季節の「うえの」

上野周辺の四季折々の見所や、地元民ならではの楽しい情報を中心に、日本茶に関する話や明日から使える?発見をお届け致します。

八ヶ所めぐり~第五番札~

2006-04-05 18:12:39 | Weblog
5番目は言わずとしれた「東叡山寛永寺」です。



寛永寺は、上野公園より少し離れた場所にひっそりとたたずんでいます。
元々は、徳川家の祈祷寺として2代将軍秀忠の時代に着工し、3代将軍家光の時代、寛永2年(1625年)に一応の完成を見ました。
この事業を成し遂げたのは、家康・秀忠・家光ら、3世代の将軍より信望が厚かった天台宗の<天界僧正>です。
3代目からは、門主に皇族をむかえ、幕府の後押しもあり、黄金期には30余の堂塔伽藍と36の子院を持ちました。中でも、現在の公園大噴水の所にあった
「根本中堂」は東都随一の建物と言われ、奈良の大仏殿と並び、東西の2大建築と言われたそうです。慶応4年(1868年)の彰義隊の戦いで殆どの建物が焼失するまでは、今の上野公園全部とその周辺は寛永寺の境内でした。
現在の寛永寺は、子院の大慈院があったところで、本堂は天界僧正のゆかりの地、
川越・喜多院の本地堂を明治12年に移築したものです。
伝教大師(最澄)作と伝えられる薬師如来像がご本尊です。



歴史に「もしも!」はありませんが、もしも寛永寺が残っていたら、
今頃は、法隆寺のようだったかも知れませんね。

また、大噴水の先、東京国立博物館の敷地は、江戸時代は寛永寺の本坊が
あった所です。庭園は桜の季節と、紅葉の季節、それぞれ1ヶ月程度公開されます。

そして、寛永寺の裏には将軍の霊廟があります。
谷中の霊園の方角、以前ご紹介した「イアンムラショウゾウ」の前を通って、
歩いていけば、15代徳川慶喜公のお墓がありますが、
逆の裏側の霊園には4代将軍と5代将軍の霊廟があります。
徳川の菩提寺は浄土宗である、芝・増上寺ですが、家康の葬儀を天台宗である
天界僧正が取り仕切ったことから、祈祷寺である寛永寺が菩提寺もかねるようになりました。歴代15代将軍のうち、家康・家光は日光に、上野寛永寺と芝・増上寺には、6名ずつ埋葬されています。
最初は将軍ごとに唐門や本殿など備えた霊廟を建てていましたが、8代将軍からは倹約のために既にある霊廟に一緒にまつられるようになりました。
寛永寺を出ると、「生類憐れみの令」で有名な5代将軍綱吉(常憲院)
しばらく歩くと4代将軍家綱の霊廟の勅額門が見ることが出来ます。
(両方とも重要文化財)

家綱公勅額門



綱吉公勅額門



勅額門の彫り絵


中は残念ながら非公開です。
が、外からうかがい見ても、大変なものです。
霊廟自体が4,5メートルくらいの石垣で覆われて、それも結構な
敷地面積です。やはり、徳川全盛期の将軍の墓となるとそれはそれは
すごいとしか言いようがありません。

国立博物館のちょうど裏あたりには、「文化財研究所」もあります。
最近出来た立派な建物です。


この文化財研究所の前の通りは、
国際こども図書館もあります。入場無料で、洋館の気分を味わえる
とてもステキな所です。



ライトアップされた雰囲気もまた格別!






さくらの見頃は少し過ぎましたが、散った桜もきれいな絨毯で迎えてくれます。
この時期の寛永寺周辺も、静かな雰囲気と力強い若緑がとても心地よく感じられます。

つづく・・・

次は「両大師」です。勅額門より徒歩8分ほどです
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