ここイスラエルは、聖地である。だからエルサレムでは、ここがキリストが歩かれた道(ドロローサ)、十字架に架かられた所(聖墳墓教会)、主が囚われペテロが泣いた所(鶏鳴教会)とされ、またTabgha(タブハ)でもそうなのだが、イエスがかの有名な山上の垂訓を垂れた所(垂訓の丘教会)、カペナウムのここがペトロの姑たちの家、五つのパンと二匹の魚を分けた所(五つのパンと二匹の魚教会)云々と道案内される。(写真はアルベル山上での礼拝)

しかし実際の所、それらはすべて疑わしい。ゴルゴタの場所とされ、もっとも確実だと信じられている聖墳墓ですらも、コンスタンティヌスの母ヘレナが326年にエルサレムを訪れ、散々探し回って、らしき所にあたりをつけたにすぎない。だからガーデンチュームという、ライバルの存在もある。
ただ、聖書のこれらのことがらがあった、というのは真実なので、拝礼の対象として「この辺りでしょう」ではまずいので、「ここです」と決めつけたとしか思われない。だから私はそのような特定された場所、モノを拝礼することに強い違和感を持つ。だいたいの目安としての意味はあると思うのだが。
しかし中には確実な場所もある。それは神殿の丘、エルサレムの各門(門の場所であって、門の形ではない)、オリーブ山などである。またガリラヤでは、カペナウムやコラジン、マグダラなどのやや広めの遺跡群である。しかし山上の垂訓や五千人の給食など、特定できるはずがない所は、だいたいこんな感じだったのだろうという程度でよい。
しかしたとえそうであっでも、オリーブ山で神殿の丘を望みながら、またガリラヤ湖畔に佇みながら祈るならば、なんとも言えない臨在感が迫り来るのは大きな恵みである。また「ああ、この景色をイエス様も見られていた」と、神が二千年もよくぞ保存してくださったと、心から御手に感謝が沸き起こる。そういう意味で聖地はやはり、聖地であり、聖書が事実であり、真実であるかけがえのない証拠として今も存在をしているのだ。 ケパ

しかし実際の所、それらはすべて疑わしい。ゴルゴタの場所とされ、もっとも確実だと信じられている聖墳墓ですらも、コンスタンティヌスの母ヘレナが326年にエルサレムを訪れ、散々探し回って、らしき所にあたりをつけたにすぎない。だからガーデンチュームという、ライバルの存在もある。
ただ、聖書のこれらのことがらがあった、というのは真実なので、拝礼の対象として「この辺りでしょう」ではまずいので、「ここです」と決めつけたとしか思われない。だから私はそのような特定された場所、モノを拝礼することに強い違和感を持つ。だいたいの目安としての意味はあると思うのだが。
しかし中には確実な場所もある。それは神殿の丘、エルサレムの各門(門の場所であって、門の形ではない)、オリーブ山などである。またガリラヤでは、カペナウムやコラジン、マグダラなどのやや広めの遺跡群である。しかし山上の垂訓や五千人の給食など、特定できるはずがない所は、だいたいこんな感じだったのだろうという程度でよい。
しかしたとえそうであっでも、オリーブ山で神殿の丘を望みながら、またガリラヤ湖畔に佇みながら祈るならば、なんとも言えない臨在感が迫り来るのは大きな恵みである。また「ああ、この景色をイエス様も見られていた」と、神が二千年もよくぞ保存してくださったと、心から御手に感謝が沸き起こる。そういう意味で聖地はやはり、聖地であり、聖書が事実であり、真実であるかけがえのない証拠として今も存在をしているのだ。 ケパ