なんだか小難しいタイトルで恐縮なのですが、
今日ふと発見したことなので、書きとめておきたいと思います。
//////////////////////
ばあたんは、アルツハイマーが進行してきていて、
失見当識・失行・失認がかなり顕著に現れるようになってきている。
でも、失われていないな、とつくづく感じる能力がひとつある。
それは「現実吟味能力」である。
つまり、
・自分がいま、どの程度のことが出来て、
・どの程度を他人に頼らなければ出来ないか、
その見極めだけはちゃんとついているということである。
この能力が高いおかげで、ばあたんは得をしていると思う。
そして、介護者である私も、その恩恵に浴している。
また、この能力は彼女自身に対してだけ働くのではない。
例えば、私が彼女に相談ごとを持ちかけたとき
(主に、対人関係のことなのであるが)
↑じいたんや親戚との間のことなので、
他人様から受けた相談として、ぼかして話すのだけれど
彼女は、きちんと問題を把握して、
的確な答えを返してくる。
感情面での理解も示しつつ、解決策もちゃんと打ち出してくる。
はっきり言って、すごい。
「トイレの場所も便器も認知できない人」とは思えない。
/////////////////////////
対して、じいたんはというと、
いわゆる「認知の低下」は年齢相応に見られるのだが、
(私に言わせれば、立派に認知症圏…orz
皆に、ビデオで一部始終とって見せたろかと思う…)
それより何より私が泣かされるのは、
じいたんの「現実吟味能力」が著しく落ちていることである。
まあ、はっきり言って、昔から、
あまりそういう能力は高くない(にぶい)人だった。
それにしても…最近は、ちょっと困ることも出てきている。
//////////////////////////
先日、こんなことがあった。
私のもうひとりの祖母が、寝込んでいる。
私と電話で話すその様子は、それほど衰えていないのだが、
いつ彼岸に渡ってもおかしくない程度に、身体が衰弱している。
それで、「見舞いに行きたい」と申し出た。
ショートステイを利用してもらうつもりで。
そしたら、じいたん
「おじいさんとおばあさんも、一緒に行くよ」
私は一瞬、何もいえなかった。
いや、気持ちは嬉しいんだけど。
…長野まで行くのでも去年、ぶつぶつ言っていたのに、無理でしょ…
(ものすごく遠いのだ)
…道中ずっと、二人のトイレ介助で疲れちゃうと見舞いにならないよ…
…母方の祖母はずっと、我慢して待ってくれている。
だから、行ったときくらい、ふたりきりでゆっくり話したいんだけど…
…じいたんは、私の母の悪口を私に言う。私また、それに付き合うん?…
ぐるぐる考え込んでいたら、
ばあたん、すかさず
「おじいさん、少し気を遣ったほうがいいわよ」
と突っ込んでくれた(大爆笑)
だが、当然じいたんは、そんなものは意に介さず
ばあたんに
「おばあさんは何もわかっちゃいない。
お世話になった方なんだよ。
君はもう、何も解らないんだから、黙っていなさい」
とばあたんの自尊心をえぐるようなことを言う。
↑こういう面に配慮がいかないのも
「現実吟味能力」がない証拠だと思う…orz
この後、ばあたんは、廊下でこっそり泣いていた。
そして認知が急激に低下し、激しい夜間せん妄へと突入していった。
////////////////////////
結局は、その人の本来もつ性格によるのかもしれないけど…
現実吟味能力って大事です。
基礎になっているのは、多分自分以外の人への配慮と愛情です。
俯瞰的な視点から考えることのできる能力。
認知症になっても、これさえ残っていれば、何とかなる。
私も、自分の「現実吟味能力」にあまり自信がないので、
今からでも遅くないから鍛えておかなければならないなと
深く深く、自省する今日この頃です。
追伸:
いくら「現実吟味能力」がなくても、じいたんはじいたん。
まあ、憎むことはできないんですけどね(笑)
今日ふと発見したことなので、書きとめておきたいと思います。
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ばあたんは、アルツハイマーが進行してきていて、
失見当識・失行・失認がかなり顕著に現れるようになってきている。
でも、失われていないな、とつくづく感じる能力がひとつある。
それは「現実吟味能力」である。
つまり、
・自分がいま、どの程度のことが出来て、
・どの程度を他人に頼らなければ出来ないか、
その見極めだけはちゃんとついているということである。
この能力が高いおかげで、ばあたんは得をしていると思う。
そして、介護者である私も、その恩恵に浴している。
また、この能力は彼女自身に対してだけ働くのではない。
例えば、私が彼女に相談ごとを持ちかけたとき
(主に、対人関係のことなのであるが)
↑じいたんや親戚との間のことなので、
