じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

今日は全力疾走の日。

2005-07-22 07:37:34 | じいたんばあたん
じいたんの、声がおかしい。
気管支炎を起こしているんじゃないかと思う。
ばあたんの、アルツハイマーの症状の進行も
最近、坂を転げ落ちるようだ。

幸い主治医はもともとの専門が神経内科で、かつ内科の開業医である。
私も、少し診察してもらいたいので
今日は、三人仲良く病院へ向かうことにする。

いつもは、病院の日は、帰り、三人で外食するんだけど、
私の怪我があるので今回は行き帰りタクシーで往復。
午後1時にはヘルパーさんが来るから、とりあえず中休みもあるし

元気に、今日一日また、楽しく過ごします。
いってきます
皆様にとっても良い一日でありますように…

今日の終わり「介助犬ばう」がくれた幸せ。

2005-07-22 01:05:54 | 介護の周辺
記事をUPし終わった午前0時過ぎ、電話が鳴った。

残業と風邪でへとへとのはずの、介助犬ばうからだった。

「ごめんね遅くに。
 あのね、たまちゃんのために是非、予約したいところがあってさ。
 メッセ立ち上げてくれない?URL送るから。」

…なんだろう?

「二人で、行こうよ。」

いぶかしく思いながら、
メッセの画面に表示されたURLをクリックする。

そしたら、それは、こんなところだった


横浜音楽院 レンタルルームのご案内


さっきエントリしたばかりの記事を読んで、
熱が出てる身体で、探してくれたのだ。
ピアノを弾ける場所を。

「ばうちゃん…」

あまりに嬉しくて、言葉を失う私に、

「横浜・ピアノ・レンタルで検索してみたら、あったんだよ。
 ばうは、これくらいしか、できないばう…
 でも、たまが、ちょっとでも喜んでくれたら、うれしいばう」

嬉しすぎて言葉がでない。

「いやかばう?」

介助犬ばうが、訊ねる。

「いやじゃないよ。いやなわけない。うれしいよ。
 すっごくうれしいよ。ありがとう」

ばうばうの体調が悪いので、すぐに電話は切り上げた。


そして改めて画面に向かう。
そんなに費用は高くない。
実は祖父母宅のマンションにはピアノがあるけれど、
人目につきすぎて、弾かせていただくなんてとんでもないから…
いつも、ガラス越しに、恨めしい思いで眺めていたのだ。

だから、週に一回でも、弾けるかもしれない。
それが、とても、泣けるほど、うれしい。

(筋肉が失われているので、完全に弾けない曲も多いけれど、
 それはまた、考えたらいい。
 何かいいトレーニングのしかた、ないかな)

そして何より、ばうばうの、好意も。



…でも、私は、こんなふうに抱きしめられてもいいのか、
良く、わからない。
こんな誠実な人から、こんな極上の好意を頂いてもいいのか、
わからない。

本当にもらっていいの?
すごく贅沢な「こころの贈り物」、本当にもらっていいの?

まだ、男の人に心を抱きしめられるのが怖い私だけど、
お薬が手放せない私だけど、
最近、少しだけ、大丈夫かなって思えるようになってきている。
ばうばうのおかげ。

気長に気長に、そばにいてくれるばうばう。
ありがとう。
もう少しだけ、お願い、待っていて。

ばうのおかげで私はやっと、明るいところへ出られるかもしれない…

ブログの記事さえ書けなくなったときに。(2)

2005-07-21 22:51:47 | 介護の周辺
※(1)からの続きです…※

/////////////////////

従妹の結婚式のとき撮った、家族の集合写真が、頭に浮かんだ。
中央で微笑むあの人を思い出した。

…そうだ。伯母だ。彼女に相談したい。


彼女と私は血が繋がっていない。
「血」というものがもたらす混乱から、自由な関係だ。

今、私は「血と骨」の問題を抱えている。
だから彼女がいい。彼女でなければならない。

「あなたと私は、他人なのよ」と
あえて、言ってくれた彼女の、良心と誠実さを思い出す。


脳梗塞後遺症を抱えながらも、リハビリを兼ねて仕事を持つ彼女に、
できれば心配はかけたくない。でも。
でも、もしも仕事が休みだったら。

ああ神さま。たすけてもらっても、いいですか?

