阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

根気が二流

2020-03-13 20:13:56 | ちょこっと文学鑑賞
タイトルの言葉は、司馬遼太郎「坂の上の雲」で、真之が大学予備門をやめて軍人への道を歩み始める場面、兄好古とのやりとりの中で出てくる。


「あしは、いまのまま大学予備門にいれば結局は官吏か学者になりますぞな」
「なればよい」
「しかし第二等の官吏、第二等の学者ですぞな」
━ふむ?
と、好古は顔をあげ、それが癖で、唇だけで微笑した。
「なぜわかるのかね」
「わかります。兄さんの前であれですが、大学予備門は天下の秀才の巣窟です。まわりをながめてみれば、自分が何者であるかがわかってきます」
「何者かね」
「学問は、二流、学問をするに必要な根気が二流」
「根気が二流かね」
「おもしろかろうがおもしろくなかろうがとにかく堪え忍んで勉強してゆくという意味の根気です。学問にはそれが必要です。あしはどうも」
と、真之は自嘲した。
「要領がよすぎる」


 なぜこれを思い出したかと言うと、狂歌の索引を作りながら、つくづく自分には根気が足りないなあと。世の中には江戸と上方の狂歌すべてを打ち込んでいる方もいらっしゃるというのに、貞国の二百十余首でぐったりしているのだから話にならない。思えば学生時代、親に言われて嫌々出かけた新聞社の面接で、「君は学者向きだろう、新聞記者に向いてない」と言われた。そこに入りたければ、いやそんなことはないですと反論しなければいけなかったのだろうが、もとより気の進まない面接だったのでおっしゃる通りとうなずいておいた。実際、研究者になりたい気持ちはあったのだけど、とにかく根気が続かない。学生時代、図書館は居心地の良い場所ではなかった。用例をみつける作業が、どうしようもなく苦手だった。今考えると、私には最初から無理な道だったと思う。それなら何が向いていたのか、いや、これは今更言っても仕方ない事だからやめておこう。

 ここ2年ほど、図書館は逆に居心地の良い場所に変わって、今は図書館に行く時間が中々作れないのが残念でならない。どうして学生時代に、と思うのだけど、その時やり切って成仏できなかったから、今このブログを書いているのかもしれない。索引は何とか完成したけれど、ブログの記事にリンクをつけようとしたら字数オーバーのエラーが出た。リンクのアドレスも字数に入るようだ。索引を何分割かして・・・というのは、くたびれたから次の機会・・・やはり根気が続かない。それに、貞国の狂歌の索引とか、自分以外に見たい人などいるのだろうか。という訳で最新の日時にはせずに索引を書き始めた時間、3つ前の記事としてとりあえず公開とした。それでも、根気が途切れ途切れであったとしても、前には進んでいきたい。索引をじっくり眺めて、次はどこを攻めるか考えてみたい。


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