じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

憑き物が落ちたように、落ち着く。

2005-07-15 23:58:32 | じいたんばあたん
パンくんとジェームズが大好きな、うちのばあたん。
木曜の夜、ばあたんは、わたしの横でにこにこしながらTVを見ている。

未明からの、激しい症状がうそみたいに
午前中のある瞬間、ばあたんはこちら側の世界に帰ってきた。

***********************

今朝、じいたんに許しをもらい、書斎で2時間ほど
仮眠をとった。

その間、ばあたんも眠ったのだが、
目覚めてもいっこうに落ち着く様子がなく、
「今回はなんだか波が激しいな」と思った。

ばあたんは、強迫的に確認行為を繰り返す。
2分で話がループになる。
別のことで気をそらすことは無理。
かえってフラストレーションがたまる印象がある。

だから、延々と、付き合う。そばに居る。

そばにいること、問いかけに答えること、それしか
私に出来ることはない。


そして、ある瞬間。

ばあたんの症状がぴたりと、落ち着いた。

表情のこわばりがすうっと和らぎ、
優しく明るい、眼の光を取り戻した。
何が起こったのかわからなかったくらいに、突然。

私の手をとり、

「…たまちゃん、ありがとう。
 なんだか、おばあちゃん、何も覚えていないのよ。
 でも、とても、幸せな気持ちよ。
 生きているって気がするわ」

にっこりと、笑った。
なんて美しい、無垢な笑顔。

頑張ってよかった。
投げ出さなくて、よかった。
そばにいることしかできなくても、
そんなあたしの許へ
ばあたんは、まだ、かえってきてくれる。


いずれは、もっと病状が進み、
わたしとのコミュニケーションが成り立たなく時期がくるだろう。

でも、
この記憶。この体験の積み重ね。
それが多分、未来の私とばあたんにも光を投げかけてくれる。

今日はぶっ倒れてたけど、
明日からまた、介護猫に戻ろう。

時には丑三つ時の呼び出し。

2005-07-14 07:50:15 | じいたんばあたん
もう明け方に近づいていますね。今、午前四時半です。
今やっと、ばあたんは再び眠りにつきました。
多分5分持たずにベッドから出てくるだろうけど…

祖父母宅の、じいたんの書斎でこの記事を書いています。
たまにはこういう夜もある、ということで
実況中継みたいな記事が書けたらいいなと思い
ノートを立ち上げました。

多分朝まで続くばあたんの症状との闘いをしながら。
さあ、どこまで書けるかな。

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

じいたんが夜中、トイレに起きた時
廊下のカーペットがびしょびしょになっていることに気づき、
「すまんが来てくれ」と
わたしに電話をくれたのが、午前2時45分。

とりあえず、
着替えもそこそこに、祖父母宅へ自転車で向かいました。

到着は午前2時58分。

わたしが到着したときには、じいたんは、
椅子でぐったりしていて
声をかけても、眠くて声が出ないというような状態でした。

逆に、ばあたんがひどく、表情を硬くして
おきていました。

ばあたんの話に注意深く耳を傾けながら、
彼女の体を洗い、
紙おむつに下着をチェンジし、
少しだけ、ポカリスエットの水割りを飲んでもらい

ばあたんの不安が和らぐような「昔の家族の話」を
繰り返し寝物語のように、話して聞かせて。

…でも今夜はどうやら「魔の夜」だったようです。
どれだけ傍にいても、工夫しても、
ばあたんは、5分と寝ていることができません。

無理もないと思います。
なぜなら、隣で大きないびきをかいて寝ている、じいたんのことを
認識できないような状態ですので…。
わたしのことは、かろうじてわかるみたい。
それでももし、今、彼女の前で眠ってしまったら
彼女はたちまち、わたしを認識しなくなるでしょう。


来てよかった、傍に住まいをもっていて良かったと思うのはこんなときです。


ばあたん、ずっと夜起きっ放しで、体が衰弱しないか、心配です。


じいたんはじいたんで、
(わたしを呼びつけて自分だけ眠るのが申し訳ないといった具合に)
何とかベッドに入ってもらうのに40分、かかりました。


…あ、今気配が。ばあたんのうごめく気配。

じいたんの書斎から覗いてみると、ばあたんもこちらをそっとのぞいて、
わたしがいると気づくと、
遠慮したようにまた、頭を引っ込める。

たま「ばあたん、遠慮しなくて、いいんだよ。目が覚めたの?」

ばあ「…たまちゃん?」

たま「うん」

ばあ「そこにいる?」

たま「うん、いるよ」

ばあ「どこへおばあちゃんは、泊まっているの
   おばあちゃんは、ひとりじゃ、だめなの。
   おじいちゃんは、どこなの?
   たまちゃんは、何たまちゃん?(苗字を聞きたいらしい)
    」