…恐る恐る、伯父の自宅にダイヤルする。
出て欲しい、けど出て欲しくない、でも出て欲しい。


4回の呼び出し音のあと、「…もしもし」

ああ、伯母の声だ。
神経の緊張が、ぷつっと切れた。
震える声も取り繕えないまま、「たまです」と告げる。

「伯母さん、ごめん。
 昨日、また軽い事故に遭ったのを報告したくて。
 …でも、私が伯母さんに、相談したいのは、別のことなの。
 怪我はたいしたことないの。

 怪我とは別の理由で、お祖父ちゃんちに行けないの。
 怖いの。介護に行くのが。

 二人のことは、本当に心配なの。介護行きたいの。
 でも、お二人の
 …とくに、おじいちゃんの、心理的依存を受け止められないの。

 (…攻撃性と優しさの両極であり、でも基本は、唯我独尊。
  妻の役割を担わされているような圧迫感に、押しつぶされそう…)

 どうしてなんだろう。どうしたらいいんだろう。」


それから少なくとも2時間以上、彼女は、私の相手をしてくれた。
急ぎの用事の手を止めて。

私が投げた言葉を、彼女は、確実に打ち返してくれる。
精一杯打ち返してくれるという、その行為と心だけが
ピアノに匹敵する力をわたしにくれる。

祖父母のこと以外のことにも、自由に話は伸びていく。

伯母の親のこと、私の両親のこと。
生い立ちや環境のちがい、個人の資質のちがい、
世代のちがい、男女のちがい。
そういったことの受け入れ方、避け方。
大人の知恵。ごく健康な良心。正直さ。素朴さ。
そういったものを、投げ返してくれる。

そして、雑談は、介護の問題へ、さりげなくフィードバックされる。

「たまちゃん。
  施設を利用する決断を、するのは
            私の夫の役目だからね。」


…涙が出た。

私が、何を苦しんでいるのか、この人は、解っていてくれたんだ。
そして、逃げないで精一杯のことを知らせてくれたんだ。
「たまちゃん、アンタに逃げ場、あるからね」って。

なんてありがたいことなんだろう。

「私の伯父の妻」である、というだけであるのに。
彼女は、難聴と出しづらい発声のハンディを抱えた身体で、
せっかくの休日、二時間以上に及ぶ長丁場を、
私のために割いてくれたのだ。
他人であるはずの彼女が。

それが無私のお志でなくて、何だというのだろう。
伯母の気持ちが、すごく、すごく、うれしかった。


伯母さん、また、あたしが傲慢だったら、叱ってね。
子供の理解しかしていないことがあったら、諭してね。

ゆっくりだけど、ちゃんと消化して、育ってみせますから…。


追伸;伯父さんへ
伯母さんにちょっと無理をさせてしまいました。
本当にごめんなさい。
記事では伝わらない、かなり厳しい部分を、報告したつもりです。
疑問点などありましたら、お電話やメールでお知らせください。
いつもありがとうございます。

ブログの記事さえ書けなくなったときに。(1)

2005-07-21 22:48:23 | 介護の周辺
今日の昼すぎ。祖父母宅に向かおうと玄関に立った。
靴を履こうと足を伸ばしたら、
不意に、目の前に地面がないような、そんな錯覚に襲われた。


「怖い…」

つぶやく自分の声を、湧き出る嫌な汗を、どうすることもできない。
私はぺたん、と、しゃがみこんでしまった。
動けないことは、タクシーを呼べば、解決するけれど

「今日行ったら、何かが決定的に、まずいことになる」

直観。頭の中で鳴り響く警報。


仕方なくじいたんに電話を入れる。
「昨日の今日で、身体がどうしても辛い。行けるとしても夕方だわ。
 あるいは無理かもしれない。」…とりあえず、嘘ではない。

…心配させてごめん、じいたん、と心の中で詫びる。
でも、メンタルな面での葛藤をそのまま話すよりは、多分、
無難な対処だ。

よくよく考えてみれば、
夢がくれる警告さえ、消化し切れていないというのに、
現実の老夫婦を受け止められるはずがない。


////////////////////////////


電話を切った後、気分を変えようと
ブログの巡回をしてみる。好きな音楽をかけてみる。
鏡を磨く。絵を描く。

多少落ち着くが、集中力がもたない。

歌を歌ってみようとする。般若心経を読誦しようと試みる。
どちらもうまくいかない。
…発声できない。腹に力が入らない。


不意に思った。
「そうだ、ピアノ」

あたしは今、ピアノを弾きたいのだ。ピアノが必要なのだ。
あの、優しい優しい楽器は、私の体当たりをいつでも、
真摯に受け止め、必ず、何かの答えをくれる。
そこには、純化されたコミュニケーションがある。
ピアノと話したい。

