じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

代償

2005-07-27 04:49:33 | 禁無断転載
今まさに人生の終焉に向かいつつある彼らを、
観察し続ける立場にある、
その、わが身の光栄を思うとき

見合うだけの代償を差し出さなければならないのは、自明の理だ。
そう思う。


死神が、いつ彼らを刈り取るか
そんな
彼らの、一秒一秒の生を維持する援けを
みずから望んで、引き受けた自分を振り返るとき、

真剣に酔狂をやるのだから、
痛みくらいで済まないのは当たり前だ。
そう思う。


畏れおののくわが身を自覚しながら、夜明け前に祈る。


かみさま
何処にいるのか分からない、かみさま、

どうか、わたしに
無私の心を

ただ愛することのよろこびを
ありのままに君を映す瞳を
見えないラブレターをつづり続ける勇気を

どうか、わたしに
お与えください

どうか、わたしに
お恵みください


**************


午後11時、祖父母宅の外へ出たら
私の希望に反して
外は無風、雨もなく
自転車を漕いで自宅へと向かいました。

曇天の夜空を仰ぎ見て、思ったことを、書き残しておきます。

消化不良。

2005-07-27 02:39:17 | じいたんばあたん
「とうとう、この日が来たか」

ある程度、覚悟はしていた。けれど。
いつだって、覚悟なんてものは、
現実に直面した瞬間には、何の役にも立ちはしない。


今夜、じいたんの書斎に少し、ばあたんを預けた。
彼女の相手をしながらでは、
新たに処方された薬の仕分けや、デイケア連絡帳への記入など、
事務作業ができなかったからだ。


途中、病院の領収書を受け取りに、書斎に入った私に、
とうとう、ばあたんは、訊ねた。

「あなたは、だあれ?」


私は、ただ精一杯、微笑み返すことしかできなかった。




*****************


午前中のこと。
雨の中、微熱のあるばあたんを伴って、
じいたんは郵便局へお金を下ろしに行った。

お金を下ろす必要はなかった。私は知っていた。
やんわりと制止してみるが、
いつものことながら、そんなものは一蹴される。


じいたんの、金銭感覚は既にかなりあやうい。
だが、「お金」は、
じいたんが、自分の権力だと信じている、最後の砦だ。
お金に関して彼が決めた行動予定を覆すことは、介護拒否につながる。

彼の認知の低下が著しいのは、そこだけじゃない。
時系列を追っての、総合的な判断をする力が、もう、彼にはない。

昨夜のばあたんの混乱、そして風邪気味の身体は、
彼の「気の向いた」ときに発揮される、
「おばあさんは、いつでも一緒だ」という彼の「思い」だけで
あっさりと無視される。


やむなく、好きなようにしていただいた。


そして午後1時。

ヘルパーさんから電話を受け、祖父母宅へ行くと。
やはり、ばあたんは発熱していた。

37.7℃。
顔が、ぼんやりしている。
発熱は、せん妄をより、激しくする。


「毎日の努力を無駄にしやがって」、と
じいたんに怒鳴りつけたい気持ちが一瞬湧いた。

だが、
彼らは夫婦であり、私は、猫である。
そこに私が立ち入る隙はない。

じいたんは、それを分かっていて、
良くも悪くも最大限、私を介護者として使っているのだ。

それに、
この発熱がもとで、ばあたんに何かがあったとしたところで、
じいたんは、多分何も意に介さないだろう。
何故なら彼にとって、彼は彼女であり、彼女は彼だからだ。


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午後三時半、病院に連れて行き、診察を受ける。
最後に私が診察を受けるときだけ、彼らに外で待ってもらったのだが、
私にしがみつく彼女の手は、私の二の腕にくっきりと爪あとを残した。

薬局で、私が、薬の説明を受けている間も
似たようなことで、じいたんを困らせていた。



そして。
自宅へ戻り夕食を摂った後、私と二人きりになった瞬間、
彼女は爆発した。

それまで「外出先」であるということだけは認識して
懸命に耐えていた何かが、一気に噴き出す。


「私、何か悪いことしたかしら。」
「たまちゃんが、怒ってるわ。」
「おじいちゃんは、どこ?」
「○○ちゃん(叔母の名前)、私を置いていくんでしょう」
「他の家族をどこに、隠したの?」