夜間せん妄と呼ばれる症状は、
夕方から夜にかけてと、未明から明け方にかけて、激しく現れる。

昼夜逆転が起こると、介護はかなりしんどくなる。
今までに何度か経験してきているけれど、
そういう時期が、時折おとずれるのはこの病気の宿命なのかもしれない。


今、朝の6時です。
車の走る音が聞こえ、外は明るくなってきました。

とうとうばあたん、まともに寝ませんでした。
わたしも、ちょっと気持ちの上でピンチ。大丈夫かな。
切れないかなわたし。心配。危ない。

でも、朝6時45分にはヘルパーさんが来て、着替えをし
7時半には、じいたんばあたん二人で食堂へ行きます。

このペースを維持することが、たいせつです。

…上を書いてからまた、せん妄が激しくなり、
今は七時半。やっとじいたんばあたんを食堂に送り出して…

ほっとできる30分の始まりです。
夜間せん妄で眠らなかったということは、
そのまま、今日一日がすさまじい日になると思ってよいだろうから、
しっかりご飯食べなきゃ。

今朝のヘルパーさん、新しい人だけども、
仕事も、手や体の動きも雑で、危険を見過ごす人だったな。
さくっとチェンジしてもらう手配をしよっと。

ちょっと、現場の空気が伝わったらいいなと思いつつ、筆をおきます。

『アインシュタイン150の言葉』

2005-07-13 14:46:28 | 本棚
「どうして、自分を責めるんですか? 他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。」


…帯に書いてある言葉を読んで、気持ちよく爆笑し、レジへ直行。


「相対性理論」で有名な20世紀最大の物理学者、
アルバート・アインシュタインの言葉を集めた本です。

"BITE-SIZE EINSTEIN"という原著がもともとありまして、
その中の言葉のうちエッセンスになるものを厳選して
本にまとめなおしたものだそうです。


この本のすばらしいところは、

◎とっつきやすい。
 一ページにつき、一つ二つしか、「言葉」を載せてないので、読みやすい。
 しかも、薄い。あっさりと読了できます。
 読者が自分の中で内容を吟味し、消化する時間も込みで
 作り手側が、本を構成している印象があります。いい仕事してるわ。

◎装丁がよい。
  目に飛び込む色
  本を手に取ったときの、手触り
  見返しのつくり
  フォントの選び方

  「本の"内容"を安売りしない」という、編集人の意思が伝わってくる、
  そんな「丁寧な」装丁です。
  限られているであろう予算内で、よく健闘しています。

◎アインシュタインの、人間的な魅力が、端的に伝わってくる
  アインシュタインは、私が伝記などを読んで窺い知るかぎりでは、
  いい按配に(そして、かなり強烈に)偏った人格をもつ、
  たいへん魅力的な人です。
  等身大の人間としてのアインシュタイン。
  そのあたりが良く、伝わってくる本だと思います。

◎そして何より、読んで"元気"が出る。
  「あんな偉業をなしとげた人が、こんなに人間くさいなんて。うふ。」
  そう思いながら読むのが吉です。
  ありのままの自分を、肯定してやることが難しく感じられるときなどは、特に。

  こころのベクトルを"いい方向"へ向け直す、助けになると思います。


個人的には、原著"BITE-SIZE EINSTEIN"にも、手を出す予定です。
英語は特別得意ではないけれど、「ちょっと努力してみようかしら」と
いう気持ちが、久々に湧きました。

アインシュタイン150の言葉

ディスカヴァートゥエンティワン

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美味しい人。

2005-07-12 01:49:39 | きゅうけい
ちょっと面白いサイトを発見しました。

oyajiさんアーカイブの中の、この記事から、飛んで行った、

”賞味期限チェッカー(人間用)”

やってみましたよ、早速。

ちなみに、わたしの賞味期限は
 人気:74歳 肉体:50歳 心:80歳 女として:47歳
だそうです。



…いろんな意味で、なんか…orz


だいたい、「心の賞味期限」が80歳までって、長いん?それ…。

それ以上長生きしたら、どうなるんよ。

「憎まれっ子世にはばかる」と彼氏に言われる私の立場は。

そんな判定基準自体が、面白くもあり、また腹立たしくもあり(笑)
けどまあ、それは置いておいて。


今回の、個人的なハイライトは、




"女"としての賞味期限が「47歳」までって、どゆこと?



