茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

ひまわり

2011年08月31日 | Weblog
夏撒き秋咲きのひまわりを
もくもくと植えた夏でした。

畝間には春に切り落とした枝葉が堆積しています。
それを掻き出す作業は
気の遠くなるような力仕事でした。
50cmほどの畝間のほんの1m分の堆積物も
一度には持ちきれません。
鍬で掻き起こしプラスティックの蓑にとって
運び出すのです。
ついでに茶の株の足もとから雑草の根を引き抜いたり
アイビーやスギナの根を丁寧に取り分けたり
そんなことを
この猛暑の夏にやっていました。

涼しい時間帯は
蜂とアブとブヨと蚊の攻撃が多くて
とても畑に滞在できません。
あのブヨですら暑くてかなわんという時間帯に
人間様が働くのです。
なんか悔しい。

ひまわりは光がないと育ちません。
畝の間ではなかなか発芽しないので
畝の横で芽を出させて
それを畝間に移植するという方法をとりました。
枯れ枝を撤去した後は、
畝間の土をならして
移植鏝をつかって穴をほって
ひまわりの赤ちゃんの苗を移植しました。

50年来、
どんなに汗をかいても
顔から汗が出るという経験の無かった私ですが
この夏は滝のような汗で目があいていられないほどでした。
お肌の血行がよくなったのはご褒美です。
ほんの少し二の腕とウエストが引き締まったのもご褒美です。

もくもくと
もくもくと
畑に出ていました。
鍬を振るうとき、時に、「バカヤロー」なんて口走ったりしつつ。
いろいろなことがありました。
ひまわりを植えることがどういいのか
まだわかりません。
でも、私は何もしないではいられなかった。

この数ヶ月のことは
どう記してよいのかまだわかりません。
千年に一度の災害があって
幼い命が危機にさらされている今、
農業という仕事に多少なりとも携わっている自分が
できることを求めていました。
基準値以下ならいいのだろうか。

今ひまわりは50cm位です。
台風に負けないで欲しい!


2011年05月04日 | Weblog
千日前の空を
なぜかはっきりと覚えています。
朝、ゴミを出しに
広い駐車場を横切って歩いていた時、
目に飛び込んできた青に吸い込まれ、
しばらく空を見上げていました。

デジカメを取りに行って撮った
第1日目の画像の空は
刻一刻と表情を変えていました。
そしてその日、
不思議なくらいにふと
このブログを始めて、
そして今日が1000日目だよと
goo が教えてくれました。

当初は、千夜で終える予定でした。
書きたいことはたくさんあるものの、
毎夜700字程度の文章を挙げるのは
なかなかに大変な日もあるからです。
それでも、ほぼ続けてきたのは、
たとえば1000年たった時に、
21世紀を迎える頃に
お茶で一日一日を楽しく過ごしている
こんな人もいたんだなと
そんな史料になったらいいななんて
思っていたからのような気もします。

今、私達は様々な文献を辿ってお茶の歴史を探っています。
温度のない史料から
いろいろにお茶と人の来し方を想像しているわけですから、
せめて後の時代の人には、
とにかく生の言葉を記して置こうと
そう思ってきたかもしれません。

いったい何故、
とっても普通の生活の中で
戦国時代の茶の湯を追いかけているのか、
そして何を思い茶を点てるのか、
何を憂い、引き継ごうとするのか、
何を願い、伝えようとするのか。

そして。
そして今、私はどうしてしまったのか。
桜も遅かったけれど
咲く時に咲きました。
お茶も遅れているけれど
まもなく摘む時を迎えます。
私の中の時計は
震災後
幾度となく過去への旅に
私を引き戻してしまいました。
そしてその混沌は、
私がなぜこうまでお茶に惹かれたのか
思い起こさせてくれたようです。

少しずつ記していこうと思います。
1000年後の誰かに向けて。

万物生(ばんぶつしょう)

2011年03月24日 | Weblog
万物生。
春の雨をこう呼ぶそうです。
生きとし生けるものに
新たな生命力を与える
春の雨。

雨粒の
そのひとつひとつを
見つめて
この春の時が過ぎていきます。

ご無沙汰していました。
安否を気遣って下さった皆様、
ありがとうございました。
無事でいます。

地震の10日ほど前に目を傷めていました。
放置茶園の手入れが始まって、
ジャングルのような茶畑で、
体ごと生い茂った薮と格闘し、
それはそれはうれしかったのですが、
杉の木を背にしょった放置茶園には
相当数の花粉が蓄積されていたとみえ、
突然、くしゃみが止まらなくなりました。
息が苦しくなり、顔が熱くなり、視界が悪くなり、
「顔が別の人になっているよ!」と
お医者様に連れて行かれました。

