じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

時には丑三つ時の呼び出し。

2005-07-14 07:50:15 | じいたんばあたん
もう明け方に近づいていますね。今、午前四時半です。
今やっと、ばあたんは再び眠りにつきました。
多分5分持たずにベッドから出てくるだろうけど…

祖父母宅の、じいたんの書斎でこの記事を書いています。
たまにはこういう夜もある、ということで
実況中継みたいな記事が書けたらいいなと思い
ノートを立ち上げました。

多分朝まで続くばあたんの症状との闘いをしながら。
さあ、どこまで書けるかな。

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じいたんが夜中、トイレに起きた時
廊下のカーペットがびしょびしょになっていることに気づき、
「すまんが来てくれ」と
わたしに電話をくれたのが、午前2時45分。

とりあえず、
着替えもそこそこに、祖父母宅へ自転車で向かいました。

到着は午前2時58分。

わたしが到着したときには、じいたんは、
椅子でぐったりしていて
声をかけても、眠くて声が出ないというような状態でした。

逆に、ばあたんがひどく、表情を硬くして
おきていました。

ばあたんの話に注意深く耳を傾けながら、
彼女の体を洗い、
紙おむつに下着をチェンジし、
少しだけ、ポカリスエットの水割りを飲んでもらい

ばあたんの不安が和らぐような「昔の家族の話」を
繰り返し寝物語のように、話して聞かせて。

…でも今夜はどうやら「魔の夜」だったようです。
どれだけ傍にいても、工夫しても、
ばあたんは、5分と寝ていることができません。

無理もないと思います。
なぜなら、隣で大きないびきをかいて寝ている、じいたんのことを
認識できないような状態ですので…。
わたしのことは、かろうじてわかるみたい。
それでももし、今、彼女の前で眠ってしまったら
彼女はたちまち、わたしを認識しなくなるでしょう。


来てよかった、傍に住まいをもっていて良かったと思うのはこんなときです。


ばあたん、ずっと夜起きっ放しで、体が衰弱しないか、心配です。


じいたんはじいたんで、
(わたしを呼びつけて自分だけ眠るのが申し訳ないといった具合に)
何とかベッドに入ってもらうのに40分、かかりました。


…あ、今気配が。ばあたんのうごめく気配。

じいたんの書斎から覗いてみると、ばあたんもこちらをそっとのぞいて、
わたしがいると気づくと、
遠慮したようにまた、頭を引っ込める。

たま「ばあたん、遠慮しなくて、いいんだよ。目が覚めたの?」

ばあ「…たまちゃん?」

たま「うん」

ばあ「そこにいる?」

たま「うん、いるよ」

ばあ「どこへおばあちゃんは、泊まっているの
   おばあちゃんは、ひとりじゃ、だめなの。
   おじいちゃんは、どこなの?
   たまちゃんは、何たまちゃん?(苗字を聞きたいらしい)
    」


夜間せん妄と呼ばれる症状は、
夕方から夜にかけてと、未明から明け方にかけて、激しく現れる。

昼夜逆転が起こると、介護はかなりしんどくなる。
今までに何度か経験してきているけれど、
そういう時期が、時折おとずれるのはこの病気の宿命なのかもしれない。


今、朝の6時です。
車の走る音が聞こえ、外は明るくなってきました。

とうとうばあたん、まともに寝ませんでした。
わたしも、ちょっと気持ちの上でピンチ。大丈夫かな。
切れないかなわたし。心配。危ない。

でも、朝6時45分にはヘルパーさんが来て、着替えをし
7時半には、じいたんばあたん二人で食堂へ行きます。

このペースを維持することが、たいせつです。

…上を書いてからまた、せん妄が激しくなり、
今は七時半。やっとじいたんばあたんを食堂に送り出して…

ほっとできる30分の始まりです。
夜間せん妄で眠らなかったということは、
そのまま、今日一日がすさまじい日になると思ってよいだろうから、
しっかりご飯食べなきゃ。

今朝のヘルパーさん、新しい人だけども、
仕事も、手や体の動きも雑で、危険を見過ごす人だったな。
さくっとチェンジしてもらう手配をしよっと。

ちょっと、現場の空気が伝わったらいいなと思いつつ、筆をおきます。