じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

ブログの記事さえ書けなくなったときに。(2)

2005-07-21 22:51:47 | 介護の周辺
※(1)からの続きです…※

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従妹の結婚式のとき撮った、家族の集合写真が、頭に浮かんだ。
中央で微笑むあの人を思い出した。

…そうだ。伯母だ。彼女に相談したい。


彼女と私は血が繋がっていない。
「血」というものがもたらす混乱から、自由な関係だ。

今、私は「血と骨」の問題を抱えている。
だから彼女がいい。彼女でなければならない。

「あなたと私は、他人なのよ」と
あえて、言ってくれた彼女の、良心と誠実さを思い出す。


脳梗塞後遺症を抱えながらも、リハビリを兼ねて仕事を持つ彼女に、
できれば心配はかけたくない。でも。
でも、もしも仕事が休みだったら。

ああ神さま。たすけてもらっても、いいですか?

…恐る恐る、伯父の自宅にダイヤルする。
出て欲しい、けど出て欲しくない、でも出て欲しい。


4回の呼び出し音のあと、「…もしもし」

ああ、伯母の声だ。
神経の緊張が、ぷつっと切れた。
震える声も取り繕えないまま、「たまです」と告げる。

「伯母さん、ごめん。
 昨日、また軽い事故に遭ったのを報告したくて。
 …でも、私が伯母さんに、相談したいのは、別のことなの。
 怪我はたいしたことないの。

 怪我とは別の理由で、お祖父ちゃんちに行けないの。
 怖いの。介護に行くのが。

 二人のことは、本当に心配なの。介護行きたいの。
 でも、お二人の
 …とくに、おじいちゃんの、心理的依存を受け止められないの。

 (…攻撃性と優しさの両極であり、でも基本は、唯我独尊。
  妻の役割を担わされているような圧迫感に、押しつぶされそう…)

 どうしてなんだろう。どうしたらいいんだろう。」


それから少なくとも2時間以上、彼女は、私の相手をしてくれた。
急ぎの用事の手を止めて。

私が投げた言葉を、彼女は、確実に打ち返してくれる。
精一杯打ち返してくれるという、その行為と心だけが
ピアノに匹敵する力をわたしにくれる。

祖父母のこと以外のことにも、自由に話は伸びていく。

伯母の親のこと、私の両親のこと。
生い立ちや環境のちがい、個人の資質のちがい、
世代のちがい、男女のちがい。
そういったことの受け入れ方、避け方。
大人の知恵。ごく健康な良心。正直さ。素朴さ。
そういったものを、投げ返してくれる。

そして、雑談は、介護の問題へ、さりげなくフィードバックされる。

「たまちゃん。
  施設を利用する決断を、するのは
            私の夫の役目だからね。」


…涙が出た。

私が、何を苦しんでいるのか、この人は、解っていてくれたんだ。
そして、逃げないで精一杯のことを知らせてくれたんだ。
「たまちゃん、アンタに逃げ場、あるからね」って。

なんてありがたいことなんだろう。

「私の伯父の妻」である、というだけであるのに。
彼女は、難聴と出しづらい発声のハンディを抱えた身体で、
せっかくの休日、二時間以上に及ぶ長丁場を、
私のために割いてくれたのだ。
他人であるはずの彼女が。

それが無私のお志でなくて、何だというのだろう。
伯母の気持ちが、すごく、すごく、うれしかった。


伯母さん、また、あたしが傲慢だったら、叱ってね。
子供の理解しかしていないことがあったら、諭してね。

ゆっくりだけど、ちゃんと消化して、育ってみせますから…。


追伸;伯父さんへ
伯母さんにちょっと無理をさせてしまいました。
本当にごめんなさい。
記事では伝わらない、かなり厳しい部分を、報告したつもりです。
疑問点などありましたら、お電話やメールでお知らせください。
いつもありがとうございます。

ブログの記事さえ書けなくなったときに。(1)

2005-07-21 22:48:23 | 介護の周辺
今日の昼すぎ。祖父母宅に向かおうと玄関に立った。
靴を履こうと足を伸ばしたら、
不意に、目の前に地面がないような、そんな錯覚に襲われた。


「怖い…」

つぶやく自分の声を、湧き出る嫌な汗を、どうすることもできない。
私はぺたん、と、しゃがみこんでしまった。
動けないことは、タクシーを呼べば、解決するけれど

「今日行ったら、何かが決定的に、まずいことになる」

直観。頭の中で鳴り響く警報。


仕方なくじいたんに電話を入れる。
「昨日の今日で、身体がどうしても辛い。行けるとしても夕方だわ。
 あるいは無理かもしれない。」…とりあえず、嘘ではない。

…心配させてごめん、じいたん、と心の中で詫びる。
でも、メンタルな面での葛藤をそのまま話すよりは、多分、
無難な対処だ。

よくよく考えてみれば、
夢がくれる警告さえ、消化し切れていないというのに、
現実の老夫婦を受け止められるはずがない。


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電話を切った後、気分を変えようと
ブログの巡回をしてみる。好きな音楽をかけてみる。
鏡を磨く。絵を描く。

多少落ち着くが、集中力がもたない。

歌を歌ってみようとする。般若心経を読誦しようと試みる。
どちらもうまくいかない。
…発声できない。腹に力が入らない。


不意に思った。
「そうだ、ピアノ」

あたしは今、ピアノを弾きたいのだ。ピアノが必要なのだ。
あの、優しい優しい楽器は、私の体当たりをいつでも、
真摯に受け止め、必ず、何かの答えをくれる。
そこには、純化されたコミュニケーションがある。
ピアノと話したい。

でも、今、私の手元には、ピアノがない。

たまらず、指で机を叩く。
鍵盤もないところで、「月光」の第三楽章を弾く。


「…たすけて」


蚊の鳴くような声が、口からこぼれ出る。
昼間の日差しが窓から差し込んで、じりじりと背中を光でえぐる。
外では、働く人たちの車の音、子供たちの笑い声。
時間が容赦なく、過ぎていく。


そんな時、一枚の写真が、頭に浮かび上がった。

(続きます)