他人様から受けた相談として、ぼかして話すのだけれど
彼女は、きちんと問題を把握して、
的確な答えを返してくる。
感情面での理解も示しつつ、解決策もちゃんと打ち出してくる。
はっきり言って、すごい。
「トイレの場所も便器も認知できない人」とは思えない。
/////////////////////////
対して、じいたんはというと、
いわゆる「認知の低下」は年齢相応に見られるのだが、
(私に言わせれば、立派に認知症圏…orz
皆に、ビデオで一部始終とって見せたろかと思う…)
それより何より私が泣かされるのは、
じいたんの「現実吟味能力」が著しく落ちていることである。
まあ、はっきり言って、昔から、
あまりそういう能力は高くない(にぶい)人だった。
それにしても…最近は、ちょっと困ることも出てきている。
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先日、こんなことがあった。
私のもうひとりの祖母が、寝込んでいる。
私と電話で話すその様子は、それほど衰えていないのだが、
いつ彼岸に渡ってもおかしくない程度に、身体が衰弱している。
それで、「見舞いに行きたい」と申し出た。
ショートステイを利用してもらうつもりで。
そしたら、じいたん
「おじいさんとおばあさんも、一緒に行くよ」
私は一瞬、何もいえなかった。
いや、気持ちは嬉しいんだけど。
…長野まで行くのでも去年、ぶつぶつ言っていたのに、無理でしょ…
(ものすごく遠いのだ)
…道中ずっと、二人のトイレ介助で疲れちゃうと見舞いにならないよ…
…母方の祖母はずっと、我慢して待ってくれている。
だから、行ったときくらい、ふたりきりでゆっくり話したいんだけど…
…じいたんは、私の母の悪口を私に言う。私また、それに付き合うん?…
ぐるぐる考え込んでいたら、
ばあたん、すかさず
「おじいさん、少し気を遣ったほうがいいわよ」
と突っ込んでくれた(大爆笑)
だが、当然じいたんは、そんなものは意に介さず
ばあたんに
「おばあさんは何もわかっちゃいない。
お世話になった方なんだよ。
君はもう、何も解らないんだから、黙っていなさい」
とばあたんの自尊心をえぐるようなことを言う。
↑こういう面に配慮がいかないのも
「現実吟味能力」がない証拠だと思う…orz
この後、ばあたんは、廊下でこっそり泣いていた。
そして認知が急激に低下し、激しい夜間せん妄へと突入していった。
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結局は、その人の本来もつ性格によるのかもしれないけど…
現実吟味能力って大事です。
基礎になっているのは、多分自分以外の人への配慮と愛情です。
俯瞰的な視点から考えることのできる能力。
認知症になっても、これさえ残っていれば、何とかなる。
私も、自分の「現実吟味能力」にあまり自信がないので、
今からでも遅くないから鍛えておかなければならないなと
深く深く、自省する今日この頃です。
追伸:
いくら「現実吟味能力」がなくても、じいたんはじいたん。
まあ、憎むことはできないんですけどね(笑)
「自分はまだまだ」っていう意識が強いのかなぁ?
男のプライドなのか、自分を過大評価したりしますよね。
あと昔の人だとまだ男尊女卑というか、「女は黙ってろ」的な
ところもあったりして。
でもそれを「もう年寄りなんだから!」って押さえつけることも
できないんですよねぇ…。難しい。
女の人だとやはり「世話をする側」の気持ちがわかるから、
また違うのかもしれないですね。
ただ「お世話をする」といっても赤ん坊のように黙って
世話させてはくれませんからねぇorz
しかも世話自体が赤ん坊とは比べ物にならないほど
重労働だし。
明日レンタル業者が新しいベッドとエアマットもってくるんで
今大じじの部屋を大掃除してたんですが、エアコンがない
(古い家屋なのでつけられない)ので死にそうです…orz
本当、ショートだけは行って貰わないと、倒れてしまう…。
お互いまったりがんばりましょう~
うちの祖母の兄=大伯父にもその傾向、あるし…
そこは子供がおらず、70代後半の奥様がおいでなんですが、
介護保険を使うことさえ嫌がるそうです。
大伯父は長身で、奥様は小柄。
風呂場などでもし何かあったらと思うと、奥様はヘルパーを頼みたいみたいなんですが、
大伯父は「倒れたら、君が何とかできなければそのまま放って置いてくれ」と…orz
ちなみに大伯父は、祖父に比べたらうんと穏やかで、円熟した人柄なんですけど、こんなもんです…。
でも、女性でも同じくらい「現実吟味能力」がなくて介護者泣かせな人がご近所にいますし、
男性でも…うちの父なんかは(看病だったけど)こんな投げやりなことは死ぬまで一度も口にしなかったです。
だから余計に、祖父に腹が立つのでしょうね。
大じじ様のお部屋、エアコンないんですね…
「冷風扇」って聞いたことあります?
