阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ランダムにサンフレ昔話 その4 寿人出場のサテライト戦

2014-04-12 09:46:21 | サンフレ昔話
 私はユースの応援歴が長かったものだからユースサポといわれる事が多いのだけれど、昔サテライトリーグをやっていた頃は熱心に観戦に出かけた。特にタツローと洋次郎が出ていた05年のサテライトリーグは、12試合中大分アウェイ以外の11試合を見た。プロのBチームの強化は育成の最終段階とも言えるものだが、中々成果をあげるのは難しい。サンフレに新卒で入って年代別代表にも選ばれず、レンタルにも行かず、チームの練習だけでレギュラーに定着した選手はほとんどいない。久保竜彦ぐらいだろうか。このブログにもいずれはBチーム論を書いてみたいと思っている。その前に個々のゲームをぼちぼちと、今回は05年4月17日14時ガンバ練習場でキックオフのアウェイG大阪戦を。

 まずはサンフレのスタメン。タイトルの通り寿人が出ていた。写真はコーナーフラッグにピントが合っていて申し訳ないが、サンフレサポなら寿人がいるのは米粒でもわかっていただけるはずだ。寿人はこの年仙台から移籍して来たけどシーズン当初はフィットせず、前日16日のビックアーチの神戸戦でもサブで89分ガウボンに代わって短い時間の出場だった。


FW 27ジョルジーニョ、19盛田、11寿人

MF 14龍朗

MF 26洋次郎、32くわしん

DF 28吉田恵、2池田昇平、22西河、29森脇

GK 31佐藤昭

(SUB) GK21上野、DF30入船、MF23青山、FW15田村、13田中俊也


 ガンバの方のフォーメーションはメモしていないのでメンバー表順に書いておこう。

GK1松代、DF26小暮、25丹羽、30青木、MF17児玉、32岡本、14家長、28前田、20寺田、FW18吉原、11松波。

サブは、

GK31木村、MF29松岡、FW21三木


 小野監督時代のサテライトチームはバスで関東遠征、フェリーで韓国遠征と意欲的なスケジュールだった。しかし、サテライト監督の評判が芳しくなくてぱっとしなかった。順位はあまり問題ではないからメモしていないのだけれど、確か連続して最下位になったはずだ。ミーティングが長くて、ホワイトボードに書いてあることを実現するためにゲームをやってるような印象だった。ゲームが始まってみると若手選手の勢いというものが全く感じられず、チャンスを作って得点するという意識も見えなかった。おそらく、ミーティング通りに動くことで精一杯だったと推測している。洋次郎や前田俊介などの個性派がサブに回ることも珍しくなかった。しかしこれは、すべてサテ監督のせいと言えるかどうか。小野監督の末期にも新聞に「マニュアル人間」と書かれたように、これと似た現象が見られた。小野さんの理論の影響も少なからずあったのかもしれない。それに最初に書いたように、この時期だけ成果が上がらなかったわけではない。

 この年のサテライトリーグDグループは大分、鳥栖、福岡、広島、神戸、C大阪、G大阪の7チームだった。開幕戦雁ノ巣でアビスパに0-2、山形恭平に決められ、寒さの中で吉弘負傷で長期離脱となってしまった。その次は吉田でのガンバ戦、このゲームでヨースケが骨折したことは前に書いたが結果はジョルのPKで先制したものの前田雅と松波のゴールで1-2逆転負け。この4月17日のゲームが3戦目だった。

 立ち上がりから右サイドの森脇が家長に苦戦してピンチの連続、中盤で洋次郎とくわしんも防戦一方だった。ところが9分、ジョルが抜け出して相手DFがこれを倒してレッドカード、ジョルがFKを決めてサンフレが先制した。

 1人少なくなったガンバは吉原に代えて三木を入れて松波、三木の2トップにボールを集めて効果的に攻め、サンフレの劣勢は変わらない。相手が1人少なくてもミーティング通りなんだろう。それでもジョルと盛田を中心にチャンスはあったのだけれど、盛田と寿人はシュートが入らなかった。この時期の寿人は少し焦りがあったのかもしれない。

 私が注目していた洋次郎は、前を向いて持つ場面がほとんどなく、セットプレーのキックも良くなかった。この頃の洋次郎は、キックが空振りに近いような外れの日があった。タツローはよく動き回っていたが、シュートが少なかった。

 後半に入ってもガンバが攻勢、サンフレの交代を書いておくと57分盛田→トシヤ、71分洋次郎→青山、82分ジョル→タム、89分森脇→入船。ゲームは終盤相手に疲れが見えたところでトシヤが77分、88分に決めて3-0でこの年の初勝利となった。寿人が不調であるからトシヤにチャンスが来るのではないかとノートに書いてあるが、実際は寿人が復調、このあとサテに来る事はなかった。

 小野監督時代はFWが苦戦した印象が強い。高橋泰も03年の最初は好調だったが、そのあと振るわず、特に若いFWが次第に点を取れなくなっていく傾向が見られた。約束事が多いせいで本来の点を取る部分が弱くなってしまうのではないかと推測できるのだけれど、寿人はこの傾向と全く無関係であった。うるさい約束事の一部をスルーしていたか、ある程度自由に動いて良いと言われていたのか。小野さんが前田俊介について、あまりうるさい事は言わないようにしたいと発言しているのを聞いたことがあるから後者だったのかもしれない。

 このゲームの会場はガンバ練習場、ユースで行った時はゴール裏からネット越しに見るような場所だったのに、この時は写真のようにぐるりと芝生席があって快適だった。内容は良くなかったけれど、それでも勝てたらうれしい。天気も良く大きなケガもなく、この年のサテのゲームの思い出の中では明るい部類だったのは間違いない・・・

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。