今日本が大震災で大変な間、実はエジプトの東隣、カダフ
ィ大佐と石油で有名なリビアという国が大変な状態に陥っている。この度のリビア革命は当初、市民による反政府側が東部のベンガジを始め、次々と要衝を落とし、首都トリポリでもデモが広がって、今にもカダフィ政権は崩壊するものと思われていた。
ところが政権側は石油で得た豊かな資金で外国人傭兵を雇い入れ(これでリビア人同士ではできなかった虐殺が可能になって)、空爆と戦車など機甲軍団で反転攻勢を始めた。勿論反政府側はまともな装備など無いので、虐殺状態になり、あっという間にベンガジに押し込まれたという事態になった。そしてベンガジで起こる悲劇を避けるため、ようやく国連安保理で武力行使が容認され・・・・実際に行使されるかどうかの瀬戸際になっている。
リビアは聖書にもルブ人などとして登場する名である。エジプトに続いての政変は、聖書が語る終末の成り行きと重なり、注視せざるを得ない。 (ケパ)
昨夜はケパさんのピアノレッスンでした。いつも来てくれる先生は、申し訳ないのだけれど、私の 手料理が授業料に含まれるという、半分笑えるレッスン代なのです。
美味しいとかの問題ではなく、とにかくたくさん食べてもらうという方向で、あまり得意分野でない料理にいそしむドルカスなのです。そして昨夜は久しぶりに餃子作り
焼き上がるまで味が分からないという、仕上がりを気にしなければ結構ヒダヒダ寄せなど楽しい作業です。材料はニラ、キャベツ、広島から着いたばかりの新タマネギもいれて、ケパさんの選んだー合い挽き肉ー(ちょっと肉が多すぎ?)(肉の多い餃子がいいんだ)と、意見の食い違いもありましたが、結構なできばえだったのではと
私は密かににんまりし ていました。作った数が多くて勢いで食べたから「おいしい」の連発で、料理人ドルカスも大の食卓でした。このような時だから、たくさん食べてほしかったのです。(ドルカス)
今日宅急便が届いた。米10キロが主で、後は餅・ジ
ャガイモ・ポンカンなどが入っていた。1昨日広島の姉が「東京のお店にないなら、送ろうか?」と言ってくれて、「あれば助かる」と返事したものの、「届くまで、少なくとも一週間はかかるだろうなあ」と思っていた。「届いたよ」と姉に確認したら、実質1日で届いたことがわかった。つまり、まったくの普段通りである。
福島~青森間はまだまだだと想像されるが、それ以外の、特に関東以西方面はまったく普段通りの物流ができているらしい。西方面にツテがある方は心強い。そして与えられたものは独占せず、分かち合いましょう。今晩それを少し、実践しました。
ところでまた街の様子だが、スーパーには相変わらずがらがらの棚が目立つ。個人的にはどこに行っても牛乳が手に入らず、カフェオレが作れないので少し困った。車を走らせると、杉並区~渋谷区内のガソリンスタンド前に、どこも長い長い行列が出来ていた。道路を一車線分延々とふさぐわけで、かなり異常な光景だった。これも製油所がカムバックする日が近いので直に解消すると思われるが、ガソリンの値段が上がっているのが気になる。今回の国難を逆手にとっての便乗値上げであれば信頼を失い、後で国民の批判にさらされると思う。 (ケパ)
今日の船橋キリスト教会の水曜礼拝は、牧師宅で礼拝しました。 そして夜の祈祷会はお休みになりました。来る人の時間にあわせての礼拝でしたが、賛美に臨在があふれ、祝福の時でした。被災地から遠い都内で礼拝できる私たちは、今はできない人たちのことを覚えて祈ることしかできません。でもこの祈りこそ、実際的にも真の力あるものなのです。
主の十字架クリスチャンセンターには、東北被災地にもいくつか教会があります。たぶん避難されている方も居ると思います。仙台のK牧師はご高齢です。ご自宅でしょうか、避難先でしょうか、HPも更新されていないのが気になります。福島の教会はどうされているでしょうか。礼拝場所が使えなくなったと書かれています。弘前のKちゃん、お父さんは退院後間もないですが、影響なかったでしょうか?寒さに震えてはいないでしょうか?
