この写真。母の遺影に使われた。最高に良い笑顔の母。
2005年9月父が昇天した後、2週間ほど私に家で母は過ごしていた。実家に送る時ちょっと寄った「かかしコンクール」の山の棚田の会場。母はそのかかしに声をかけそうになって、思わずはじけた笑顔だった。
兄が母の写真をスライドにして会場で見てもらおうと準備していた。
実は何かに必要なのではと、私の撮ったデーターを持って帰省していたのでその中から写真をピックアップしていた。
その中でこれはちょうど良いと選んだ良い顔の写真がこれだった。
遺影用にと、かしこまった写真でなくて、母の普段の表情を兄は探していたと思う。
できあがった遺影をみて、さらに母の笑顔に私たちは喜んだ。神様ありがとうございます。
そしてこの写真を見ていて気がつかされた。父に先立たれて傷心の母の為に、そして兄夫婦をの休息のためにと、私は家に母を連れて来て、1週間、時には2週間ほど面倒を見ていたけれど、そうじゃない。すべて私のためだった。わたしが十分な愛と平安をおいてもらっていた。すべて神様がそうして母をおいてくださった。
そうでなければ、私は母を追って撮ることもしなかっただろうに。若い頃は子どもたちに厳しい母だった。しっかり者だった。よく働いた。その母が後年は躁鬱の病になって、煩わしいことを忘れて、良いことの記憶だけが残り、いつも父の帰りを待って・・・・そんな母に代えてくださったのも、すべて神様あなたのご計画でしたね。
と、一枚の写真に思いをはせています。ドルカス