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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ポピュリズム

2016年08月03日 | 示されたこと
アメリカでの大統領選が、二大政党の候補者が決まってからいよいよ本格化している。
アメリカの大統領選は、あらゆる意味でこれからの世界の運命を決めて行く、重要な意思決定である。アメリカは世界の経済・軍事を牛耳る圧倒的なNo. 1、最強国である。だから世界の警察官を自認していた。中でもNATOの盟主であり、日本の同盟国であることは重要である。

ところがこの国の一方の雄、共和党の大統領候補にまさかのトランプ氏がなってしまった。彼には行政も政治の経験もなく、あるのは不動産王としての潤沢な金とTV番組の司会などのマスコミ経験である。どのような人物なのか?これは大統領候補の受諾演説である。

このような、歴史上誰もが成し遂げられなかったこと、できるはずのないことをヌケヌケと言って、ただ当選することだけをめざす、人々の支持を得ようとする、これをポピュリズム(大衆迎合主義)と言う。こんな人物がアメリカ二大政党の大統領候補者になる・・・超信じられないことだ。

世界の終わり、終末の時代にはロシアの名はあってもアメリカが登場する記述はない。これはもう、アメリカを幕引きして、表舞台から外してしまい、預言された時代の舞台作りが着々と進んでいるとしか思えないではないか!


ケパ
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人生の終わりをどう迎えるか

2016年07月25日 | 示されたこと

今NHKの大河ドラマ「真田丸」の次週では、おそらく太閤秀吉の最後になる。思い出すのは、秀吉の辞世の句「露と落ち 露と消へにし わが身かな 浪速(なにわ)のことは 夢のまた夢」である。夢のまた夢・・・・。何という空しさであろうか。

そしてつい最近没した永六輔さんも、加藤登紀子さんに次のような未完の歌詞を残したとNHKが伝えた。 「淋しさには耐えられる 悲しみにも耐えてみよう 苦しさにも耐えてみて 耐えて耐えて 耐えられないのは虚しさ 虚しさ空しさ 虚しさが耐えられるのは ともだち あなた 戦う心」。(下写真は、歌詞の公開を告げたテレビ画面) この二人、だいぶん人物のタイプも時代も違うが、名が通り、成功した人ということだけが共通している。それにしても、成功したはずの人生の終焉を迎えるに当たって、この寂寥(せきりょう)感、に、息が詰まりそうになるではないか。この二人だけでない、人生の多くの成功者につきもののように思える。私たちはこの世での成功を、死後の世界にまでは持って行くことはできず、裸で生まれて・・・・次の世界にもまた、裸で行くのだ。


ではいったい何を持って行ける? と思う時、それはこの世で為したことと、この世でのたましいだけであることがわかる。それなら、この世で自分が為したことが天国に行けるかと問われれば、それは到底不可能だとしか思えないはずだ。なぜなら、少しは善いことや社会に貢献したことがあったとしても、大部分は自己中心の行いであり、それは罪であるからだ。ねたみうらやましいと思う心、物質欲、性的な欲望、人の心を省みない言動・・・・などなど。こう言うと「人は皆そんなものだ」と言うだろうが、どっこい天国は己が選べる道ではなく、審判され許されて行けるところである。ならばこのような道徳的罪人が行くところが天国であるはずもない。それどころか私たちの内に働く「自己正当化」というおめでたい健忘症があって、実際、多くの罪を見事に忘れているものだ。この世で良い思いをした人は、清算された次の世では、その酬い、リバウンドを恐れるのは当然だ。

聖書ではすべての人が罪を犯しており、そのままでは天国に行かれないことを明言している。かつ神を信じるには特に成功者とか賢い人など自分の判断、見識に頼るような人・・・について、「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それは彼らには愚かなことだからです(1コリ2:14)」とある。つまり、この世の智者や成功するような賢い人は、なまじっか優れているばかりに、自分に頼って罪を贖うために来られたイエス・キリストを受け入れないと明確に書かれている。

秀吉は自分の権力と知恵に頼った結果、凄惨な朝鮮征伐を起こし、秀次など多くの親族を抹殺し、千利休を殺し、長崎は西坂の丘で26人のカトリック信徒をはりつけにした。全く違うが世を明るくした歌詩の天才も、死後の世までは明るい言葉で照らせなかったのかも知れない。救いの十字架は、この世に望みの無い失敗者、貧しい人々の方が近いもののようだ。

