ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

御心の結婚〜6月24日の朝の示し

2019年06月24日 | 信仰
今朝は雨音で目が醒めて、カーテンを開けなくてもわかる梅雨そのものの朝だった。ベランダに出ると、船橋らしい風が雨と寒い空気をかき混ぜていた。早々と退散し部屋で黙想の時を持つ。
 
 
その時思い出されたのは、昨夜の結婚セミナーだった。三人の証しを聴きながら、私自身は結婚を二回しているが、三人とは全く別のパターンだった。クリスチャンの結婚に関し、すべてに共通しているのは「御心(みこころ)の結婚なのか」だ。
 
P牧師は以下の御言葉を毎回用いる。大前提として、結婚とは一体となる事だから、互いに永遠のいのち、霊が一つとなって働かなければ半身不随となる。
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「神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。」(マラキ215節聖書 ©2017
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私の場合は、創世記の以下の御言葉が響いていた。
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「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」(創224©2017
 
「妻よ。あなたが夫を救えるかどうか、どうして分かりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうか、どうして分かりますか。」(1コリント716 ©2017
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考えるだけでも、一体とされたのであれば、クリスチャンの場合、離婚は明確な背きであり祝福を失いかねない。であれば、私は最低限、クリスチャン同士でなければならないと決心していた。クリスチャン同士であれば、何の問題もない、そう単純に考えていた。その時はまだ、たとえクリスチャン同士であっても、P牧師の言う御心のものであるかの吟味は、その時は考えてもいなかったのだ。
 
それで、御心を知らず、ただ自分の夢にこだわり続けてどうなったのか?結局は七年の後、私は念願通りこだわり続けた人とクリスチャン同士の結婚ができて有頂天になったいた。しかしそれは全くの無知であったのだが、相手は精神の病を内に秘めていたのだった。
 
ガンで最初の妻を送って、私が心から祈ったのは【御心の人】と結婚することだった。それには痛切な悔い改めがあって、一切の選択権を主に委ねることにしたからだ。主は最良の導きをされる方で、私は主を信頼した。ある意味、神に任せないクリスチャンは、主を信頼してはいない。
隠さずに言うが、今の妻、ドルカスは結婚するまでは私の好みでなく、普通なら対象と思わない相手だった。実はこれはドルカスも同様らしい。ところがある方法で、それが主からだと確認できる方法でドルカスと示された。それで結婚することに決めたのだ。
 
正直、この結婚は神と結婚した思いだった。そして今、最高に幸せを感謝することに。今ではどうして彼女だったのか、その御心と神の知恵が分かるし、さすが全知の神の最善を褒め称えている。取り返しのつかない選択を、有限で愚かな自分の目や嗜好で選ぶのは実に愚かである。結局、痛い目にあいながら刈り取りをすることになる。
主を信頼せよ。主は最善をしてくださる。それは信仰の試しである。またそれは決して裏切られない。
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あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇375©2017
 
 
 
 
コメント
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