そのような人間的な心配がありますが、これらすべてを神さまに感謝し、教会のために祈ります。安全な地にいる私に出来ることは祈ることですが、神は必ずこの祈りを聞いて下さいます。ただ間違った情報に惑わされることがありませんように。 (ドルカス)
地震余波
今晩、晩ご飯の材料を求めて、いつものように近くのスーパーに行った。ところが早じまいしていたり、照明を少なくしていたりで、商店街の様子が変わっていた。さいわいめざすスーパーはまだ開いていたのだが、入ってみてびっくり。エスカレーターはいきなりの停電により、転倒をおそれて中止。店内は写真のように見事に何一つ残っていない棚がずらりーっ。
「エエッ?」とよく見ると、即席ラーメンや缶詰などの棚だった。岩手や宮城ほど地震の被害を受けたわけでもあるまいに、東京でこの買い占めは愚かであると思った。不安感による
大衆心理というかパニック行動に近いのではないだろうか?
思い出したのは石油ショックの時、お店からトイレットペーパーが買い占められ、長期にわたって店頭から消えたことである。1973年と言うからもう38年も前である。もともと紙と石油不足とに直接の関係はない。しかし当時は団地が普及し、水洗トイレが一般的になってきていた。そこでトイレットペーパーが必須アイテムとして初めて認識され、この流言飛語(デマ情報)がはびこる一因となった。
今このような食品は被災地にこそ必要であると思うし、買い占
めは自分だけ助かれば良いとする、かなり手前勝手な判断が見え隠れする。買ってしまったたくさんの即席ラーメンを、毎日毎日食べてゲンナリしている人々の顔さえ目に浮かぶ。冷静な行動が必要である。
天のお父様、どうかこの国をあわれんでください。今宵も明日の朝も、被災地の方々のことを覚えさせてください。この国にたましいのリバイバルが起こる、そのための礎としてこの困難から勝利させてください。 (ケパ)
まだ二日しか経っていない。しかし、やはり時間が経つにつれて、あの神戸の時のようにM9.0という未曾有の大惨事が明らかになってきた。人が大切にし、また頼りとしてきたものが、大勢の命が、一瞬の内になくしてしまう・・・・・。これをどう受け止めたらよいのだろうか?多くの方々は、神も仏もあるものか、と思うであろう。
船橋から杉並区まで、都心を貫く二十キロちょっとしかない道を、マイカーで12時間かけて帰り、着いたのは朝の4時半だった。普段は決して見かけない、車道を歩く人々の長蛇の列(写真)、1時間経っても1mしか進まない長い車列(写真)の中で、そのことを考え続けた。最後の写真は、都内の道路の至る所で見られた、液状化現象。道路が乾いた泥で白っぽくなりました。
わたしはクリスチャンとして「これは神の警告」だと思う。亡くなられた方については、懸命に執りなしの祈りを捧げたいと思うが、決して無駄死にではない。真の覚醒のための礎となられたのだ。
わたしはこれらのことが、神の許しなしには何事も起こらないことを知っている。では何の意図があっての警告か?ずばり「世界の終末」への警告であると言うほかない。聖書にはさらに多くの苦しみが私たちに許される中、たましいの刈り取り、大リバイバルが来ることが預言されている。そのためにわたしは召されている。時が近づいているのだ。 (ケパ)
PS 昨日YouTubeにアップした「大地震、その時」は★★★★★の最高評価をいただきました。神さまに感謝します。
船橋を出て、浦安で早めに休憩しながら夕食し、今まだ晴海、有明から既に3時間過ぎました。その距離2~3㌔程、今日中に帰れますように祈ります。
写真は、カーナビ+フロントには携帯ワンセグで、情報をキャッチして・・・(ドルカス)
今日の地震は凄いです。私達は船橋に行く途中高速道路で遭遇しました。教会事務所は10階です。余震が結構きつく、今日の予定のゴスペル教室は中止。早々に引き上げます。途中地下鉄に乗れない通勤帰りの人々が大勢歩いて帰る姿見かけました。(ドルカス)