写楽湯遊

キャンピングカーで名所旧跡を訪ね、温泉に浸り、たまに山歩き、写真撮影、釣りなどを楽しんでいる夫婦です。

東日本大震災から10年

2021年03月13日 | その他

東日本大震災から10年の節目を迎え、当時の事を昨日のように思い出しました。

この未曾有の災害については5年前にも投稿しましたが、風化しないよう再投稿します。

当時は次の様な状況でした。

私の妻の実家は陸前高田市でしたが、津波で壊滅的な被害を受け街全体が消えてしまった悲惨な映像がニュースで次々と放映されていました。

しばらく安否確認が取れなく、心配が募るばかりでて眠れない日が続いていました。

家は津波で全て流されたが、実家の皆さんや従妹たち全員の無事が確認でき、胸を撫で下したのは地震発生から5日後でした。

直ぐに飛んで行きたかったのですが道路が寸断され、燃料の軽油も入手困難で断念せざるを得ませんでした。

災害緊急電話が被災地に設置され一人2~3分通話が出来、必要な物資を聞いてそれらを買い求め、行く準備をしました。

友人からも心配して電話を頂くとともに、沢山の救援物資や義援金を頂きました。

軽油はガソリンスタンドに長時間並んでもポリタンクに20リットルしか買えない時、息子の友人が調達し、大量に届けてくれました。

車の燃料タンクを含めて220リットルと、往復分以上の軽油が確保出来ました。

震災後8日が経ち、一関から国道343号線で陸前高田に何とか行けるらしいとの情報があり、翌日支援物資を積んで出かけました。

高速道路は宇都宮までしか使えなく、その先は地震で凸凹の一般道をひたすら走り続け、地震発生から10日目の3月21日に避難場所になっていた小学校に到着。

実家の皆さんや従妹などに再会、無事を喜び合いました。

1週間ほど滞在していましたが、毎日のように雪がちらつく寒い日が続きました。

避難者全員が教室のコンクリート床に段ボールを敷き、毛布にくるまって寝ている状態で、妻の義姉さんは体調を崩し、持病が悪化していました。

その為、義姉さんと従妹を埼玉に連れて帰り療養することになりました。

車内で生活に必要なものが揃っているキャンピングカーが、この時ほどありがたく感じたことはありませんでした。

その後、元気になった義姉さんを送りがてら支援物資を届けに、この年は7回ほど行きました。

食料や衣類、またランドセル、学用品、長靴、自転車 等・・・!

娘の友人達からは大量の学用品とランドセル40個が届けられたり、知人から30kgのお米や布団などの寝具を頂いたり、本当に感謝をするばかりでした。

妻の実家が有った周りの状況を記録に残そうと写真に収めました。

その時の一部ですが以下に写真を載せます。

キャンピングカーの手前に妻の実家が有りましたが、跡形も有りません。

その右後ろの家はここにあったわけでは無く、何処からか流されてきた家です。

 

 

三陸海岸全体がこの様に瓦礫で埋まり、街々が消えてしまっていました。

この惨状は絶対に忘れて欲しくありません。

次の写真は2014年8月に撮影した嵩上げ途上の写真で、高さは14mほどになります。

これは2019年8月の一本松周りの状態です。

完成した防潮堤の前には高田松原を再生しようと松が植林(矢印)されています。

同じ時に撮影したものですが、新しい実家がある高台からの眺めです。

嵩上げされた住宅地には、少しづつ家が建てられていますが、圧倒的に空き地が多いです。

市街地は写真の右奥で見えませんが、昔の様な賑わいは返っていません。

復興はまだまだ時間が掛かります。

これからも忘れず見守って欲しいと思います。

 

 


電池の製造国はアジアでは無かった!!

2020年03月15日 | その他
少しずつ断捨離を進めている。
先ずは古いカメラの処分から始めた。
フィルムカメラをメルカリに出品して処分する事にした。
しかし、フィルムカメラは久しく使っていない。
出品するには、正常に動くことを確認する必要が有る。
その為に必要な電池を取り寄せたが、思わぬ事にビックリした。


最近の電化製品は殆どが中国か東南アジアの国々で製造されている。
ましてや小物の電池は当然そうだろうと思い込んでいた。
しかし、裏に記載されている製造国を見ると、なんとアメリカであった。


想定していない国だった。
物作りのグローバル化は当たり前でビックリする話ではないが、この様な小物がアメリカで作られているとは思いもしなかった。
物作りに新しい流れが有るようだ!
今回の新型コロナウイルスでは、色々な問題点が浮かび上がって来た。
グローバルな分業が進んだ結果、部材供給が滞り製造がストップする事態が起こっている。
この問題を踏まえ、どの様に変わっていくのだろうか!?




黒い雨が降った

2020年03月04日 | その他
『黒い雨が降っている・・・? 』
隣町の役所に20件以上の問い合わせが有ったと、昨夜のネット配信ニュースで見た。
今朝起きて我が家のカーポートの屋根を見て、ビックリ(@_@;)
カーポートの屋根に、突如現れたバーコード汚れ!


二階の庇に樋は付いているが、雫が落ちたようだ。


原因は2日の早朝から千葉県野田市の廃プラスチック工場で火災が発生していたので、それが原因ではないか・・・と役所では推測していた。
我が家は火災現場から数十キロ離れているが、この様な状態になっている。
そう言えば、2日は終日霧雨が降っていた。
その中をキャンピングカーで買い物に出掛けていた。
キャンピングカーも同様に、黒い雨の洗礼を受けていた。
雨が滴り落ちる部分に黒いシミが付いていた。


雨樋から雨水が落ちる所は特に汚れている。


反対側も同様に汚れている。


後方もこの様に酷い状態になっている。


初めての経験である。
これが霧雨でなく本降りの雨だったら、ここまでの汚れなかったのでは・・・?。
バーコード汚れ防止対策を施してなかったら、車全体が酷い汚れで覆われていたに違いない。
それにしても洗車は早い方が良い。
汚れが定着しないうちにした方が良い。
天気が良い日に洗車する事にした。


現在の加計学園

2019年11月23日 | その他
実家の今治で母の17回忌、祖母の33回忌の法事も滞りなく終わった。


お寺からの帰りに、少し前に世間を騒がせた加計学園を覗いた。
実家から1kmほどの所にあり、興味も有って車で一回りしてきた。
あれだけ騒がれたにも係わらず、その建物は静かな佇まいの中に有った。



周辺道路の施設は今治市が造営し、負担したそうだ。
今治市は以前から都市計画をたて、色々な大学に誘致を働きかけ、結果として加計学園になったと聞きました。


減り続けていた人口も少しだ増えたそうである。
誘致した市の思惑がどの程度か知らないが、評価するにはもう少し時間が掛かりそうである。

叔母さんとのお別れ

2019年09月22日 | その他
北海道に出掛ける前に叔母さんの入所している施設を訪ねて楽しく会話を交わし、家内手作りのカボチャスープを美味しそうに飲み干し、その時は元気だった。
その叔母さんの容体が悪いとの一報を受けて急遽北海道から帰宅し、見舞ったのが12日だった。
それから3日後、私達が見守る中、静かに息を引き取った。
99歳の大往生だった。
今日はその叔母さんの葬儀で、最後のお別れをした。


家内が上京し最初に暮らしたのは叔母さんの家だった。
成人式の時には振袖を縫ってくれ、私と結婚する時には親代わりになり、子供が生まれればその都度祝ってくれ、成人すれば子供達にも着物を縫ってくれるなど、今まで大変お世話になった恩人である。
ただ、感謝あるのみである。
ご冥福をお祈りします。





.風景写真

四季の風景写真