ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

土への想い

2015年07月09日 | 随想
雨の続くこの時期になると想いだす匂いがある。それは雨によって立ち上がってくる、土と緑の匂いである。

昔、道路は土だった。ただし古代世界のローマへ通じる道は別として。江戸時代の五街道は、土でも整備された立派なものだったらしいが、私の記憶に残るのは、畦道であったり、堤防の上を走る土の道である。

土の道は足に優しかった。雨が降ってぬかるんだり、ホコリが舞い上がって脚が汚れるなどあれこれ難しい点はあっても、土はなつかしい。土には草の朝露、乾燥した昼の土埃、夜の静けさに足踏む音という表情があった。現代のように未舗装を毛嫌いのあまり、すべての舗装したあげく、土の道を一掃するのはどうだろうか。土には利点も多いのだ。

例えば最近花粉症が云々されてるが、土は花粉の飛散防止に最適だったはずだ。ローマやエルサレム旧市街の石畳の道を歩くと、半日で腰から下がおかしくなる。若い時はあまり感じなかったが、舗装路は膝や腰のクッション機能を失いつつある者の関節を痛める感じだ。

私はテニスをよくするが、ハードコートでプレーする時は必ず、専用の厚いショック吸収機能を持った靴でする。それでもそのあとはかなり腰にくる。その点たまにクレイ(土)コートですると、体が「優しい、楽だ」と喜んでいるのがわかる。もっとも、今は手間がかかり、雨ですぐ使えなくなるクレイコートは絶滅戦前ではあるが。

人は土から造られ、土に還る、と聖書にはある。ただし霊魂は、今度は土でない復活したキリストの体でよみがえる。天のエルサレムがこの地上に降り立った時、その時の地上の土はどんなものになっているのだろうかと、今からワクワク想像している。 ケパ
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