じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

わたしは、介護猫。介助犬ではないのです…

2005-06-17 00:22:55 | ブラックたまの毒吐き
※一部、改稿いたしました(6/17(金)14時)

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私の介護での役割は、
「たま」という介護猫に、なりきることです。

「たまこ」という、個人としての属性を、一旦、完全に捨てることです。


このブログを読んでくださっているみなさまの中には、
祖母と祖父と私との関係について、
過去から今に至るまで、ごく順調で穏やかなものだったと
理解されている上で読まれている方が、
たくさんおいでになるような気がします。


ですが、それは事実ではありません。


祖父母と私(と死んだ父、生き残った母)との間には、
かつて、壮絶で残酷な歴史がありました。

祖父が昔吐いた暴言や、親への仕打ち。
祖母の、母としての息子への冷たさ
姑としての嫁=私の母への冷たさ
(と、子供であった当時私が感じたもの)。

忘れたわけでは、決してないのです。
水には、とうに流したけれど、


たとえば、
父が最初に死にかけ手術室に運ばれるまさにそのとき、
「お前たちにはびた一文、やらん」
と、憔悴しきった母に開口一発、言い放った祖父。

そのとき私は七歳になったばかりでしたが、
生まれて初めて「殺意」というものを覚えました。

父が死ぬ前、
「お前たち(私と妹)は高校出れば
 自力で生きていけるだろう。
 わしには関係ない」
と、言い切った、祖父。

父が死んだとき、

…正直、過去においては、
その手の話には枚挙にいとまがないのです。



だけど。だけど。だけど。

そんな話は、過ぎたことです。

どうして祖父母がそういった「酷い態度」をとっていたのか
少しずつ理解しようと、大学時代からずっと努力を重ねてきました。

そして今は、
彼らの立場に立って、理解を示すことができるようにもなりました。

(彼らは、ひどく「ありえない現実」に対して混乱していたのです。
 息子を失うかもしれないという、最悪の不幸に。
 それだけなのです。
 今は、それがよく分かります)

そんな過去の経過をふまえたうえで、
現在の穏やかな関係があるのです。


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祖母は今、病を得て、
全てを忘れ去り、
「ばあたん」になりました。

ばあたんは、おそらく、「私」について、
「そばにいてくれる、親しい間柄の女性である」という以上の
認知は、していない。

他人様の前ではいきなり、しゃきっとして
「孫娘がよくしてくれるので…」などと発言して
周囲を驚かせるのですが、

それは彼女がアルツハイマーを発症してから、
血のにじむような努力で、新たに学習しなおしてくれたことなので。
「私」を傷つけまいとして、必死で覚えてくれたこと。
(そう、彼女はとても聡いひとなのです)
だから、彼女の中に、幼い日の私の記憶は、ありません。

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二年前、私が来た時にはすでに、私が誰の子供か分からなくなっていた、ばあたん。
それどころか、死んだ彼女の息子…すなわち私の父のことも、
弟か息子かわからない、そんな状態でした。

だから、彼女の気持ち、彼女が私に注ぐまごころと愛情は、
実は、私個人に対して向けられたものでは、ありません。

精神科のプロフェッショナルたちに負けないくらいに
自分を鍛え続けながら、
祖父母が味わっている絶対の孤独を、違った形で共有すること。
私に出来るのは、ただ、それだけです。


介助犬みたいに、多少の役に立てばよいけれど、
わたしは、せいぜい介護猫です。

だから、「たま」というハンドルなんです。


祖父母に残された、残り少ない時間を、
美しく、ユーモアに溢れたものにしていくためなら、
お迎えの朝「幸せだった」と
彼らが思えるように、今の生活を作っていくためなら、

わたしは全ての自我を脱ぎ捨てて、猫にだってなる。

それだけが、愛情の証。
彼女へ与えることのできる、愛。

愛すること、そのエネルギーが沸くのは
理屈ではないんです。



誤解のないように伝えておきます。



「いま・ここ」のじいたんばあたんを、泣きたいほど愛しています。



それだけが、私を突き動かすのです。
今現在のじいたんばあたんを、抱きしめたい。
ただ、それだけ。


光がまばゆいほど、影も、濃いのです。

できれば、読者の皆様に、すこしだけでも
そのあたりを了解した上で
当ブログにお付き合いいただけたらと思います。

このエントリを残せるかどうか、自信がないけれど
どうか、どうか、ご容赦ください。


「もともと仲が良かったのね。可愛がられていた孫なんだね。
 だから耐えられるのね」

なんて安直な理解は、ちょっと淋しいので

(幼いころ、うんと可愛がられていたって、
   平気で踏みにじる奴は、踏みにじりますよ?)

自分勝手に、このログを残します。



生きることを、「人」を、心から愛すること
愛に溺れず、客観的な目をなるべく失わずにいること、
そして、介護=生活そのものを楽しめるよう、あらゆる工夫を凝らし続けること

それが、わたしと祖父母の介護生活です。
普通に生活し人生を生きるということと、なんら変わりはありません。


祖父母が今、生きていてくれること
ここまで生きて、待っていてくれたこと、

「存在の愛」を教えてくれたこと

感謝の気持ちで一杯です。


そして、ここまで付き合ってくださった、読者のみなさまにも。


最後まで読んでくださってありがとうございます。