聖書の地であるエジプトやイスラエルに行くと、だいたいが乾燥地で黄土色の不毛の荒野である。11月から4月にかけて雨が降るが、降っても少なく、残りの半年以上はほとんど降らない。大地は枯れかけた草が点々とあり、樹木のほとんどはアカシアの灌木である。水や草さえあれば、農業が可能となり、羊にも飲ませ、人も動物も生きることができる。この地域、水はまさに命の源である。(※写真上はイスラエルの水源であるヘルモン山への風景、下は同じ水源であるゴラン高原。水源地といってもこんな景色なのだ。)
対するに同じアジアの反対側には、国全体が緑の植物で覆われた奇跡のような国がある。この国の緑は、荒野の国から見れば驚異であっても、住んでいる民には字違いの脅威である。暑い夏の雑草刈りほどの苦役はない。刈っても刈ってもすぐまた生えてくる。果てしない徒労感が湧いてくる。無論緑を見るのは
心休まるが、しかしぞっとすることも事実だ。水多く、草深い緑の国のこの気持ち、きっとあ
の国々の人たちには「わからないだろう」と思う。 (ケパ)