ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

映画「沈黙ーSilent」のコメント

2017年02月09日 | 映画•映像
今回、長崎の西坂公園の奥にある、日本二十六聖人記念館に入って驚いた。入り口に今公開されている映画「殉教ー Silent」 のポスターが貼ってあったからだ。
一度は破門までされた作者の映画である。カトリックにとって日本宣教は、百万近い信者を見捨てざるをえなかった、最大級の汚点であり、傷である。原作が世に出てから半世紀経つが、ローマ法王などバチカンの高位聖職者がそろってこの作品を観たと言うから、作品の価値が受け入れられるためには、ようやくこれだけの時間が必要だったんだなあ、と感じる。

さて、ハリウッドはスコセッシ監督のこの作品、ロケ地は台湾だが、日本人が観てもまったく違和感を感じない、見事なハリウッド製日本的作品である。三時間近い大作なのに、まったく時間の長さを感じさせない濃密な内容であったと皆が言う。今回はいろいろ思い出したことを元に最後のコメントをしたい。(写真は捕らえられた信徒たちとのシーン)


真の残酷シーン
この作品がR12指定となったようだ。確かに拷問とか、処刑シーンがある。しかし私に最も残酷だとは思えたのは、それらではなく、この映画のもっとも平和なうるわしいシーンである。
つまり、捕らえられた信徒たちに司祭ロドリゴがふれあい、教え、励ますシーンである。なぜか。それは檻の中で信徒たちと司祭が一緒にされ、親密さを築かせておいて、それを利用しての恐るべき企みがあったからだ。その狡猾さが、むごい、残酷だと思わさせられる。
こうして親しくなった信徒たちを先ず苦しめ、転ばさせておいて、彼らを愛するロドリゴを死よりも苦しい責め苦に陥れるためであった。自分のためなら殉教を厭わないロドリゴであっても、自分が転ばないために愛する多くの者を犠牲にすることは、出来ない相談だからだ。どうして自分の信仰のために、たくさんの本来自分が守るべき人たちを殺すことなどできようか❗だからロドリゴが踏んだ踏み絵は、殉教よりも辛い十字架である。つまり檻の中での睦まじいシーンほど残酷なシーンは、他にないと思う。


実在のロドリゴ
主人公ロドリゴには確かな実在のモデルがいて、イタリアのシチリア島出身でジョゼッピ・キアラ神父という。映画では若いが、日本に潜入した時は41歳であった。島で捕まり、長崎に護送され、二ヶ月後には江戸に移された。江戸で映画にも登場した宗門改奉行である井上筑後守(イノエサマ)と恩師であったフェレイラの詮議を受け、老中や大老、将軍などからも詮議を受け続けた。

江戸での厳しい詮議を三年受け続けて後、死刑囚であった岡本三右衛門の名前とその妻を娶らせられ、その残りの四十年の生涯を小石川のキリシタン屋敷内で過ごさせられる幽閉生活を送って病死した。彼の人生は転んだバテレンかもしれないが、事実は死よりも辛い生を選んだ、素晴らしい殉教者であったと言えるのではないだろうか。

映画では触れられなかったが、死後彼の妻が墓碑を望み、実に奇妙な墓石が作られた。西洋人や宣教師がかぶる帽子(写真)が墓石の頭に載せられている。これをなんと言おうか、夫の信仰が妻に伝わっていたと見えないだろうか。
この墓は現在は移転され、調布市のサレジノの学院の敷地内に安置されている。(写真はそのお墓)今度、時間が取れれば行ってみたいなと思わされている。




ケパ






コメント
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