クーラーほど直接冷えないし、扇風機みたいに「風が当たる」感じがしないけど、部屋は涼しくなります。
そんなに高くなかったと思う。子供さんの身体にもやさしいので、
ショートにいらしていない日のために一台、購入を検討されてみてもいいかもしれません
例えば、こんなの↓
http://store.yahoo.co.jp/digicon/arf-688.html
私も狙っています
お互いまったりいきましょうね~
わが家のじーちゃんの場合
耳が遠くなってきてしまっているので
聞こえなくて分からないのか
本当に分からないのか、
その判別が難しい時があります。
補聴器をつけて欲しいなぁ、って思う時が多々あるのですが
本人はやっぱり不自由で煩わしくて嫌みたいです。
それと、多分「年寄り」みたいで嫌なんじゃないかと。
最近の困った事。
じーちゃんの聞こえが悪い為に声を張り上げすぎて
怒鳴っているようになってきてしまうので
注意しなくては…と思っています。
前に妹が大声張り上げてじーちゃんに話していたのですが
あとで私にぽつりと
「○○(妹)はいつも怒っていて、怖い」
…って言ってました。
そういう風に聞こえてたのねと、ガッカリ…。
高い声よりも低い声の方が聞こえ易いそうなのですが
なかなか瞬時に使い分けられません~。
家族の声もどんどん大きくなっていますよ。
じーちゃん抜きの家族同士の会話でも
気が付くと大声出していたりとか…。
一人暮らしをしている弟がたまに顔を出すと
「みんな声が大きいよ。うるさい」ですって!!
いつも記事を読んで、コメントしようと思いつつも
う~~~んと考えさせられてしまって
そのままになってしまっています。
でも、ちゃんと読んでいて、お勉強させてもらっています!
でも、うっかり聞こえるほうの耳のそばで大きな声を出すと「うるさいぞ」となってしまいます。
そこで…我が家で祖父に取っている方法を。
お役に立てばいいのですが…
◎手をとったり、肩をたたくふりなどしてふざけてみたりする。
◎「お甘を少しいかが?」と普通の声量で声をかけて、視界の範囲にそっとデザートなどを置く。
◎「お薬」「夕刊」なども上に同じ。
◎必ず目線を合わせて(これは必須)
などの方法を使って、まず、耳の遠い人の意識をこちらに向けます。
そして、改めて
◎「おじいちゃん」、と声をかける。
声はやや、小さめに。
優しい笑顔を忘れないこと。目と口両方が笑う練習をしておくといいです。
(目さえあわせていれば、おじいちゃんは口元を見て判断して、聞き取ろうと身を乗り出してくれます)
あと、耳鼻科に定期的に連れて行ってあげてください。無理なら、内科で往診可の医師でもいいので…。
耳に病気が出来ている場合や、耳垢がつまっているせいで聞こえなくなっているケースもあるそうです。
わたしもたまに、じいたんばあたんの耳垢そうじをします。それをするだけで聞こえが少しましになるらしいです(じいたん談。甘えているだけかもしれませんが…)
あとは、「年寄りの智慧」で聞こえないふりをしている場合もありますが…
少しでも参考になるといいなと思うのですけれど…
”コツの伝授”ありがとうございます。
話しかけていて、聞こえにくかった状態を思い起こしてみると
何か作業をしながら少し離れた所から声をかけている
…という状態が多かったかもしれません。
「必ず目線を合わせて」には、ちゃんとしていなかったかも!と
自分がちょっと恥ずかしい位でした。
人とのコミュニケーションにはこれって一番大事ですよね。
たまさんから教わった事、今度実家に帰った時に
さっそく実践してみますね!
そして、耳鼻科や内科の検診の事も家族に聞いてみます。
いろいろありがとうございます。
たまさんには、本当に教えてもらってばかりです。
聞こえてるけど聞こえてないふり。
これよくじーちゃんも使ってます。
「なんだ~、聞こえてたんじゃない~!」と
思わずツッコミたくなってしまいます。(苦笑)
プロに尋ねるときっと、もっといい答えが返ってくるはず…
離れていても、おじいさまのことを忘れないでいてくださる(そしてそのことを知らせてくださる)、ミンミンさんのお心に、わたしの方が励まされています。
本当にうれしいんです。力が湧いてきます。
それにしても、「お年寄りの智慧」恐るべし!です。
必殺技「聞こえないふり」
…でも、それを逆手にとって、たまにはちらり嫌味をいって逆襲してみるのもよいかも…
ああ、ブラックな奥の手。ふふ。