枯れるの早すぎ…orz



確かに、もうすでに、女らしくないという噂のある私。

天文気象部(←高校の部活)の仲間には
「アンタは"たま"っていう生き物や。性別はないで」と断言され、

じいたんには、しょっちゅう
「お前さんは、男に生まれたほうが良かったなぁ」と、言われる。

失礼な。



だが。

自分の人生を恐る恐る振り返ってみると、
やはり

恋愛なんて二の次、女らしさはゴミ箱へ、な気が。
特に精神面と生活面、かなりヤバイ


どちらかというと、自分が恋をするよりも、

人の恋愛相談をひたすら黙って聞きながら、
「他人事やからおもろいねんな」と、密かに思う方が好み。(←悪魔だ)
  ※でも、真面目にかつ神妙に拝聴しますですよ。ハイ。

「あの時私は女やったな」と思える恋は、たった1つ。
しかも、それ、完全にプラトニックでした…(汗)



やめようこれ以上考えるの…orz




でも。でも。でも。
なんか納得いかへんし。


だって、


うちのじいたんばあたんなんて、
いまだに、大恋愛のまっただ中やのに、

なんで孫のわたしが、「こんなん出ました」やねん…


彼らの遺伝子、もらっている筈やねんけど。

齢90過ぎにして「ダンディなおじいさま」と呼ばれる、
あるいは「少女のように可愛らしい、おばあさま」と言われる、
二人の遺伝子が、私には入っているはずなんですけど。


やんちゃなじいたん、お転婆なばあたん、自分そっくりやのに。

つまり、いらんとこだけ遺伝してんねんな…orz


ばあたんの思いやりに、恥じ入る。

2005-07-11 00:53:44 | じいたんばあたん
今夜から、ばあたんに紙おむつを試してもらうことにした。

今までは、何とか普通のショーツのみで過ごしてきた。
なるべく紙おむつを使いたくなかったのと、
どちらかというと便のコントロールで悩んできたからだ。

便は、とりあえず洗えば済むし、おしゃれにも響かないし、
…実のところ、便のみの失禁の場合、
紙おむつだと却って不経済で、かつ手間が増えたりするからだ。


だが。
「トイレを認知できなくて尿失禁を起こす」
そういう段階に来た以上、
紙おむつを一切使わないで過ごすのは、かなりむつかしくなる。
日中はともかく、
夜間から明け方にかけて、つまり、私のいない時間は。


----------------


紙おむつを着用し、上からパジャマのズボンをはかせると、

「なんだか、もこもこするのよ」と、ばあたん。

中に手を突っ込んでみたり、脇から手をにょきっと出してみたり、
びよーんと引っ張ってみたりしている。

しっかり尿を吸い取れるだけのパッドがついているせいだろう。
確かに、股のところが大きめで、見た目にも違和感がある。



でも、金曜の朝に起こったこと

もしも、あれが夜中に起こっていたら。

それに正直なところ、
治りかけの首で、毎日、カーペットの始末に追われるのは辛い。


パジャマが小さすぎるのかもしれない。
ズボンをLサイズに変えてみる。
それで、ちょっとばあたんも落ち着いてくれた。

そこですかさず、言ってみた。


「ばあたん、これはね、生理用品と一緒でね、
 おしっこを、吸ってくれるように出来た下着なの。
 明け方とかね、トイレがなくなっちゃうことがあるでしょう。
 そういう時、ばあたん、困る場合もあると思うから、
 頑張って慣れようね」


どうだろう。嫌がるだろうか。


ばあたんは、すんなり

「そうなの。じゃあ、おしっこ垂れちゃっても大丈夫なのね。
 おばあちゃん、これ、履かせていただくわ。ありがとう」

笑顔で言った。
そして、私の手を取り、言葉を続けた。


「…たまちゃん、おばあちゃんのために
 これを買いに行ってくれた時、恥ずかしい思いをしなかったかしら?
 本当にごめんね。ありがとう」


…自分のことを、とても恥ずかしく思った。

ばあたん、ごめんね。ありがとう。

ショートステイな週末(3)