神に献身した真のクリスチャンは、死を恐れないどころか、逆に天の父の父なる神の身許に行ける喜びであふれている。どうして死を前にして虚勢や建前でとりつくれようか。もしあなたに空しさ、死後への恐れがあるとしたら、迷わずあなたの罪の身代わりとなって死んでくださって、すべての罪を十字架で赦し、天にふさわしい罪の無い者としてくださったイエス・キリストを信じて欲しい。その十字架や救いは教会に与えられているものなので、異端ではない正当なキリスト教会に属してほしい。ただ信仰は、立派な会堂や建物にあるのではなくて(えてして逆である)、あくまで中身、信仰そのものが生命線だ。見かけで無く本当の信仰がある教会に導かれて行ってほしい。

こうしてみると人の体に必ず終わりが来るのは、次に来る永遠の世界があることを教えてくれているのだ。神はひとりとして人が滅びる(地獄に行く)ことを望んではおられない。十字架はすべての人のためであることも聖書に明記されている。      ケパ

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熊本地震について

2016年04月21日 | 示されたこと
熊本は「名水百選」での選出数No,1である。阿蘇の恵み受け、緑の大地、湧水や温泉に恵まれていた。その熊本が今回の大地震で最も苦しんでいるのが、《水》であると熊本の友人が現況を知らせてくれた。ライフラインの中で最も遅れており、友人はほぼ私費でかけ合って水を箱買いをし、同じ県内なのにマイカーで大渋滞の中を一日がかりで届けたりした。現地で受け取ってくださった方は泣いて喜んでくださった、とある。モノもあるだろうが、心も届いたにちがいない。遠く離れた私には、祈ることと献金することしか出来ないのだが。

全く話は変わるが、これがもし首都圏で起こったら、と想像すると、なんと熊本の数百倍の人口である。熊本という、十数万の地方都市でかつ、対策本部である政府が機能していてこれだから、首都圏の場合おそらく全世界が駆けつけても、全くの不足だろう。あまりにも多い救助場所や各避難所への配送(ロジスティクス)がある。つまり支援は実のところ、ほとんど期待出来ないと予想しなければならない。ならば生き残った者は、首都圏の場合、助けを当てにするのではなく自らで生き、助け合うしかない。地震が収まるまで最低3日間分の水、簡易トイレ、食べ物や寒さ対策を用いて生きなければならない。携帯機器が使えない状況も想定した上で、家族が再会する手順、つまり自宅、一時避難所、連絡メモ場所などを決めておかなければならない。
その上で、余力がある間に、首都圏を至急に脱出する必要があると私は思う。なぜなら、避難所においても物資は不足するだろうし、ライフラインの復旧は数ヶ月、数年はかかると思われるからだ。避難所に留まっていて、その状況の先になにが起こるか、想像できる事態は恐ろしいものだ。だから避難所に残る方は、身体が動かない方とその介助者、真に地方に当てのない人だけが残るべきだと思われる。熊本でのことが特別なのではない。

またたとえどのように備えようと、明日の命が自分でもわからないことは明らかだ。ビルのコンクリート天井が崩れてきたり、車に乗っていて橋桁ごと落下したのでは、それまでである。だから自分の命が永遠にあると思わず、肉体の命が滅んだ後の、魂の行き先を確保しておくことも大切だと思う。これは、肉体の命がある今でしか出来ないことなのだ。そこで確かなことは、世界で最も間違いのない行き先、キリスト教の天国である。これは多くの人々によって検証し尽くされた教えであり、人類最古の四千年の歴史と不変の唯一の聖典、聖書があり、かつ世界最大の人々の信仰なのである。これをチェックしないのは、あまりにも井の中の蛙ではないか。ぜひ教会を訪ねてほしい。もし信仰を強制するような教会があれば、そこは名だけの偽りのキリスト教会で、どこえなりとも告発してほしい。





ケパ
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勝負は、読みと予知で決まる

2016年03月19日 | 示されたこと
私はテニスが大好きな牧師である。何しろ46年もずっと続けている。しかもシングルスを得意とするプレーヤーでだ。

試合には勝つには強打で打ち勝つか、「柔よく剛を制す」風のコントロールで勝つのが普通だ。しかし年齢を重ねていくと、勝負では試合運びというか、「読み」がいかに大切かということを痛感する。

ご存知のようにシングルスではコートが広い。つまり相手が右か左か、どのサイドを狙ってくるかがわかっているかいないかで、ほぼ勝負が決まる。わかっていれば、捕球ができるだけでない、たちまち形勢逆転、以後の展開を主導できるからだ。

二十歳の時にクリスチャンになった私は、それから三十年もたって、聖霊の神さまを知った。キリスト教の神は父・子(キリスト)・聖霊の三位一体であって、それまではただ、知識で知っていただけだった。求めてそうなるまでにはずいぶん時間もかかったが、その聖霊さまを中心とした早天の祈りのすばらしい交わりの中で、聖霊さまは実に多くの言葉を私に語ってくださった。その中の一つに、『これから私に起こること』があった。

