愛をさがす毎日

ADHD・アスペルガー・離人症・うつ病な私の自己満足ブログ

保育園時代

2006-11-27 21:38:04 | 人生
祖父のお葬式は狭い自宅で執り行われました。
 まだ小さかった私ははしゃいでいました。従姉のお姉さんが手持ち無沙汰だったせいか遊んでくれたからです。でもこのお姉さんが私と遊んでくれた記憶は後にも先にもこの時だけでした。私は保育園に入る前でした。

経済的な理由だったのか私は一年保育でした。地元の公立の保育園に入園しました。あまり覚えていませんが園に入って初めて同年の子供達と関わりを持ったと思います。一年保育で早生まれの私は喋れないし、無理やり異世界に連れ込まれたといった感じで頭の中が真っ白で抜け殻状態でした。当時から離人の感覚がありました。自分の回りにバリアーがある感じです。回りの子供たちを遠巻きに見ながら、他の園児と自分との違いを冷静に観察していました。みんなは私よりあんなに元気がいいのは何故だろう…。とか私は左利きなのに他のみんなは全員右利きだ…、とか回りの園児達との違いに凄く敏感だった記憶があります。
 最初、私は転校生扱いでした。でも、うまく溶け込めなくてフワフワ漂いながらそこに居るといった感じでした…誰かに指示されないとどうしていいのか判らないという感じ…存在感の薄い子供でした。しかし自分で言うのはなんですが内面は非常に感受性が強い子供でした。ただ自分から働きかけを一切しないし言葉もほとんど無いので、回りの人間は誰も気を使ってくれない。むしろ嫌われる、という悪循環で益々手に余る子供、扱いに困る子供として排斥
の対象になってしまったのだと思います。でも一番辛く、悲しい思いをしているのは当の本人です。自分でもどうしたらいいのか判らない。どうしたらみんなと同じに出来るのか、自分でも焦りを覚えました。私は左利きだからかな…?とか思ったりして、左利きを隠して、無理に右手で描いてみたり、はさみを使ったり…作業時間は倍以上かかるし切った断面はギザギザにしか切れなくて悲しくて泣いたりしました。でも理由を自分で表現できませんから保母さんからは変な子だと呆られていました。結局…たぶん3分の1ぐらいは登園しなかったと思います。でも、まだこの頃はあまり母に咎められたりはしませんでした。
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私の育った家

2006-11-27 21:10:49 | 人生
私の育った家は、今では懐かしい借家の長屋でした。
うちの左隣りのおうちはお座敷犬(コリーの雑種)を飼ってた初老の後家さんが1人で住んでました。
 右隣りは何故か駄菓子屋さんでした。あまり記憶が定かではないのですが、そのまた右隣りが確か養鶏所かなんかで、そこが大家さんだったと思います。
 敷地が広くてうちの裏側、両隣りも全面そこの養鶏所のおうちでした。そこの庭からはみ出た木の枝から毎年秋にはどんぐりが落ちてきて私は喜んでよく拾ったものです。
 うちのお向かいの家は在日韓国(もしくは朝鮮…?)の方の家族が住んで見えました。そこの奥さんはいつも怒っているような話し方をするので、なんだか私は怖くて近寄った事がありませんでした。うちより小さな子供がいました。
 その、いつも荒っぽい粗野なオバさんが、そのおうちでお葬式があった時、真っ白なチマチョゴリをいつもとは考えられないくらい、しおらしく着ていたのを見てびっくりした記憶があります。
 その在日の一家の左隣りは、いつもお世話になってた薬屋さんで、そこは文房具とかも扱っていて、絵を描くのが好きだった私はいつも「藁半紙10枚ください…」って三日おきぐらいに買いに行ってました。
そこのオジさんもオバさんも優しい人で、娘さんと息子さんは私立の高校に通っていました。
 在日の一家の右隣りはアパートでした。
私のうちは一家7人(祖父母と両親と兄2人)で狭い長屋で暮らしていました。
 祖父は大工でした。それを継いで父も大工になったらしいのですが…祖父も今から思うと不思議な人でした。お酒が好きな人でした。おとなしい人で私の記憶では祖母にいつも怒られていました。でも私が5歳くらいの時、雨が降る日にどこかでお酒を飲みつけて銭湯に行ったらしく、銭湯の湯船の中で脳卒中を起こして亡くなりました。
 祖父が湯船で死んだお陰でそこの銭湯は夕方、店仕舞いをするハメになったそうです。
 祖母が青ざめた様子で出掛ける支度をしていたのをぼんやり覚えています。