2005-07-10 23:55:02 | じいたんばあたん
そして今日の夕方。

ばあたんが帰ってきた。

送りの車から飛び出すようにして、私の手を捕まえる。
「どこにいたの?たまちゃん」
遅れて迎えに出たじいたんを見つけ、私を引きずったまま
じいたんの手もぎゅうっと捕まえていた。

「おばあちゃん、頑張ってくれてありがとう」
わたしが言うと、

「たまちゃんがいなかったらどうしようかと思ったわ」
と、ばあたん。
「もう離さないから!」と、
力いっぱい腕を握られてしまった。

じいたんも、ほっとしたのだろう。
ばあたんに力強く引き摺られながら、にこにこしている。

二人仲良く食堂で夕飯を済ませ、
三人で食後のデザートをいただいて少しくつろぐと、
じいたんは、「すっかり安心」といった顔で、
私が帰るまで、ずっと書斎にこもりきりだった。


ばあたんは、明日の朝のための手紙を書く私の隣で、
「どうぶつ奇想天外」を観てにこにこしていた。

私の事故以来、認知が急激に悪くなって、
会話が途切れると不穏になりがちだったのだが、
ショートに行ってきて、
こころなしか快活に、元気になったような気がする。
うれしい。

初日の夜電話した時は、
かなり不穏な様子で心配だったのだが、
杞憂だったようだ。


でも、わたしが、本当にほっとした理由は
たぶん


「ばあたんが、ここにいてくれる」から、なんだろう。

次回のショートステイは、いつになるだろう。

ショートステイな週末(2)

2005-07-10 23:41:02 | じいたんばあたん
徒歩で40分かけて、祖父母宅に戻る。

じいたんは
「おお、お前さん、ご苦労さん。待っていたよ」
「土産にスイカなんぞ、気をつかわなくていいんだよ」
と、ことさら朗らかにふるまおうとする。

わたしも、余計なことは、言わない。

初日、夜の九時に二人で、ばあたんに電話を入れてみる。
少し混乱している様子に、狼狽するじいたん。

泊まることにしておいてよかった、と思った。

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二人で過ごす時間。
ばあたんのいない時間。

普段なら書斎にこもりきりのじいたんが、
私が部屋に帰ってきてから、ずっと居間に座っている。

妻と二人三脚で今まで頑張ってきた分、不安が強いのだろう。


だから、
子供に分数を教える有効な手立て、政治について、
テロのゆくえ、じいたんの子供時代、相対性理論、
介護のありかた、囲碁の定石、他のブログ拝見…

じいたんに話をふられるままに、

普段は出来ないような、
そして、二人して夢中になるような
(わたしとじいたんは、話のネタの好みが似ている)
そんな話を、色々楽しんでみる。

何も手につかない気持ちをさりげなく隠す、じいたんの気遣いに
応える方法が、他に思いつかなかったからだ。

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土曜のデイケアの時、じいたんは、ばあたんに面会した。

彼女はとても落ち着いた様子だったらしい。
だが。

じいたんは、帰りがけ、案内してくれた職員のかたに、
「できればもう、おばあさんを一人で預けたりはしたくない」
と漏らしたらしい。
夜、職員の方からの電話でそのことを知った。

せつなく、やるせない。

私には、帰宅後
「まあ、せいぜい月に一度、三日間くらいだね、お前さん」
なんて、強がりを言っていた、じいたん。

…せつない。いとおしい。

無理に説得しないでおこう、と腹を括った。

ショートステイな週末(1)

2005-07-10 23:27:20 | じいたんばあたん
当日の朝(金曜日)6時、じいたんから電話が入った。

トイレの位置がわからなくなったばあたんが、失禁した状態で
玄関のドアをガチャガチャしているのを発見して、うろたえたらしい。

取るものもとりあえず飛び出した。

トイレが解らなくなりつつあるのは気づいていたが、
その朝の失禁は、
ショートステイに行くストレスが引き起こしたものかもしれない。

応急処置的に床を片付け、
ばあたんの身体を洗いながら、複雑な気持ちになった。

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ショートステイへの行きがけは、私が付き添った。
じいたんはお留守番。