「あなたは(重大な)選びをするようになります」「結婚します」「牧師として東京へ出て、多くの学びをしますが、それは一つの段階にすぎません」「しばらくして牧会に立ちますが、そこが・・・」…etc。当初はまったく理解できないものもあったが、後になって語られたこれら全ては、ただ一つのことを除いて、すべて実現していた。実際、振り返ってみると身震いするほどである。と同時に、神は自分に従おうとする愛する子には、すべてを語ってくださり、備えをさせてくださることがよくわかる。「あらかじめわかっている」、これはテニスのように、人生の勝利の秘訣である。実際もし、これらのことが予告されていなかったとしたら、私はそのすべての選びとチャンスに失敗していたと思う。

『せかいのおわり』パウロ秋元著(雲の間にある虹出版)という新著が出た。副題に「これから起こること 聖書」とある。黙示録を読んでも、少し前まではわからなかったいろんな事が、今やどんどんクリヤーになってきた。世界の終わりは間違いなく今の時代にやって来るだろうし、それに対し、あらかじめ教えられて知り、御心の対応をして備える者には、神が勝利を与えてくださるための書物であると私にはわかる。
まずはご一読を。論議はその後で。

ケパ



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「たといそうでなくとも」安 利淑(アン・インシュク)著・・・・私の小さなわだかまりの解消

2016年03月08日 | 示されたこと
 四十年以上前の話である。私が大学を卒業して広島に戻った頃、キリスト教書店に表題の本が並んでいて、ずいぶん厚い本だったが、買って読んでみた。内容は戦中に日本統治下の朝鮮で行われた、朝鮮人クリスチャンへの迫害を綴った証である。筆者は若い女性で、ほかの多くの朝鮮人キリスト教教役者(牧師)たちと同様に、殉教を覚悟して収監された。とくに私の心に残ったのは、監獄では聖書が許されないので、あらかじめ聖書の御言葉を徹底的に覚えたということだった。「そういう状況になったら、それしかないだろうな」私もそう思って、聖書をますます学ばなければという思いを抱いた。

 それにしても彼我の大きな違いである。この戦時下で、同じキリスト教への弾圧でも、日本ではほとんどの教派・教団が軍部の指示通り「日本基督教団」を作り、憲兵を恐れてご真影を会堂に奉り、いわば信仰を曲げて温存を図り、難を逃れた(ホーリネスなどの一部は加入せず、何人も教役者に殉教者を出したが)。しかし朝鮮ではキリスト教徒を苛烈に弾圧し、日本のキリスト教会はこれを見て見ぬふりをして助けなかった。この本にはそのことが白日の下にさらされている。日本のクリスチャンの助けを得られなかったこと、にも関わらず若い女性が死を恐れず、信仰によって立ち向かったこと‥…など。

 本を読んで間もなくである。その著者の安 利淑女史が広島にも巡回してきて、主だった教会で講演会を開いた。もちろん私も出席した。しかし、すぐに利淑女史の厳しい断定的な口調や、私たちの信仰の生ぬるさを裁いたような態度に、その場にいたたまれない気持ちになった。私としては彼女は迫害を耐え抜いた立派な信仰者なのだろうが、謙遜とは程遠い「なんという高ピシャな人なんだろう」という感じである。しかし彼女につらい思いをさせた日本人であるが故、それももろに言えなかった。たぶん私だけでなく、講演を聴いた他の多くの人も私と同じように感じたはずである。以来、その分厚いその本は誰かにくれてやったのだろう、手元にはなくなり、私の記憶にも無くなっていた。

 ところが最近この群れで「第6回白馬クリスチャンフィルムフェスティバル」というものがあって、そこでこの忘れていた「たといそうでなくとも」のショートムービー作品が上映された。久しぶりに昔のことを思い出し、またかつて自分が感じていたことを振り返ることができた。そしてわかってきた。何が?以下のことである。
 今の私は、もうかつての信仰ではない。聖霊のバプテスマを受け、Born Againした、いわばカリスマ派の信仰である。その私は今、かつての自分の信仰のようなクリスチャンに対し、あの時の安 利淑女史と同じような気持ちを自分の中に見るのである。もし、配慮もなくもろに口に出すのであるなら、まったく同様な感じになるだろう。聖霊に導かれた信仰の偉大な証人、安 利淑さんへの私の小さなわだかまりが、氷解した瞬間であった。
<参考 :下記のURLでショートムービーが観られると思います>
http://movie.antioch.jp/hcmf2016/