でも、今、私の手元には、ピアノがない。

たまらず、指で机を叩く。
鍵盤もないところで、「月光」の第三楽章を弾く。


「…たすけて」


蚊の鳴くような声が、口からこぼれ出る。
昼間の日差しが窓から差し込んで、じりじりと背中を光でえぐる。
外では、働く人たちの車の音、子供たちの笑い声。
時間が容赦なく、過ぎていく。


そんな時、一枚の写真が、頭に浮かび上がった。

(続きます)

「SASUKE」

2005-07-20 23:19:09 | きゅうけい
今日、デイケアから帰って来るじいたんばあたんを迎えるために、
自転車で祖父母宅に向かう途中、また、不覚にも
ちいさな事故(本当にちょっとした接触だけ)に遭いました…orz

アホや私…orz
ちょっと気分転換に、コースを変えるなんて色気、出すんじゃなかった。


ばあたんの状態を考えたら、本当は、休むわけにいかないんだけど、

「何かあったら必ず電話をかける」ことを、
じいたんとお互いに約束し(いざとなればタクシーで飛んでいけば済む)
今日のところは、休むことにした。


そう。文字通り、「きゅうけい」

少ししょげ返った気分を、
すっきり入れ替えようとテレビをつけてみたら
やっていたのは

「SASUKE 2005夏」


この番組の噂は聞いたことがあったけれど、
まともに観たことは、いままで一度もなかった。
今まで、TV自体をあまり観ない生活を送ってきたからだ。

…でも、よかった。いいもの観た。


随所に溢れている遊び心と、容赦のないセットのつくり。

ああ、やってみたいと思わせる、そんなジャングル。

そして何より、挑戦者たち
…特に、第一ステージクリアしたアスリートたちの、
何て美しいこと。

祈るように目を閉じる、横顔。
一点の曇りもない、すがすがしいまなざし。
あの、眼のきれいなこと。

「何で、こんなことをしているかわからないけれど、この山をクリアしたい」
という、情熱に満ちた表情。
辛いはずなのに、とても気持ちよさそう。


そう、SASUKEをクリアしたところで、
所詮は、自己満足に過ぎない。

でも、
「トライしたいからトライする。クリアしたいから努力を重ねる」
というごくシンプルな動機で、
あれだけのハードなものに挑戦するその姿には、
他の競技にはない何かがある気がした。


そして、彼らは独りで闘いながら、独りじゃない。
ライバルであるというのをはるかに凌駕して、
共に「クリア」を目指す仲間たちの姿。

なんだか泣けてしまった。
すごく気持ちよく泣けた。
賛否両論あるこの番組だけれど、私は素直に感動したいです、今夜は。


追伸:
何か、身体を動かすこと、始めようかな。
(「運動神経ゼロだろ」という突っ込みはナシでお願い…orz
居合と、トライアスロンと、新体操、ロッククライミング
 この四つをずっと前から、やってみたいと思っています。
 無謀な夢…(笑))

安らぎのうた

2005-07-20 04:11:42 | 禁無断転載
宇宙から 大いなるところから 
そっと 眺めてみれば

わたしの生は とても ささやか


そのささやかな わたしの生は
もがいてみたり あばれてみたり
うれし涙を流してみたり
なんだか結構 いそがしい

そうして いつか
わたしは わたしの形を失い
もとの姿 分子へと還ってゆく

それは
なんて素敵なことなのでしょう

自我を超えて 宇宙の一部であるわたし
宇宙のなかで「命」という見えないものを
与えられていることを思うとき

わたしは とても 幸せな気持ちになる

全ては現象 化学反応のように美しい 現象

自分という存在が いずれ
宇宙へ溶けていくのなら

どこにいようが どんな風に生きようが
それがひたむきでありさえすれば
静かな自信が 身体の中に満ちてくるのだ


感謝を 報恩を 夜空へ

愛を 人へ

感謝と 報恩を 大地へ

私を懐く 大いなる存在の 君へ


悠久の歴史のなかの一瞬、
わたしの命がまばたきする機会をくれた
父と母へ
友へ

ありがとう ありがとう ありがとう

『アストル・ピアソラ作品集』

2005-07-19 08:42:12 | 音楽
先に、ピアソラ本人のCDをご紹介したかったのですが、
素敵なCDを見つけたので。

このCDは、どちらかというと、
すでに「ピアソラ」をご存知で、彼の音楽が好きな人向けかもしれません。
二人の演奏者が、ピアノデュオで聴かせてくれる、ピアソラです。

