命のカウントダウン(健康余命3605日)

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受験の話2

2019-12-20 08:55:26 | 日記
1973、74、81年と3シーズン大学受験を経験したという話を過去にした。
1973年現役の時は どうせ絶対に受からないだろうと思っていた。
高校の先生に「お前が大学と名のつくところには入れたら、逆立ちして大阪一周したるわ!」と言われたくらいだったし、内申も5段階評価でオール3以下のD評価だった。(平均値:2.86だったかな)

だから、大学受験しないで浪人生活に入るつもりでいたのだけれど、父親が「受験しないで浪人なんて認めない」とのたもうた。

昭和の父親は、絶対的な権力を有していたのだ。
それで、私は仕方なく、自宅から一番近く、その時点でも願書が出せた国公立二次校の京都工芸繊維大学を受験した。自宅から200mくらいしか離れていなかった。

受かるわけなど全くないと確信していたので、前夜も近くの遊び仲間 ウラハマ君のところで徹マン。眠い目をこすりながら、何とか受けに行くだけは行こうと出かけたのだった。

ところが一限目の国語が思いのほか[歯が立った]と、感じた。
まあ、日本人だから、国語がわかるのは普通なのかもしれないと思った、そしてどうせ次の英語で奈落に落とされると思っていた。

ところが、ビートルズと睡眠学習でシケタン(試験に出る英単語」を聴いていただけなのに、英語の問題が「ある程度理解」できてしまった。

あれ、俺って・・・・ひょっとして、ひょっとすると・・・・???? 高校で全く勉強しなかったのに現役で国立大学に入れてしまうかも!!!残りの科目は、私の得意な数学、理科ではないの!!!

その思いは10分後に木っ端みじんに砕かれた。
数学の問題は問題の意味すら皆目理解できず、ようやく理解できたかなと思った問題は積分の問題。積分は微分の逆だということだけしか知らなかったので、「微分してこれこれになるのが答えである」 と書きました。  その次の理科も全く歯が立ちませんでした。

結局、その2教科ともに名前を書いて問題文を一通り読んだ後は寝込んでしまい、答案用紙はよだれでよれよれになっていました。

その、現役シーズンには余談もあります。

大学受験は一校だけでしたが・・・・・

滑った後、予備校に入るために・・・・予備校を受験

そこでも滑ってしまいました。

そこで・・・例の父親が一言

予備校に受からないということは・・・・・

お前には、大学を受ける準備をする資格すらないという事ではないのか?

私の体を稲妻が貫きました。近畿予備校恨むでよぉ!!

なかなか面白い父でした。

ユーモアのセンスは、goodでしたね!!

しかし、多分、彼はユーモアのつもりで言ったのではないと思います

正直な発言がユーモアに繋がった過渡期の発言だと思います。

いいのか悪いのか、今となっては分かりようもないですね、






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