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親子で悩む

2006-11-27 13:27:47 | 家族
 ラジオのニッポン放送でやってる「人生相談」が好きで、たまに聞くのですが、 
 今日は加藤諦三先生と大原敬子先生のゴールデンコンビでした。
 またまた…容赦の無い大原節が炸裂してました…。
 効く~効く~まさに効く…大原先生のカウンセリングの奥義が魂に響き渡る。
 (…って私だけでしょうか?)
 
 今日は、中2の娘の不登校で悩む父親からの相談でした。
 大原先生いわく、子供の不登校の多くの原因は、「子供」じゃなくその「親」にそもそも問題があるそうです。私自身とっても腑に落ちます。
 親が自分のだらしなさを摩り替えて、子供に責任転嫁をしてるだけのことです。
 親子双方でカウンセリングを受けた方がいいと思います。

 自分の事を棚に上げていては いけませんよね…、
 
 うちの次男も…実は「私のために不登校をしてくれている」
 って言った方がいいのかも知れません…。
 
 「このうちって何か変だね~改善した方がいいよね~」って次男の無言の叫びが不登校という形で現れているにすぎないんです。

 解ってはいながら…もつれにもつれ、こんがらがった現実を私一人で直すことが出来なくて、結局…次男も巻き込んでしまったというのが実情です。
 
 大人は自分が子供だった頃の記憶を封印しながら生きています。だけど時々、自分の子供時代の寂しい記憶がよみがえり どうしようもなくなる瞬間があります。
 そんな辛さから逃れるため、時に自分を傷つける変わりに 自分の子供を傷つけてしまうことがあります。
 
 自分が自分らしく生きる…そんなことさえ難しいのが現実ではないでしょうか…?
 
 
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人志松本すべらない話

2006-11-27 10:22:45 | テレビ番組
 私自身、テレビはあまり見ないのですが、次男がテレビ好きで その付き合いで、いつも次男の好きなテレビ番組は見させられてます。
 そんな中、昨夜見た「人志松本のすべらない話」は面白かった!
 
 お笑い番組とか、バラエティー番組もちょくちょく見てますが、なんかキワモノっぽく後味が悪いものが多い中、「すべらない話」は地味でラジオ番組っぽさはあるものの、逆にシンプルな中にセンスが光っていて、大人のお笑い番組として成功してると思います。
 何しろゴールデンタイムのお笑い番組は インパクト狙いに走りすぎてて、ハッキリ言ってクド過ぎる。見終わった後、疲労感さえ残る。
 …やっぱり松本人志に才能を感じる。

 昨夜 見た中で特に印象に残った話は、松本人志の「おかんの話」でした。
 子供達が皆 成人してしまい、いわば「空の巣症候群」の状態に陥りかけていたようで…
 もう一人子供が欲しい…と言い出し、ある日その「おかん」が、本物の赤ちゃんサイズの人形を買ってきて、
 「今日からこの子が新しい子供や~名前も付けてんねん~
 『あきら』いうねん。なあ~『あきら~』」と、いとおしそうに人形に話しかけるようになり、数日続いた…という話でした。
 
 わかるわかる~その話わかり過ぎるくらいに解ります…。
 現に私の母親がそうだし、明らかに私も予備軍です。
 でもこれは、母性の強さの現れでもあります。
 
 育児ってノイローゼにすらなるものの、子離れの際にも、こんなに精神的に不安定になるものなんですね…。ある種「喪失感」です。
 だけど松本の「おかん」は大丈夫だったことでしょう。
 明るく笑って乗り越えられます。
 何しろ女ってギャ-ギャ-騒ぐ割に 強いですからね。

 
 
 
  

 
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