茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

立派

2008年10月28日 | Weblog
「井伊直弼の茶の湯
    一派創立と茶会記―」展には、
有名な『茶湯一會集』や、
茶会記など彼の直筆の記録がいろいろ展示されていました。
点前座の位置の図、
ここにこう座るんだよ、というような朱が入っていたり、
炭斗の中の炭の組み方がきれいに描かれていたり、
丁寧な指導書を書き記していた様子がわかります。

そうしたものを見ながら、
派を起こそうという気持ちを、
いろいろに思いました。
彼は石州流を学んでいました。
そして、
その中に、「当流」という一流派を立てました。
しっかりと「わび・さびの心」に戻りたい
という強い思いが彼の中にはありました。

自分の社中に属しながら、
茶は好きだけれど何か違う
という疑問が消えない人、
師に付きながら、
師の器を超える人、
古今東西、
こうした茶人はたくさんいたでしょう。
いろいろに悩み工夫し過ごしてきたのでしょう。

その中で、
何人かが新たな派を立ててきたわけです。
流派の数は多いようですが、
人の思いの数からしたら、少ないものだと思います。
派を立てることは
異論を提案すること?
派を立てると書いて、
立派。
派を立てることは立派なこと?

一番いい建設的な批判は
素晴らしい代替案を出すこと、
だと私も思います。

でも、
茶の心は一つです。
派の違いは方法論。
どんな型からでも、
茶の心に行き着くことはできるのではないだろうか。

というわけでもないのかな。
ちがうのかな。
何かもおっと深いのかな。
などと深い深いところへ落ちていく私に
彦根のひこにゃん音頭が・・・
ま、いっかな気分になって彦根を後にしました。



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3 コメント

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はじめまして (Akatsuki)
2008-10-29 13:42:50
はじめまして。
私も先日、彦根に井伊直弼さんの茶の湯展を観ました。
あまりの熱心さにビックリすると同時に、あの激務の中でも茶の湯を楽しんだことにも感心しました。

熱心すぎて一派を立てる。。。
石州流はたくさん「派」が立っているので、あの時代はそう珍しいことでもなかったのかな。
彼の茶の湯は現在、石州流井伊大老派と井伊直弼茶道「一会流」に伝わっているようです。
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流派 (MINAKO)
2008-10-30 23:47:56
Akatsukiさま、はじめまして。

お立ち寄り、本当にありがとうございます。
お茶の花は咲くは、
素敵なコメントをいただけるはで、
今日はたいへん佳い一日でした。
ブログはじめてよかったです。

利休さんの頃から、
障子の向こうは血なまぐさい世界、
なんてところで茶道というものが
作り上げられてきたことを思うと、
今の時代の者がどんなにあれこれ考えてみても、
彼らの茶に向かう想いに近づける術もないような
気がします。

でも、今はお茶をいろいろに楽しめて、
申し訳ないくらい仕合わせです。
利休さんに褒められなくても、
微笑んでもらえるような(苦笑いでも可)お茶を、
私なりに探求していきたいなと思っています。

Akatsuki様は、お裏さんですか?
今後とも、是非、どうぞよろしくお願いいたします。
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そうです (Akatsuki)
2008-10-31 07:17:20
おはようございます。
お察しの通り、MINAKOさんと同じ流派です。
私もお茶との付き合い方と模索しながら、日々ブログを綴っています
(名前のところをクリックしていただければ、当ブログへリンクします

MINAKOさんのブログを読ませていただいて、同じ場所で似たような感想を抱いていらっしゃって、興味深く感じています。
こちらこそ今後とも宜しくお願いいたします
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