ケパ


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昭和天皇への個人的な謝罪

2016年02月24日 | 示されたこと
本日、気になっていた今月号の文藝春秋に載った渡辺和子「2・26事件 娘の八十年」を読んだ。
昨年の映画「日本で一番長い日」、一昨年では「終戦のエンペラー」と映画で大いに自分の過ちを思い知らされたが、またしても・・・である。

第二次世界大戦の終結が1945年の8・20なら、1936年の2・26事件はその幕開けようなものであろう。陸軍将校の一部が率いる1558名の兵士らが、政府の主要な大臣たちをテロによって、抹殺しようとしたのである。渡辺和子さんの父も当時の教育総監で、自宅にいる和子さんの眼前で射殺されている。時に七歳であった。

後に戦時にも関わらず洗礼を受け、シスターとなり、数々の著作で有名なこの渡辺和子さんも、昭和天皇に対して尊敬の念を隠さない。それは2・26事件に同情的な軍部に対し、業を煮やした昭和天皇が直々に断固鎮圧を命じたからである。これで一転、決起した彼らは憂国の士から謀反人となり、反乱は鎮圧され処刑され、遺族の名誉は回復された。しかし、結局のところこの事件で一層の拍車がかかってしまった軍部は、無謀な戦いをひた走ることになってしまった。

この昭和天皇を若かった私は、何百万人も死んだ先の大戦における最大の戦争犯罪人だとみなしていた。知らないというのは、げに恐るべきことである。広い目で言えば同じキリスト教徒の渡辺さんの目からも、昭和天皇は正しいお方であった。天皇を神格化するのは大反対だが、今私は、過去の自分の誤った見方をお詫びし、悔いたい。この方が居たから、戦争を終わらせることができたのだ。日本を救いこの国が残ったのだと。 ケパ



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召天された二人の牧師を送る会~また会う日まで

2015年12月12日 | 示されたこと
今朝、東京アンテオケ教会での送る会に出席してきた。

三木牧師は私の主の十字架広島時代に四年以上、親交を深めた兄弟で呉での葬儀にも参加してきた。一方の菅牧師は今回のイスラエル派遣を共にし、ほんの少し介助のお手伝いをしたりもした。

三木牧師は明るい人柄であるだけでなく、呉の海岸から向かいの江田島まで、夜の海を数キロを泳いで往復するほどの現役の鉄人だった。主の十字架でもっとも屈強な男だと私は思っていた。が、あっという間に心筋梗塞で召された。またサムエル菅牧師は十年も前、脳出血での全身麻痺から半身の回復、さらには祝祷なども一人でできるようになったという奇跡的な癒しを体現された方であった。このお二人が一日を挟んで相次いで召された。一人はもっとも身近な自宅で、一人は何とエルサレムで。ある意味で対極的なお二人の、今回のこの天へ凱旋には神からの大きなメッセージがある、そう誰しもが感じられたはずである。しかしそれが何なのか、祈っているが未だ判然としない。

ただ今はっきりしていることは、いつ召されるか、それは神の主権であり最善であるのだが、いつ召されても良いように、人間的な計画を放棄し、すべてを主に捧げ、精一杯主にお仕えしたいこと。栄光は神のもの、すべての栄光を神に帰せるように、いささかでも高ぶらないように、この一瞬一瞬、全て主のものであるように、と祈りに導かれていることだ。 ケパ



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セレブレーション オブ ラフ会場です

2015年11月21日 | 示されたこと
今会場に入りました。
昨夜はオンラインで観ましたが、生で見られることを感謝します。

ケパ




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マイナンバーと世界の終わり

2015年11月19日 | 示されたこと

マイナンバー(個人番号)が私にも届いた。この12桁の数字は、どうやら生涯不変で、国民総背番号みたいなものらしい。そして説明書を見る限り、運転免許証以上の最強力な公的証明カードであり、住民票などの交付発行カードともなり、税金関係や将来的には保険証代わりにもなるという恐るべきウルトラカードである。国会を通ったものであり、もはやこれは従うしかない。

私が一点、このマイナンバーを評価するのは、税金逃れなどの社会的な不正が、一網打尽に是正される期待があることだ。教職をしていて、家庭訪問をすると、ベンツが何台も突っ込んであって、部屋には百万円札束がゴロゴロ転がっているような家でも、なんと給食費などが無料になる就学援助金を受けていたケースがあったからだ。