そして、文脈も成り立っていない、いくつかの単語の羅列。


一つ一つの問いかけに、なるべく簡潔に、
そして、出来る限り誠実に説明するのだけど、
私の言葉は、彼女の耳に触れた途端、むなしく蒸発してしまう。

「おじいちゃんは、お金の計算をしているよ。
 だから、もう少しだけ、そっとしておいてあげようね。」
そんな説明は、数秒で無効になる。


そっと、抱きしめてみる。
頬を、なででみる。けれど。

非言語的コミュニケーションも、無残に断絶されている。


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気分を変えてもらおうと、洗面所に連れて行く。


顔を洗ってもらうために、声がけをしてから時計を外す。
「時計を返して」と彼女は叫ぶ。
声がけが、もう、耳の手前で「ただの音」になっているのだろう。

少し強引にパジャマの袖をめくり、顔をすすがせ、
洗顔フォームを手のひらに置いたら、
ばあたんはそれを泡立てた後、カランに塗りつけた。


入れ歯の手入れは諦め、何とか髪だけはセットさせてもらい、
「おじいさんは?」と、詰め寄る彼女を、やむなく
会計をしている、じいたんの書斎に連れて行く。


「ごめん、じいたん。
 今夜はどうやら、私ではだめみたい。
 じいたんの顔が見れると安心するから、少し傍にいさせてあげて」


じいたんは快く「おお、おばあさん、おいで」と手を広げる。
だが、ここでばあたんは、足がすくんでいる。
しがみつかれた私の、手の甲にまた、爪あと。
じいたんが、私の手からばあたんの手をひきちぎって、
ようやく私は再度、薬作りに向かう。


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別の部屋にいても聞こえてしまう、彼らの会話。

じいたんが、ばあたんに言い聞かせていた。


「おばあさん、いいかい。
 たまを、怒らせたら、
 ぼくたちはもうここで、生活できなくなるんだよ」


本音なのか、ばあたんを納得させるための言葉なのか、
どちらかは知らない。


心の中に、泣いている誰かがいるのを感じた。

だが、現実の私は、顔色一つ変えず
薬を、一回分ずつ、切った紙に貼り付けていく。

人生と折り合いをつける、とは多分、こういうことだ。


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そんな過程を経ての、冒頭の、ばあたんの言葉。

私はいつものように、「たまちゃんだよ」と言えなかった。
声が出なかった。
ただ、微笑み返すことしか出来なかった。


「…たまちゃん?」

少し間をおいて、
ばあたんが、少し笑いかけるような、すがるような表情で
私に問いかける。


「うん」

引きつった笑みで答えるのが、精一杯だった。

私はゆっくり後ずさって、書斎のドアを閉めた。


「どうして、さっさと死んだのよ?…お父さん」
誰かが呟くのが聞こえる。


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服薬と点眼の時間が来て、もう一度書斎へ向かう。


ばあたんは、疲れたような、けだるい様子で、
じいたんの隣の椅子に腰かけていた。
足に上着を着せられ、珍妙な動作を繰り返しながら。

全てを発散し切ったといった感じの表情。
そして、

「たまちゃん。どこに行っていたの?」

全てを忘れてそこに在る、いつものばあたん。


優しく、できる限り優しく彼女を促して、連れ去る。
点眼と服薬、トイレの介助をし、何とかベッドに彼女を横たえた。

ばあたんも、もう「おじいさんは?」とは言わなかった。


布団をかけてやりながら、せいいっぱい、心を伝えてみる。


「ばあたん、ごめんね。
 一番悲しいのは、ばあたんだよね。

 そばにいるからね。
 横で、薬を作っているからね。
 眠れなかったら、話していいからね。」


いつものように、頬ずりをして、唇に軟膏を塗る。


子供のような瞳が一瞬、あどけなく私をとらえる。

そして程なく、寝息を立て始めた。