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写楽湯遊

キャンピングカーで名所旧跡を訪ね、温泉に浸り、たまに山歩き、写真撮影、釣りなどを楽しんでいる夫婦です。

春の車旅・27日目(移動日)

2025年04月13日 | 車旅紀行
昨夜は道の駅・うきでP泊。
ここは人気が有りP泊車が多い。
昨夕温泉からの帰り道、辛子レンコンを製造・販売している店を発見。
私達は辛子レンコンは好きではないが、気になり立ち寄った。
試食が有り色々と味見すると、思っていた以上に美味しく見方を変えた。
辛口・甘口・ワサビ味・お肉入りなど色々有る事を知った。
味見して気に入った甘口は品切れだったが、5分ほど待つと出来ますとの事。
待っていると揚げたての熱々の辛子レンコンが出て来た。
その辛子レンコンとレンコンコロッケを買った。
車に持ち帰りカットして頂いたが、熱々の辛しレンコンは格別に美味しかった。
辛子レンコンに対する見方が変わった瞬間だった。



一夜明け道の駅の開店を待ち覗いた。
ここはデコポンが有名で量も有る。
妻はまたデコポンを買い込んだ。
お陰で今回の車旅はデコポンを始め沢山の柑橘類を、途切らせること無く潤沢に頂いている。
宇城を出発し途中の道の駅に立ち寄りながら北上。
旭志牛で有名な道の駅・旭志でランチタイム。


その旭志牛のガチャが自販機と共に置かれていた。
丸いボールに入ったガチャはよく見かけるが、牛肉のガチャは初めてである。
これで買う人が居るのか心配したが、目の前で買う人が居た!!
心配は無用だった。



折角だからとランチはここのレストランで頂いた。
と言ってもボリュームたっぷりのステーキと言う訳にはいかない。
懐具合と相談して頂いたのがこれである。
旭志牛のハンバーグとカルビ焼きだが、結構おいしかった。


そして道中、安いスタンドを見つけ燃料を補給しコインランドリーに立ち寄り洗濯を済ませた。
その後、今夜の塒に向かった。
今日は洗濯以外に立ち寄る所も無く移動日で終わった。





春の車旅・26日目(曽木の滝・遠山桜まつり)

2025年04月12日 | 車旅紀行
昨夕曽木の滝の駐車場に到着しP泊の了解を取ったが、その際に朝は霧が出ますよと教えられた。
広い駐車場にP泊したのは私達の車1台だけだった。
朝起きて周りを見渡すと教えられた通り周りは霧で霞んでいた。


これでは滝は見えない。
朝食を終える頃になると段々と霧が晴れてきた。


少し霧が残っているのも風情が有ると、滝を一回りした。
これは一番上流部で、水量が多い!


一本松の静と滝の動との対比が絵になる。


ここを訪れ歌を詠んだ白蓮の碑が有り、興味深く読ませてもらった。


今日は15年程前に茶畑と桜の写真を撮りに訪れ、その後何度も訪れた桜を訪ねた。
その際に知り合った桜の持ち主の方が私のブログをみて、九州に来ているなら立ち寄るようご連絡いただき、そのお言葉に甘えて訪れました。
その桜は持ち主の名を冠して「遠山さくら」とよばれ、地域の名所になり道路案内標識にも掲示されている。
さくらの前に茶畑が、その後ろには新緑の萌黄色と霞んだ山並みが広がり、一服の絵を見るようです。

桜は八重桜で五部咲きの一番見頃だった。
そして、今日は「遠山桜まつり」の初日だった。




当時の桜は台風などで傷み枯れてしまったが、茶畑の向こうに二代目の桜が見事に咲いていた。
二人ずれが記念写真を撮る姿に、桜も茶も喜んでいるように感じた。



夜明け前後の朝焼けと遠山さくらとの共演は見ごたえのある写真になる。
到着したのは10時過ぎで、朝焼けの時間では無かった。
昼間でも青空が広がっていると桜が映えるのだが、残念ながら曇り空だった。
でも、何度もお世話になった桜の持ち主であるご夫婦に会えたことが嬉しかった。
次の再会は何時になるか分からないがお別れし北上を再開。
その通り道、日本で唯一の幸福駅とうたわれた駅を発見。
幸福駅は北海道に有ったが、今は廃線になり駅跡しかない。
その名前に魅かれて立ち寄った。



名前の由来が書かれており、平成元年に出来た新しい駅だった。



丁度列車が到着する時間だったので、我が車を入れて記念撮影。


面白そうだと立ち寄る気ままな旅の毎日です。
そして北上再会、今夜の塒に向かった。


春の車旅・25日目(知林ヶ島で遊ぶ)

2025年04月11日 | 車旅紀行
今日から鹿児島を北上し帰路に着く。
帰路に着くと言ってもダッチロールの旅は続く。
指宿を出発して直ぐの「知林ヶ島」に立ち寄った。
知林ヶ島には以前も立ち寄ったが、風に吹き飛ばされた砂が頬に当たるほどの強風で断念した思い出がある。
今日は打って変わって風も弱く、穏やかで最高の天気だった。
この島は無人島で大潮から中潮の干潮時に、長さ800mの砂の道が出現し歩いて島に渡る事が出来る。
陸と島が繋がる事から縁結びの島とも言われ人気がある。
今日から大潮でお昼過ぎが干潮だった。
10時過ぎに立ち寄ると砂州は現れていたが、完全には繋がっていない。
そのため渡っている人は居なかった。


その後10分ほど経つと待ちきれず裸足になって渡る人が出始めた。


更に10分ほどすると靴を履いたままでも渡れるようになった。


やがて完全に砂州は繋がり、砂州に描かれた波紋も綺麗だ!