マイナンバーに話を戻す。実際に有効に用いるためには、送られてきた番号の紙の札ではなく、顔写真付きのカードにした方がおすすめだった。それで私は早速iPhoneで写真を撮って、そのままiPhoneで即カードの交付申請をした。これが超速攻で便利。で、来年1月から発行されるカードにはICチップも付く。さぞかしいろんな個人情報を格納することだろう。また気になるセキュリティだが、見た限りではかなりのレベルであり、大丈夫そうだった。このセキュリティ上の問題は、このカードを所有する人の使い方にあって、間違っても人に預けたりしないこと。またもし証明の必要があって机上に置くことはあっても、公的な機関以外には個人番号の記載のある裏面を見させないことだろうと思った。

ところで私は牧師なので、ICチップのこのカードを見ると、そして犬や猫にICチップが埋め込まれるこの時代、つい聖書の黙示録の一場面を連想してしまう。
「小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた(13章16節)」
この「刻印」がICチップではないと、誰が言い切れるだろうか。これを体に埋め込んでないと(つまり本人証明ができなければ)「売ることも、買うこともできない」時代になるのかも知れない。

また中東のシリアでは、ロシア機の爆破、先のパリでの連続テロを受け、世界中の国々が集ってシリアのISに攻撃をしかける新たな展開が始まった。これも下に掲げるエゼキエル書の38章15節を想起する。
「あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る(エゼキエル36章15節)」

実際にこの預言が成就するのはもう少しだけ先のことだろう。しかし私たちが生きている近い将来「あり得る」展開となってきた。ただ相手がシリアのISから今、世界中から嫌われかけている隣国のイスラエルに代わるだけなのだから。聖書が警告している世の終わり、全世界的な艱難時代とリバイバルがほとんど目の前に近づいてきたことだけは、確かなようだ。 ケパ



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わっ‼️ラッキーでいいの?

2015年11月16日 | 示されたこと
と、喜んで良いのかしら。
派遣中に不在届が入っていて、すでに預かり期限済み。追跡番号もなく取り敢えず、🏣に問い合わせたら、⁉️❓で、すでに品物もこちらにはないって。差出人に問い合わせてくださいとの返答。
でも、送り主は「ふるさと会」私注文はしてるけど、心当たりありません。
調べていただくと、甥の頼みで購入しているゆうパックのふるさと会四年継続会員様へ、プレゼントですって。
丁寧に「こちらで再配達手続き致します」と、届くのを待ってやっと先週末に届いてきました。「ル•クルーゼオリジナルシリコンスチーマー」

赤くて可愛いじゃないの。野菜スチームして、ホットサラダ作ろうかな。
なんて喜んでいたら、昨日夜帰ると、また郵便物お預かりが入っていて、よく見るとまた同じ、「ふるさと会」から。
「ねえこれ絶対同じものだね。どうしよう、ダブって送ったのかも。配達担当も同じ人だね」
で自動受付で今日の午前配達に依頼してもらった。それと同じに色違いの書留不在票も入っていて(マイナンバー専用)だっていよいよ来たね。しかしなぜかこちらは再配達は翌々日配達指定。
二回来てもらうの、不便ねえ。

今日は午前中出かけたいのに、なかなか来ないな。と思っていたら、来た。

ほ~ら やっぱりねえ。同じプレゼントが届いた。
おかしいね。ちゃんと連絡したらその品物はすでに送り主に戻しました。と船橋では答えてくれて、ふるさと会では「わかりました。再配達手続き私が致します」と担当者が丁寧な答え。
だから間違いなく届く手配したのよ。どして二つ届いたの?
配達員にもう受け取ったと見せたら、「いいんじゃないですか」って
まぁ返されても困るんでしょうけどね。
そして言うの。
「もう一枚不在入れましたが、一緒にお届けしたかったのですが、依頼がなくて‥」と、「昨夜は遅かったので、24時間自動受付利用して2通ぶん連絡しましたよ」と答えた。どうもこの方法では、配達員に伝わらないらしい。明日は明日の配達連絡があるのでしょう、「明日もう一度届けますって」なんだか体制がチラ見えたと言うか‥‥
私には見えないけど、万全な方法で品物を届ける為にいろいろなルールがあり、マニアル通り行なっても、二度手間だったり、ダブったり。でも末端の担当者には責任が取れない。任された任務を全うするのみ。それぞれなのね~

そしたらこんな思いが横切った。
耳をダンボにして、真っ直ぐ神を見つめていないと、私の使命を見落としてしまうから、目を覚ましてなければ。
「リバイバルは始まりました」この言葉を受け止めたのだから。「主の通られる道を真っ直ぐにせよ」と言われたのだから。祈り備えていこう。その時になって間違えました。も一度来ますとは行かないからね。
ドルカス


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