写真は、フラメンコの仲間からいただいた、ペルー土産。
地震の時、私は、村井さんの客演のお芝居を観に行った後、友人とラーメンを食べていた。
グラグラグラときて、おさまったその時、相席になっていた隣の見知らぬ男性と顔を見合わせ、「ちょっと怖かったですね。」と言い合った。
その時初めて、私は隣でラーメンを食べていた人が、外国人であることに気が付いた。
「どこの国の人ですか?」と話し掛けてみる。
「ペルーです。」
「まあ、私、スペイン語を勉強しているんです!」・・・これがいけなかった。
実際勉強はしている。10年前はスペイン語学科に通い、今は毎週テレビでスペイン語会話を見ている。
しかしだ。大学の頃は授業をサボり、夕方になってから演劇の練習に行く日々。教育テレビのスペイン語は初歩的で、見てるだけでは、そうそう身につくものではない。
その人は、私の言葉を聞いて、スペイン語で話し掛けてきてくれたのだ。
「xxxxxxxx?」
「え?え?わからない。」
情けない。・・・これが私の答えだった。その後日本語で会話。かつて、ペルーやチリでおこった地震についても、一緒にいた友人の方が詳しかった。
・・・情けない。(思えば、あたいの人生なんてこんなもんだ。)と、内心ヘコんだ。
その人の名前は、あえて聞かなかった。だって、聞いたら忘れられなくなりそうな、魅力的なナイスガイ、スペイン語で言えば「GUAPO」だったから。
ちなみに、村井さんは客演先の当日パンフレットに、次回公演「CALL ME」を「COLL ME」と間違えて載せていた。こっちの方が恥ずかしいと自分を慰めてみるのであった。
地震の時、私は、村井さんの客演のお芝居を観に行った後、友人とラーメンを食べていた。
グラグラグラときて、おさまったその時、相席になっていた隣の見知らぬ男性と顔を見合わせ、「ちょっと怖かったですね。」と言い合った。
その時初めて、私は隣でラーメンを食べていた人が、外国人であることに気が付いた。
「どこの国の人ですか?」と話し掛けてみる。
「ペルーです。」
「まあ、私、スペイン語を勉強しているんです!」・・・これがいけなかった。
実際勉強はしている。10年前はスペイン語学科に通い、今は毎週テレビでスペイン語会話を見ている。
しかしだ。大学の頃は授業をサボり、夕方になってから演劇の練習に行く日々。教育テレビのスペイン語は初歩的で、見てるだけでは、そうそう身につくものではない。
その人は、私の言葉を聞いて、スペイン語で話し掛けてきてくれたのだ。
「xxxxxxxx?」
「え?え?わからない。」
情けない。・・・これが私の答えだった。その後日本語で会話。かつて、ペルーやチリでおこった地震についても、一緒にいた友人の方が詳しかった。
・・・情けない。(思えば、あたいの人生なんてこんなもんだ。)と、内心ヘコんだ。
その人の名前は、あえて聞かなかった。だって、聞いたら忘れられなくなりそうな、魅力的なナイスガイ、スペイン語で言えば「GUAPO」だったから。
ちなみに、村井さんは客演先の当日パンフレットに、次回公演「CALL ME」を「COLL ME」と間違えて載せていた。こっちの方が恥ずかしいと自分を慰めてみるのであった。