月曜日にいつもの仲間たちとテニスをプレーし始めて、すぐに右手首の痛みを感じるようになった。「どうしたのだろう? 特にこれをやって痛めた、ということが思い当たらないのに」。
痛みはプレーを続けるにしたがってどんどんひどくなり、途中何度も中断して帰ろう、と思いながら続けてしまい、最後はラケットを振ることすら痛くて難しくなった。
帰宅しすぐに湿布をしたが、今まで痛めたことのない右手首だけに、実に暗澹たる思いであった。火曜日の朝になっても、痛みは湿布をしたせいか前日よりは少し収まっていたが、場所が場所だけに完治までには相当時間がかかりそうな悪い予感がした。
そして暗い気持ちで沈んでいると、はたと気がついた。「祈ってなかったよ!」そして悔い改めて感謝し心から治るよう求めて祈った。三度目に祈り終わるとあら不思議!「痛くない!」、手を振ってみたり、捻ってみて、やっぱり「痛くない!」ハレルヤ! これは何ということだろう。
神は生きておられる。

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。(中略)病人に手を置けば病人はいやされます」(マルコ16:17-18)
ケパ
痛みはプレーを続けるにしたがってどんどんひどくなり、途中何度も中断して帰ろう、と思いながら続けてしまい、最後はラケットを振ることすら痛くて難しくなった。
帰宅しすぐに湿布をしたが、今まで痛めたことのない右手首だけに、実に暗澹たる思いであった。火曜日の朝になっても、痛みは湿布をしたせいか前日よりは少し収まっていたが、場所が場所だけに完治までには相当時間がかかりそうな悪い予感がした。

そして暗い気持ちで沈んでいると、はたと気がついた。「祈ってなかったよ!」そして悔い改めて感謝し心から治るよう求めて祈った。三度目に祈り終わるとあら不思議!「痛くない!」、手を振ってみたり、捻ってみて、やっぱり「痛くない!」ハレルヤ! これは何ということだろう。
神は生きておられる。

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。(中略)病人に手を置けば病人はいやされます」(マルコ16:17-18)
ケパ