とはいえ、曲はおなじみ(ピアソラの定番)のものばかりなので、
とりあえず聴いておいて損はないと思います。
それから、音楽に詳しいかたには、編曲のすばらしさも魅力の一つとなると思います。

二人の演奏者が競演しながら融合して、また離れ…
そう、まるでタンゴのように音楽で踊る二人の奏者…

時に秘められ、時に姿をあらわす「何か」の、微妙なさじ加減がすばらしい。

「ピアノでのピアソラ」を聞いてみたい方には是非お薦めの一枚です。

どうぞどうぞ、お聞きになってみてください。

私自身はといえば、感情が動かなくなってしまっているようなときに、
これを聞くと、自分のチューニングが出来るような、
そんな感じがします。

アストル・ピアソラ作品集
パブロ・シーグレル, シーグレル(パブロ), アックス(エマニュエル)
ソニーミュージックエンタテインメント

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介護猫、じいたんを引っかく。

2005-07-18 02:24:36 | ブラックたまの毒吐き
※毒づきというより、愚痴です…orz。さわやかな記事が書きたい…(泣)※


老夫婦を一人で介護するということの難しさを、
最近痛感している。

今日、祖父に、大事な提案をした。

それが喧嘩の発端だった。

「頼むから聴いてよ」と腕を掴んで、じいたんから食らった
本日のメニューは、頭突きとエルボ(笑)


その、提案の内容。

ばあたんの夜間せん妄が激しくなってきているので、
夕方から明け方までを介護時間帯にしよう、といったこと。

24時間私が滞在することは不可能ではないのだが、
以前、それをしていたとき、
(きっかけは二人とも調子を崩したこと。)
祖父のTDLもQOLも、かえって下がってしまった。
(病気が治癒しても、私への依存が強くなってしまった)
その反省を踏まえての提案だった。


だが、祖父は一言言い放った。

「そんなのは、おじいさんの方からお断りするよ」

…なんで?

「お前さんに頼らなくても、おじいさんがなんとかする。
 おばあさんとは夫婦なんだから」


…はぁ?

つい3日前のことを忘れてはるんか?じいたん。
10日前にも同じことがあったのも、忘れてはるん?

ついでに言えば、アンタがばあたんにひどいことを言ったり、
無視したり、いろんなことしでかして、
ばあたんの調子がおかしくなって、
こないだの事件だって起きたんでしょうが!!!


「どうして、そんなことを言うの?
 そんな状況じゃないでしょう、解っているでしょう」


「おばあさんは、おじいさんの言うことなら、なんでも聞く」

いや、それはないから。
もうアンタに言われても、聞かなくなっちゃってるから。

…精神論では、もはやカバーできない状況になっているのは
前の記事でも書いたとおりで、
じいたんの言うことは、全く現実的ではない。

そして、じいたんの言葉にうっかり甘えると、
結局、大変な目にあうのは、ばあたんと私。


「介護者の都合を押し付けてはいけない」
とものの本には書いてあるし、私も基本的にはそれに異論はないのだけれど、

うちの場合、私が倒れたら全てが終わりになるので、
できれば妥協できる点は、じいたんにも妥協してもらわないと
介護そのものが立ち行かなくなってしまう。


そうでなくても、
じいたんの、暴挙に近いふるまいを黙認するのに、
少々うんざりしていた、最近の私。
そこへきた「心中発言」で、耐えられなくなった。


うちの彼氏と私には散々わがままや、こんな発言を言い散らかして、
なんで、自分の娘や息子からの電話には、
ええカッコするのん…

おかしな送金とかだけはちゃっかりやっておいて、
ばあたんの紙おむつを買うお金や、
たった一日のショートステイの代金、少し増やしたヘルパーの代金を
渋るの…orz

勘弁してよ。


「おばあちゃんが夜中不安になっても、
 起きられへんやん、じいたん。
 そんなとき、ばあたん、すごく不安な気持ちで一晩中震えているんよ。

 ばあたんの病気がひどくなったら、
 あなたの娘のノイローゼだって、治らないんだよ。
 じいたんだけの問題じゃないんだよ。
 ちょっとは考えてよ!!」

切れてしまった。


するとじいたん、

「おじいさんとおばあさんは夫婦だから、死ぬときは一緒だ」

と、書斎へ逃げていった。


「夫婦だから」っていう理屈も、わかるだけに
こういう時だけ、そういう切り札を出すじいたんが、心底腹立たしかった。
普段は書斎にこもって、ばあたんを放置しているくせに。
繰り返しの話に、ひとつも付き合わないくせに。



