久しぶりに、テンプレートを変更してみました
「なぜ勉強するのか?」
その答えが、ふと、ひとつ思いつく!
『一人でも楽しい時間を満喫できるようになるため』
ではないだろうか。
頭の中に、たくさんの知識が詰まっていれば、
読みたい本、見たい絵画、聞きたい音楽、
勉強したいこと、研究したいこと、考えたいこと……
が無数にあるはずである。
いくら時間があっても暇を持て余すことはない。
暇つぶしの才能が問われる場面は、けっこう多い。
仕事が暇でしょうがない、失業した、何時間も待たされてる、
そして定年退職後に何をするか。
やりたいことがたくさんあれば、
暇な時間は宝物になるが、
頭が空っぽだと『小人閑居して不善を為す』になりかねない
■安保反対の学生「利己的」=ツイッターで自民・武藤氏
(時事通信社 - 08月03日 17:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3548201
懐かしい歌を思い出す。
THE BLUE HEARTSの『俺は俺の死を死にたい』だ
http://j-lyric.net/artist/a00734c/l013bbc.html
「死ぬときぐらい束縛しないで自由にしてくれ」という歌で
些か過激な歌詞である。
私は、「人間ごときのために」「組織ごときのために」
だけは、ぜ~~~~ったいに死にたくはない
「人間のために」死ぬ例としては、
ヒトラーやポル・ポト、始皇帝などの大虐殺、
そして殺人事件などがある。
「組織のために」死ぬ例としては、
戦死(国家のため)と過労死(企業のため)だ。
この二つで、人生を終わらせるのだけは絶対イヤである。
ほとんどの人がそう思うのではないだろうか。
そして、これがわがまま!?
他人の命を、自分(組織)の傲慢のために奪う方が
よほどわがままではないだろうか。
ちなみに、個人的には、
自然災害や他の生き物に命を奪われるのは、
ある程度仕方ないと思っている。運命だと受け止めることができる。
でも、組織のために死ぬのだけは絶対にごめんだ
戦死するくらいなら、自らサバンナに行ってライオンのエサになってやる!
「♪誰かの傲慢のせいで 俺は死にたくはないんだ。
俺は俺の死を死にたい♪」
このフレーズが脳裏に蘇る。