今回ドルカスの母の葬儀は仏式で行われた。たとえ本人が神を信じていても、喪主とか本人の強い意志表明がされていないと、どうしても菩提寺での仏式になってしまう。たとえ仏式で葬られようと、たましいの実際は即天に行っている。だから抜け殻となった体を祭り、その霊がどうのこうのという仏式の行事は関係がないと言えばその通りだ。(※ただ浄土真宗だけはキリスト教に近い解釈をするので、亡きがらには魂がないとし、位牌をつくらない) ただ周囲の人に、たましいの行き先に誤解が残る点だけが悔やまれる。だから生前から、財産のこと以上に、自分の葬儀についての希望を遺言しておく備えの必要を感じさせられた。
ところで葬儀の後、酒を飲んでいないという理由で、私は喪主家族と菩提寺に位牌を返しに行く運転手となった。そこで見たのは「位牌堂」(上写真は左右にある左側の部分)というものだった。御殿のようなこの部屋には過去帳を入れる位牌が、地区ごと、檀家ごとにずらーり置かれていた。キリスト教からすればあまりにも無用なことに、どれほどのお金をかけたのだろうか、そのため息と思わず出費する檀家たちの苦悶の顔が目に浮かんだ。
この豪華な一軒一軒の位牌の中に、この寺では過去帳が入っている。プライバシーがあるので、ドルカスの家のものではないが、過去帳とはどういうものか、画像をつけた(中写真)。ようするに仏教徒であるしるしの法名と俗名、没年、生地などが戸籍のように記されているものだ。だいたい一軒一冊で300年ぐらいはもつらしい。
この過去帳を目の当たりにし、実はクリスチャンとしては恐ろしい迫害の実像を見る思いがした。なぜなら、これが日本全国、津々浦々、宗派を問わずすべてのお寺に強制的に整備されたのは、江戸時代の初期、キリシタンをあぶり出し、殺すための幕府による寺請制度(檀家制度)にあったからだ。これを拒否した者(キリスト教徒)は、全員殉教の運命にあった。当時の総人口3000万の内、ひかえめに見て30万(1%)、最大100万(3,3%)のキリシタンが刑死、並びに殺害されている。どうしてか? 本当の信者なら決してこの檀家には入れないものだ。なぜなら、この過去帳の初めの但し書き(写真)には、
「私どもが今日あるのは、御先祖様のお陰です。そのご恩は無限です。いただいた生命と教えに感謝し、日々報恩の行に励みましょう。まことに、心からの安らいがあります。」
とあるからだ。おまけに法名(戒名)まで付けられてしまう。これを受けてしまうと、イエス・キリストによる罪からの救いと、天にある神の国を信じるクリスチャンにとっては、棄教と同じ事になってしまうからだ。聖書にある「いのちの書」に名が記されるか、またはこの「過去帳」に記されるのかは、実に身震いのする、信仰の強制であり試しであり、永遠の生か死かの分かれ目になる可能性がある。
この徳川の圧政を二百年以上、七代にわたって耐え抜いたキリシタンがいたのは世界史的な奇跡だったが、彼らが明治になる直前に「崩れ」と言う発覚に至り、明治新政府の下で、またもや多くの殉教者を出す拷問にあった。一般にはあまり周知されていないが、不平等条約改正をめざした明治新政府は、このキリシタン迫害を欧米諸国の批判でしぶしぶ止めたのであって(実際、岩倉具視の視察団は、行く先々でこの迫害に対するデモに遭って事態の重大さを認識させられた)、決して信教の自由を受け入れたわけではない。
一村総流罪となった浦上四番崩れなどの事の発端は、村人の葬儀に菩提寺の僧侶を呼ばず、彼らだけで勝手に(本来のキリスト教式に)葬儀を終えてしまったことからだった。
何ゆえそんなハイリスクを犯したのか?私はこの位牌と過去帳を耐えがたく思っていたからだと想像する。合掌(キリスト教ではアーメンか?)や焼香(私も仏になります)ならまだしも、過去帳に名を記されてしまっては、あるいは天国に行けないかも知れないではないか。神の前で何と申し開きをすればよいのだろう。ただ「申し訳ありません、(永遠のいのちより)やがて滅ぶものに過ぎない体の命を選んでしまいました。イエス様の十字架よりも」としか言いようがないではないか。
仏教徒ならびに無宗教な人々になら、何とも思わないことだろう。しかし私は、痛切な思いを持ってこの過去帳と位牌堂とを後にした。愛するこの国、日本に、リバイバルを!主よ、この私をどうかお用いください。三途の川の中でさま迷っている日本人を、これ以上増やさないために。 ケパ