今回利用するショートステイは、
週三回通っているデイケアの三階にある施設で、
じいたんばあたんにとっては比較的なじみのある場所だ。

それでも、
預けられることが辛いのだろう、からだをぎゅうっと固くして
「わたし、だまされて連れて行かれちゃうの?」
と、ばあたん。

それでも、慣れてもらわないわけにはいかない。

「嘘は絶対にいわないから、もう一度、聞いてね」
ばあたんに、何故ショートを使うか、じっくり説明しなおす。
辛い。

私たちの写真と、書いておいた手紙が
役に立てばいいのだが…

職員のかたが上手に誘導してくれたおかげもあって、
なんとかショートステイに彼女を預け、家路についた。

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今日、帰ってきた時に職員の方から手渡された報告書を見ると、

夜はせん妄が多少出て、落ち着かなかったものの、
徘徊もせず、ぐっすりと睡眠も取れたとのことだった。
じいたんやわたしはどこ?と時々言いつつも、
他の入所者のかたともなじんで、仲良く過ごさせていただいたようだ。

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元来穏やかな性格のばあたん。
少しずつ、少しずつ、慣れていってくれればと思う。

たま、独り言にどきりとする。

2005-07-09 23:35:42 | 介護の周辺
今、じいたんの書斎でこの記事を書いています。

昨夜と今夜、ばあたんはショートステイ。
でも、結局、「じいたんが独りきりだ」と思うと、
却って苦しくなってしまって
祖父母宅に居候二日目の、たまです。

今、外は雨です。
時計の音がコツコツ、響くじいたんの書斎は
なかなか素敵なシチュエーションに包まれています。

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じいたんと、九時半に「おやすみ」の挨拶をし、書斎に布団を敷いた。

明日は、ばあたんが帰ってくるので
「ブログも本も我慢して寝なくちゃ」
と、いったん布団に入ってみたのだけれど、
どうしても眠れない。

ふと、のどが渇いた気がして、1階の自販機まで降りてみる。

コーヒーと水を買い、
通用門の喫煙所で少し雨を眺めてぼーっとしてから、
不寝番の人にオートロックを開けてもらい(顔パスです)
部屋に戻ろうと、エレベーターホールに向かった。


足早に歩いていてふと、
自分の口から漏れた言葉が、耳に入った。

「頑張らなくちゃ」

…ぎょっとして、立ち止まってしまった。



なんか、変だ。
あたしらしくない。

エレベーターの中で
渇いていたんだわ、とふと思い至る。

そうだ。
だいたい、「がんばる」なんて、大の苦手やんか、あたし。
(妹にもそう良く罵倒されています)


ボケとったわ。ホンマ、ボケとったわ。
「したいことをする主義」のブラックたま万歳!!


…という訳で、今、PCに向かってみました(笑)

気分が、明るくなりました。

じいたんの書斎でできることといったら、
ネットと本くらいしかないけれど、
やりたいことをあまり我慢しないほうが、私はいいみたい。

夜遊びしまーす

想定外、そしてまた想定外。

2005-07-08 02:06:01 | 介護の土台
※また書き直すかもだけどUPします。ヘビーな話です。ご注意を※



想定外のことだらけの人生を、歩いてきたつもりだった。
自分を鍛えて、鍛えて、
たいていのことは、耐えていけるように。

だが今、その自信がゆらいでいる。
今、自らの置かれた立場に恐れおののく自分を発見して、
たじろいている。


人生に再び、巡ってくるなんて。
死神の鎌をふるう役割が。
そう。

介護者という役割を皆が嫌がるのは、実はここに理由があるのかもしれない。



明日、ばあたんだけを、ショートステイに行かせる。
二泊三日、金曜から日曜まで。
その間、祖父と二人で、昼夜過ごす。

とにかく前へ進まなければ。
共倒れにならず、介護を続けていけるために
希望を、選択肢を、増やしておかなければ
そう考えての、今回の決断だった。

じいたんは、最近わたしに対して、本当に優しくなった。
介護に介入した当初からは想像もできないほどに。

それは、多分
普通の「祖父母と孫の関係」を捨て去ることと引き換えに、
私が、祖父が、祖母が、失ったものについて、
ある日ふと思い至ったから、なのだろう。


-----------------------


高3の冬。
父が亡くなったその夜、
まだ彼の身体があたたかいうちに
死後脳の提供をオファーされた。

「先生は学者だったのだから、後の研究に役立つ寄付を喜ばれると思います」
父の後輩だというその医師は、抑揚のない声で言い放った。
「もう、東大の解剖医をこちらに向かわせています」
母は半狂乱で医師に掴みかかった。