相当重篤な症状で花粉症発症。
症状が落ち着くまでは家にいた方がよい、
山なんて6月過ぎまで入ってはいけない!
という酷なドクターのお言葉。
1週間たってもまるで落ち着かず
本当にもう茶畑の作業はできないかもしれないと
胸潰れそうな思いで病院から帰路につくとき、
大きな地震に遭いました。

地震の1時間ほど前に
青森に入港したよと息子から電話があったばかりでした。
それから二日間連絡がとれず、
たぶん人生で最も辛い二晩を過ごしました。
元気でいることがわかっている今も
福島沖に水質調査に行くとのこと。
心配でなりません。
被災された方々はいかばかりかと
ただただこれ以上の災難のないことを
祈るばかりです。

そのようなわけで、
電気が回復する頃に
玄氣も回復して戻ってきたいと思います。
この度の災害で
皆様もそれぞれに
辛いお気持ちを抱えておいでのことでしょう。
決して一人でいないで
誰かとお茶をして時間を過ごしてくださいね。

2011年02月26日 | Weblog

茶碾輪

2011年02月25日 | Weblog
福岡に来ました。
「鴻臚館跡」で茶碾輪(ちゃひきわ)を見ました。
9~10世紀の越州窯系の製品で、
中国人が持参し
これで茶の葉をひいて粉にして飲んでいた
とあります。
もっと詳しいことを追跡して加筆しまあす。

茶草場

2011年02月24日 | Weblog
菊川に来ています。
静岡県農林技術研究所茶業研究センターの
研究成果発表会で
心躍る講演がありました。
10時に始まり約6時間、会場に集まった500人の生産者さんなどが
熱心に耳を傾けるのは、去年の凍霜害の分析にはじまる
今後の気象変動への対策に関すること、
現状のヤブキタ一辺倒、教科書的蒸し一辺倒に代わる提案、
などでした。

私が時めいたのは、
「静岡のお茶が育む草刈場の貴重な植物」というテーマです。
戻ったら加筆しますので是非読んでくださいね。

DASHI BAR

2011年02月23日 | Weblog
江戸幕府開府とともに架けられた
重要文化財「日本橋」が、
4月3日(日)で
架橋100周年を迎えるそうです。
何だか最近、
日本橋がかっこいいです。
「バシ」と呼んだりするのだそうです。

うわさのDASHI BAR見学に
コレド室町に行ってきました。
ビルに一歩踏み入れると
かつおだしのかおりがいっぱいで
なんと癒されること~。
小振りの紙コップ一杯の「だし」100円を
立ち飲みをするのですが、
ものすごい人だかりです。
お好みでお塩やお醤油を足すのですが、
「ん~、おかわり!」という気分です。

お茶も、
こんなのがあればいい!
今、お茶はほっこり感をアピールしていますが、
江戸の頃の茶店を思うなら、
お茶は、
ささっと
喉を潤すというものであったわけです。

ちょいと腰を掛けて、
お団子食べてお茶飲んで、
気分転換できて
エネルギーチャージなお茶。
お漬け物で、
あつあつのお番茶や釜炒り茶が
ささっといただけたら
ぜ~~~ったい
うける!

五街道の起点として
商業が栄えていた「江戸」、
「COREDO(コレド)」は、
その歴史や伝説を現代に引き継ぎ、
街の「核(core)」になるように
との想いからネーミングされました。

のだそうです。

どこへ行っても同じお店ばかりで
つまらなくなってきていた東京ですが、
さすが日本橋。
日本っていいなあと感じさせるお店が
軒を連ねています。
粋です。
「伝統と革新」がコンセプトだそうですが、
お茶も、是非!

振り出し

2011年02月22日 | Weblog
茶箱の花点前のお稽古をしました。
花点前は春のお点前です。
春の香りを楽しみに
茶箱を持って外に出ましょう♪

茶箱は利休さんの時代からあり、
振り出しもまたその頃からありました。
なんだか
おかしいですね。
お茶碗と茶筅とお茶と
茶巾と茶杓と
そしてお菓子お菓子♪
と準備をして出かけたのですね。

教科書には
「振り出しには金平糖や豆類等を入れ」
とあります。
今回は、その「等」の挑戦で
チョコボールにしました。
以前レーズンチョコにした時には
転がらずに、
お抹茶ともよくあって
なかなかグーでした。

今回は
「季節限定苺のチョコボール」に目がくらみ
失敗覚悟で
振り出しに入れました。
たくさん、懐紙から離脱していきました。
  鶯の笑いを誘うチョコボール 
おそまつ