この写真は沢山の人が知林ヶ島に向かう様子を、渡った先の知林ヶ島から陸に向かって撮った眺めです。


島の入り口にはガイドが居て、観光客に島の案内をしている。
島には300段余りの階段が設けられ、登る事が出来て一周するコースが有るそうだ。
でも台風などで崩れ、今は登る事は出来なかった。


800mほどの砂州だが歩くのは結構大変で、ここ迄歩いてきた人向けに渡島証明書を有償(¥100-)で発行するサービスを行っていた。


折角だから私も証明書を発行してもらいました。



その時に教えられたのが標高215mの魚見岳で、車で簡単に登れ知林ヶ島と砂州を見る事が出来ると言う。
早速車で登ってみた。
向こうに見えるのが知林ヶ島である。


知林ヶ島が砂州で繋がっている眺望は中々良い!
歩いて渡った砂州の感触を思い出しながら、暫く眺めていた。



その後、次の目的地に向けて移動。
途中で大きな水車を見つけて記念撮影
丸印は妻だが、それから水車の大きさを推し測ってください。



そして今夜の塒に向かった。



春の車旅・24日目(枕崎・指宿 散策)

2025年04月10日 | 車旅紀行
今日の天気予報は終日曇り時々雨だった。
その様な天気で今日をどう過ごすか家内と協議した。
妻は砂風呂は何度も入っているのでパスして良いと言っていたが、ここまで足を延ばす事は今回が最後かもしれないと、砂風呂に入る事が決まった。
そして、枕崎に行って鰹のびんた料理を食べる案は二人して意見が一致、直ぐにまとまった。
先ずは枕崎に行きびんた料理を食べて、そして指宿に引き返し砂風呂に入る事にした。
枕崎に向かう道中の両側にはずうっと茶畑が続いていた。
荒茶出荷量が静岡を抜いて日本一になったそうだが、この広がりを見て納得。



枕崎ではびんた料理の前に、芋焼酎の白波で知られている薩摩酒造花渡川蒸留所 明治蔵を見学した。


蔵の中は見学コースが設けられており、自由に見て回れる。
ミニチュアの人形で焼酎造りの工程が分かり易く展示されているのも良い。



ずらりと並んだ仕込かめは圧倒される。


ひたむきに薩摩焼酎を造り続けたと、その歴史の重みを感じさせられた!


ここには92段の階段で登る展望台がある。



そこからは枕崎市内が見渡す事が出来る。
年に数回ほど屋久島が見える時も有るそうだ!
残念ながら雨模様の今日は何も見えなかった!



見学コースの最後には焼酎の試飲コナーが有る。
勧められるままに妻は原酒の37度から調整された25度の3種類を試飲!!
味はそれぞれ違うが美味しいと言う!
アルコールに弱い妻は良い気分になり、子供たちにと4本購入!



次に向かったのは鰹のびんた料理である。


期待したびんた料理がテーブルに並んだ。


びんたの食べ方と効能がテーブルには置かれていたが、店員が更にその説明までしてくれた。


その指導に従って箸でほじくりながら時間を掛けて味わった。
鰹のタタキは言うまでもなく凄く美味しかった。
びんた料理を堪能してから指宿に向かった。
開聞岳を望む駐車エリア等で休憩をとりながら走行。


指宿の砂風呂は以前に入った事が有る施設だった。
その時は砂に埋もれている私達をカメラで撮影してくれるなどのサービスが有った。
でも今回撮影は一切禁止され、残念ながら写真は無しである。
その後、今夜の塒に向かった。


春の車旅・23日目(万世特攻平和祈念館・知覧特攻平和祈念館)

2025年04月09日 | 車旅紀行
昨夜P泊した吹上は毎年「吹上浜砂の祭典」を5月の連休に開催している。
道の駅にも小さな砂像が展示されていた。


その砂像の製作中を覗いてみたいと吹上浜に行った。
ところが何も無い。
近くで釣りをしている人に尋ねると今年は吹上浜ではなく、砂を運んで市の中心街で造っていると言う。
ここの浜で造るから良いのであって、町中での砂像なんか見に行かないと憤慨していた。
と言う事で砂像造りを覗く事ならず知覧に向かった。
出発して直ぐに万世特攻平和祈念館を発見。
知覧の特攻平和祈念館は見ているが、ここは見ていない。
急遽見る事にした。


ここから特攻で空に散った201名の思いが遺されていた。



ここは知覧と違って来館者は少なく、ゆっくりと周る事が出来た。



平成になって海中より引き上げられた零式三座水上偵察機が展示されていた。


遺書などは撮影できませんが、時間を掛けて読ませていただきました。
家族などに宛てた遺書が展示されており、それを読むと妻は涙が溢れて暫く佇む。
以前訪れた事が有る知覧平和祈念館に行こうと言う私に対して、妻は涙が止まらなくなるからもう充分と言う。
それを押し切って二度目の知覧平和祈念館に行った。
同じ様に零式戦闘機の展示がある。


ここではこの悲惨な特攻の史実を語り伝えるためのプログラムが用意されていた。
85歳の語り部が30分に渡り、特攻の生い立ちから背景や隊員の思いなどを映像を交えながら切々と語った。
これは聴く価値が有った。
出撃命令が出る前の2~3日を過ごした三角兵舎が復元されていた。


寝床はこの様になっていて、ここで家族あてに手紙や遺書を認めたと言う。



今日は二ヶ所の特攻平和祈念館を巡り、観光とは違った一日になった。
知覧平和祈念館を出たのは5時少し前だったが、折角だからと武家屋敷庭園を回った。
時間も時間だったので観光客は殆ど居なかった。
でも、道路の真ん中で猫が歓迎してくれた。


ここも二度目で感激は少ないが、そこそこ楽しめた。




そして今夜の塒に向かった。


.風景写真

四季の風景写真