そして、いくつかの意見を聞いたうえで、決断したのは、私だった。
親族一同集まっている中で、長女の私が。

はっきり明言する。
決断したのは、わたしだ。
わたししか、決断することを背負おうとする人間が、いなかったからだ。

そのことで誰を責める気持ちはない。
むしろ母に対しては、あんなに過酷な選択をさせなくて済んで、
良かったとさえ思っている。

そして何より、
父を、完全に、生から開放してやりたいと願ったのは、
生き返るかもなんて希望をこっぱみじんにしてあげたいと願ったのは、
他でもないこの私だからだ。


霊安室の横の解剖室で、がりがりと骨をけずる音が響く。
そんな中で、茶を飲みながら、どこか和やかに
葬儀の相談などをしている大人たちを
冷めた眼で眺めながら

「自分が決断したことの結果を、最後まで見極めてやる」
表むき、適当に嵐を装いながら、
心の深い海の中ではただ、そればかりを、考えていた。


その夜。確か午前三時。

脳を摘出された後の彼を、見舞った。
霊安室の冷蔵庫に忍び込んで。

穏やかな、父の顔。
やっと、ふたりきりになれた、父。
息をしていない父の耳元で、ささやいてみる。

「パパ…」

そっと頬に触れると、想像もつかない冷たさが、指先を刺した。
そして

…清拭したときに剃ったはずのひげが、生えてきていた。
彼の皮膚の細胞は、脳を奪われて、なお、生きようとしていた。



父から、完全に、生き返る可能性を、奪い取ったのは
他でもない私であるということを、改めて悟った。

涙も出ないまま彼に頬ずりをした。
ずっと、空っぽになった彼の頭蓋を眺めていた。



「生き返るかもしれない」という、ごく僅かな可能性を
容赦なく摘み取った結果。
生殺与奪の権を握り、かつそれを使役した、
尊属殺しが、私の最後の親孝行。


(以下2006/02/03 父の命日に追記)

 こんな考えは傲慢だ、とあなたは言うかもしれない。

 また、蘇生はありえないという前提で、
 心停止を確認した上で
 この処置は行われたのだということ
 臨床的には不可逆的に確実に
 死を迎えたと専門家が判断したからこそ
 可能だったことだということ
 そんなことは、充分に承知していた。


 それでも

 もう、逃れられない、と思った。

 これを背負って生きていかなければ


 そしてこの思いこそが
 多分、祖母の病に気づいたとき
 わたしを、職を棄てて祖父母の土地まで転居するという行動に駆り立てたということは事実だ。

 (追記終わり)

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あのときと、今、同じ立場に立っている自分に、ふと気づく。

自分の決断は、果たして正しいのか。

他の親族全部を差し置いて、
主介護者としての道を選んだ私の決断は、果たして正しかったのか。

でしゃばって介護人を買って出たことさえもが、
じいたんばあたんを不幸のどん底に突き落とす結果を招きつつあるのではないか。
その恐れと不安と、常に戦うことであるということに、
何故わたしは今更、気づいたのか。


だが
彼らが心からそれを望む場合をのぞいて、
施設に入れるなんて選択肢は、私のなかにはない。
周りは皆、施設に入れろという。けど。


だって、どうしてそんなことができるの。

「ごめんね。ばあたんにショート使ってもらわないと、
 私が、息の長い介護を続けていけないの。
 だから、ばあたん、頑張って、耐えて」

明日にショートステイを控えて、たまらず、土下座した私に

「ありがとう。おばあちゃんは、大丈夫。
 たまちゃんのためだったら、おばあちゃん、がんばる」

即座に答えて、ぎゅうっと、私を胸に抱きしめた彼女を、
そんな、無償の愛を胸に宿している、誰より人間らしいあの老女を、

どうして見殺しになんかできるものか。

いいさ、もう一度、改めて引き受けよう。
愛の鎌を背負う役割。

何としてでも、共生していける道を、探し出してみせる。
それが出来なければ、私は私じゃない。


※最後まで読んでくださった方、
 お見苦しいものを、耐えてくださったおこころに
 深謝いたします。