐらいは登園しなかったと思います。でも、まだこの頃はあまり母に咎められたりはしませんでした。