どこまでも、自分のことしか考えていない。
ばあたんに依存しているのは、じいたん、アンタの方じゃないの。
アンタと心中したいなんて、思っていないよ、ばあたんは。

もし本当にそうなら、
不安に震えて、わたしに

「たまちゃんしかわからないの。自分の名前もわからないの」
「ひとりにしないで。夜、だれもいないの」
なんて毎晩毎晩、言いやしないよ。
もしじいたんがちゃんと、自分の妻をコンテインできてたら。

・・・と喉元まででかかったのをぐっと押さえ、


「要するに、どこまでも、私にだけは平気で、無理を言うのね。
 父の倍、長生きしていても、道理が通じないんですね。」

「じいたんばあたんが二人で最後まで暮らせるように、
 毎日考えて、仕事まで探している私に、そういうこと言う?
 なんでそういう台詞が出るのか、
 ちゃんと筋が通るように説明してください。」

書斎に行って、言うだけは言った。
どうせ、こころには届かないから、無駄なんだけど…。
そう。エルボ炸裂。

そんな様子を見て、泣いてしまったばあたんに、
謝り、謝り、謝り、
彼女の気持ちが落ち着いて、眠そうになったところで
布団に入れて、帰ってきた。


「ほな、お望みどおり帰ったるから、やってみ。

 自分の娘だけは好き放題溺愛して、
 毎日汗水たらしている私には、言いたい放題いうておいて、
 挙句の果てに「心中」やて?
 そんな台詞軽々しく言うて、自分を哀れむのもいい加減にしぃ!!」

と、書斎に叫んで。



やりたいからやってきた介護。

いままで、そう思いきって、言い切って、やってきた。
でも、明日は、やりたい、と思えないかもしれない。


かわいそうなのは「じいたんとばあたん」なのだ、と解っているけれど。

この祖父にしてこの孫と、諦めてちょうだい。

現実吟味能力って、認知症とは関係ないみたい。

2005-07-18 01:59:02 | じいたんばあたん
なんだか小難しいタイトルで恐縮なのですが、
今日ふと発見したことなので、書きとめておきたいと思います。


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ばあたんは、アルツハイマーが進行してきていて、
失見当識・失行・失認がかなり顕著に現れるようになってきている。

でも、失われていないな、とつくづく感じる能力がひとつある。


それは「現実吟味能力」である。


つまり、
・自分がいま、どの程度のことが出来て、
・どの程度を他人に頼らなければ出来ないか、
その見極めだけはちゃんとついているということである。

この能力が高いおかげで、ばあたんは得をしていると思う。
そして、介護者である私も、その恩恵に浴している。


また、この能力は彼女自身に対してだけ働くのではない。

例えば、私が彼女に相談ごとを持ちかけたとき
(主に、対人関係のことなのであるが)
  ↑じいたんや親戚との間のことなので、
   他人様から受けた相談として、ぼかして話すのだけれど

彼女は、きちんと問題を把握して、
的確な答えを返してくる。

感情面での理解も示しつつ、解決策もちゃんと打ち出してくる。

はっきり言って、すごい。
「トイレの場所も便器も認知できない人」とは思えない。


/////////////////////////


対して、じいたんはというと、
いわゆる「認知の低下」は年齢相応に見られるのだが、
(私に言わせれば、立派に認知症圏…orz
  皆に、ビデオで一部始終とって見せたろかと思う…)

それより何より私が泣かされるのは、
じいたんの「現実吟味能力」が著しく落ちていることである。

まあ、はっきり言って、昔から、
あまりそういう能力は高くない(にぶい)人だった。
それにしても…最近は、ちょっと困ることも出てきている。


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先日、こんなことがあった。

私のもうひとりの祖母が、寝込んでいる。
私と電話で話すその様子は、それほど衰えていないのだが、
いつ彼岸に渡ってもおかしくない程度に、身体が衰弱している。

それで、「見舞いに行きたい」と申し出た。
ショートステイを利用してもらうつもりで。


そしたら、じいたん
「おじいさんとおばあさんも、一緒に行くよ」

私は一瞬、何もいえなかった。
いや、気持ちは嬉しいんだけど。

…長野まで行くのでも去年、ぶつぶつ言っていたのに、無理でしょ…
 (ものすごく遠いのだ)