雪月花など茶箱のお点前は似ていて
それでいて微妙に違っていて
ややこしい印象ですが、
季節を楽しむ工夫があるわけで、
きちっと身につけ
ほわっと楽しみましょう。

 いにしへ今も茶の道を学ぶ人には
 四季の眺望に遠近と出つるにも
 旅路へ趣くにも
 茶箱てふ物を携え茶をのミけるか
 これに手順なけれは 
 としころ作法を望人多くミへれど
 今更拙き考をなすもはしなしと等閑に打過けるか
 (略)
 流を汲人々に伝へんことは
 仮初めにも茶のみちの
 軽事にならむようにとねがふのミ


裏千家十一代玄々齋の
『茶箱点前記』にあります。
ころころ転がるチョコは
・・・軽かったです・・・。
鶯に白い目で見られたかな。
そうかメジロだったか。

美津峯(みつみね)焼

2011年02月21日 | Weblog
空はどんより冬の重さでしたが、
大地にはちゃんと春が来ています。
茶畝の表面の葉は冬の固さでしたが、
ちょっとかき分けてみると、
鮮やかな緑の柔らかい葉っぱが
守られていました。
さあ、忙しい季節がやってきます。
楽しみだなあ♪

近々、2m以上にも延びている
放置茶園を刈る作業があるというので、
その刈り取った部分を焼いて
その灰で釉薬をつくって
お茶碗を焼きた~~~い!と
おねだりしてみたところ、
ま、やってみっかなお返事をいただき、
かつ、素晴らしい陶芸家さんをご紹介いただきました。

茶畑のすぐ向こうに
その夢の工房はありました。
岩澤英一さんは、
地元の素材を利用した釉薬で
創作活動に励んでおられる陶芸家とな。
美津峯(みつみね)焼」という名も
その素材を提供してくれる
豊かな三峯山に由来するそうです。

3名のお弟子さんが
楽しそうに作品に取り組んでおられました。
清川というところは、
神奈川県で唯一の村です。
自然も豊かですが、
その大いなる山や川と共に呼吸をしている方々の
豊かさもまた格別で
至福の時間を過ごしました。

灰にするお茶の木は
葉っぱ付きでOK。
ただ、土が混ざるといけないというご注意を受け、
それでは外では焼けないし、
ドラム缶もちょっとなので、
ストーブのあるお家にお願いすることになりました。

とっても楽しみです。
放置茶園ばんざい~。


『関』

2011年02月20日 | Weblog

かもめのたまご

2011年02月19日 | Weblog

桃の村のお茶

2011年02月18日 | Weblog
まもなく弥生。
弥生と言えば桃。
桃の香につつまれてお茶したい。
桃色の空気の中でお茶したいと思っていたら、
桃花村に行きませんかと
メールが届きました。
茶畑がありますよ~♪って。

山梨県桃花村のお茶は、
田中泯さんが発起人となり、
30年近く放置されていた茶畑を
再生して育てたお茶なのだそうです。
雑草に覆われジャングルと化し、
お茶の木は2m以上の高さにもなっていましたが、
その力強く生き続ける様に感動した泯さん、
放置されていた状態を
無農薬でのお茶作りには最適とばかりに
再生していきました。
化学肥料も使わずに
昔ながらの方法で育成しているといいます。

標高1000mという場所は、
虫も付きにくく、
病気にもなりにくい環境でもありますが、
-10度以下にもなるという
厳しい環境でもあります。
そんな
寒さに耐え
栄養を土からぐんっ!と吸い上げた
力強いお茶が
販売されていました。

桃花村・復活山の茶・無農薬栽培
「新茶 桃花村」100g1000円

田中泯さんというのは、
去年『龍馬伝』で吉田東洋を演じた人です。
あの東洋が育てたお茶なら
なんか命が太そうな気がする!
なんて思ってしまうから不思議。
ネットで買わずに、
桃花村茶畑を訪ねてみたいものです。
ちなみに、
泯さんの肩書きは
「ダンサー・農民」とありました。

私も
「茶人・農民」になりたい!