…道中ずっと、二人のトイレ介助で疲れちゃうと見舞いにならないよ…

…母方の祖母はずっと、我慢して待ってくれている。
 だから、行ったときくらい、ふたりきりでゆっくり話したいんだけど…

…じいたんは、私の母の悪口を私に言う。私また、それに付き合うん?…


ぐるぐる考え込んでいたら、
ばあたん、すかさず

「おじいさん、少し気を遣ったほうがいいわよ」

と突っ込んでくれた(大爆笑)

だが、当然じいたんは、そんなものは意に介さず
ばあたんに

「おばあさんは何もわかっちゃいない。
 お世話になった方なんだよ。
 君はもう、何も解らないんだから、黙っていなさい」

とばあたんの自尊心をえぐるようなことを言う。

 ↑こういう面に配慮がいかないのも
  「現実吟味能力」がない証拠だと思う…orz


この後、ばあたんは、廊下でこっそり泣いていた。
そして認知が急激に低下し、激しい夜間せん妄へと突入していった。


////////////////////////


結局は、その人の本来もつ性格によるのかもしれないけど…
現実吟味能力って大事です。
基礎になっているのは、多分自分以外の人への配慮と愛情です。
俯瞰的な視点から考えることのできる能力。
認知症になっても、これさえ残っていれば、何とかなる。

私も、自分の「現実吟味能力」にあまり自信がないので、
今からでも遅くないから鍛えておかなければならないなと
深く深く、自省する今日この頃です。


追伸:
いくら「現実吟味能力」がなくても、じいたんはじいたん。
まあ、憎むことはできないんですけどね(笑)

一ヶ月前に比べても

2005-07-17 15:46:39 | じいたんばあたん
ここに、一ヶ月前に書きかけ、放っておいた記事がある。
もともとのタイトルは「認知」
ばあたんの、認知レベルについて書いたものだった。

丁度わたしが事故に遭って10日後、
介護できる時間が減ってしまっていた時期の話である。

でも、この時期よりも、さらに認知の低下が進んでしまったばあたん。
やっぱり進行を食い止めることは出来ないのだろうか。


***「認知(6/16の原稿)」**************************

じいたんは、一旦何かに熱中しはじめると、音も何も聞こえない人になる。
書斎にいようが居間にいようが、ものすごい集中力を発揮する(笑)
まだ若かった頃から、じいたんはそういう人だったし、
父もこういう人だったし、
私はもう慣れっこなのだが、

問題は、ばあたんである。

ばあたんは、アルツハイマー型認知症の中期(?)である。
現在の、ばあたんの人物認知力は
「自分を認知してもらえていないと、相手を認知することができない」
レベルなのである。
特に夕方4時くらいから寝るまでが、あやうい。

例えば

洗濯機を回してくれているじいたんの目の前で、
「たまちゃん、おじいちゃんは何処へいったの?」
とうろたえる。

じいたんのいる書斎を覗きこみながら、
「たまちゃんと私しかいないの?他の家族は?」
と、不安げに、私にたずねる。

空っぽの、じいたんのベッドの上を見て、
「たまちゃん、おじいちゃんたら昼間から寝てるわ」
…そこにじいたんは、横たわってはいないのだが。

こんなことは、日常茶飯事である。
ほんの3分前に、じいたんと話したばかりでも。


うっかりすると、外へ誰かを探しに出ようとする。

(実際、わたしがいない時間、外へ出ているときがある。
 親切な近所の人が、そっとばあたんを、玄関まで送り届けてくれるのだ)

******************************************

今は、このときと比べてさらに、進んだ。
まるで、坂を転げ落ちるように認知がどんどん壊れていくのが
毎日通っていても、分かる…。

激しく、間断なく続く、不安の訴え。
不安から出てくる、一見すると了解不能な行動の数々。

「おばあちゃん、なにも、わからないのよ」

その不安が彼女の脳を占拠してしまっているのだろうと思う。
苦しい病である。

夕べ、彼氏がばあたんに、30往復くらいして、トイレの場所を教えていた。
電気のつけ方も新しく工夫して、少しでもばあたんが迷わないように考えてくれた。
ばあたんは、彼氏の誘導が繰り返されるうち、落ち着きをとりもどした。

ただ、ひとつだけ問題がある。
彼女は今、便器を認識できない場合が出てきているのだ。

それでも、願う。
彼氏がばあたんにしてくれた、訓練の繰り返し=愛情が
ばあたんの中にうっすらと残り、
それが、真夜中の彼女を救ってくれることを。

…それでも夕方から朝まで行くというパターンに切り替えないとだめかな、
などと最近は思い始めていたり…
なかなか難しいです。