山本山

2011年02月15日 | Weblog
日本橋にある山本山さんの本店を訪ねました。
江戸情緒を楽しめる商店ということですが、
本当に
暖簾をくぐると
ふわっと時の壁を越えたような
心地良さがありました。
お店の設えもそれを狙っているのですが、
肝心なのは
空気ですね。
粋でした。

「うちは元禄の頃から
 ここで商いをしていまして、
 その道路の向こうには
 町奉行所があって・・・」
なんてお話に
大岡越前や遠山の金さんが
この向かいの辻を歩いていたのか
なんて不思議な気分になりました。

奥の喫茶のスペースで
ここでしか聞けない
お茶のお話を伺いました。
老舗の山本山さんですが、
今や世界のYamamotoyama。
ブラジルには200haの茶園があり、
元気なYabukitaがティーバッグとなって
世界中へ届けられているそうです。

今日は、
100g700円で販売している
ブラジル新茶をいただきました。
カットしてあるやぶきたの葉に
熱湯を注いで30秒。
ういういしい草の香りがしました。
2煎目がよく出るんですよ
と言われるとおり、
味わい深い旨味が増してきました。

コーヒーの国で育った緑茶は
世界中で
お砂糖とミルクと共に愛されているようです。
山本嘉兵衛さんの開拓者精神は健在です。

 日用品、ご進物、計り茶、
 ご要望はなんなりとお申し付け下さい。
 また、ご案内カウンターでは
 お江戸や日本橋に関する事も
 ご案内いたしております。
 お気軽にお立ち寄りください。

是非一度、
江戸のお茶を感じに暖簾をくぐってみて下さい。





つららの茶杓♪

2011年02月14日 | Weblog
スターウォーズに出てくる
ライトセイバー(光の剣)のような
つららが
あっちにもこっちも下がっています。
どーしたって、
折って、
ちょっと振りかざしてみたいですよね~。

と思っても、
これがなかなか難しいです。
こんな凶器が
家の回り一帯にあるというのに
東北でつららで怪我する人がいないのは
すごいなあ。

やっと、
ぽちっととれたつららを握って
お茶杓もどきをつくりました。
腰とか撓めとか
ぜーんぜん無理でした。
つららは
見かけによらず
とっても華奢で、
パリッと折れるというか
カションと砕け折れる感じで
たくさんカションカションと
水になってしまいました。

つららのお茶杓ができたからといって
これでお茶が掬えるわけではありません。
お茶は茶杓にまとわりつきーの
そのお茶はお茶碗にはとれずに
お茶杓ごとお湯に溶けーのかな
と思う間もなく
また、カションと砕けてしまいました。
ああ、儚い一期一会。

次に、
雪をお茶碗にとって
お抹茶を振ってみました。
雪って、
かき氷のように見えて
ぜんぜん水水していないのです。
雪の時の嵩はあっても
溶けると何もないくらい!
などと、馬鹿なことをしつつ
いよいよ陸奥ともお別れの時。

オンドルでビールをくれたおじさんに
お返しに美味しいものをお渡ししたら
また、林檎をいただいてしまいました。
「また、ご縁があったら、
 いつかどこかでお会いしましょう」
しっかり目を見て、
きっちりとした言葉で挨拶をされた時、
躙り口で客を見送る亭主に通じるものを感じました。

日雇いの64才のおじさん、
日常に一期一会の思いが
身に付いている方なのですね。

『茶の涙』

2011年02月13日 | Weblog
今日もオンドルに寝転んで漫画を読んでいました。

 日本茶の突然の輸入禁止を受け、
 フランス政府との交渉にやって来た
 農水省の若手女性職員ハルカ。
 かつて日本の有名な茶商で
 筆頭茶師を務めた内藤涙と出会い、
 傲慢なフランス漁農相に立ち向かう。

というオープニングです。
日本の茶業界を追われた過去を持つ涙(ルイ)君が、
ちょ~とかっこよくって、
次号が楽しみです。

著者:水面かえる
発行所:(株)マックガーデン
発行:2010.7月


漫画を読んでいると、
「お姉さん、飴たべっか」
と声がかかりました。
「ちゃあわかすよ~」って。

なぬ?お茶?
と煎餅布団にバッと起き上がり、
お茶沸かすってことは、
番茶をやかんで沸かすのね~、
どんなお茶かしらん♪
とバスタオルの間から覗いてみると、
(仕切りのように
 湯上がりのバスタオルがロープにかかっています)
コップに粉茶を分けていましたあ。

でも、
お茶にしようという時、
「お茶わかすよ」という言葉を使うこと、
そしてお家ではやっぱりお番茶をわかすのだ
というお話が聞けました。
どんなおやかんなのかな?
寒い東北の冬、
おやかんから立ち上る湯気とお茶の香りは
ほっと一息の合図なのでしょう。

お菓子やお茶で声をかけあって、
そこに居合わせた旅人が和むひととき。
常連のお母さん(88才)が
自慢の喉を披露したり、
踊って見せてくれたり、
物語を始めたり。
お風呂に行く時は、
誰にともなく「お風呂行ってきまあす」と言い、
「いってらっしゃーい」と声がかかる。
戻ってきた時は、
「ただいまあ」と言えば、
みんなが「お帰り~」と言う。
スタッフの方も本当に気持ちが良くて、
何度でも帰りたい温泉です。