FWビシャ移籍は4年契約でバルサと合意 バレンシアからバルセロナへの移籍で合意していたスペイン代表FWダビド・ビジャ(28)が21日、バルセロナと4年契約を結んだ。移籍金は4000万ユーロ(約46億円)。5年目のオプションもついている。スペイン代表には05年から選出され、同代表歴代2位の36ゴールをマークしている。 |
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FWビシャ移籍は4年契約でバルサと合意 バレンシアからバルセロナへの移籍で合意していたスペイン代表FWダビド・ビジャ(28)が21日、バルセロナと4年契約を結んだ。移籍金は4000万ユーロ(約46億円)。5年目のオプションもついている。スペイン代表には05年から選出され、同代表歴代2位の36ゴールをマークしている。 |
S級コーチに元代表山口氏ら8人を認定 日本サッカー協会は20日の理事会で、Jリーグの監督を務める条件の指導者資格である公認S級コーチに元日本代表の山口素弘氏(41)や松原良香氏(35)ら8人を認定した。公認S級の保持者は合計313人。 また、現在J2の大分などで指導歴のある松山博明氏(42)をブータン代表監督として派遣することを決めた。契約期間は2012年1月末まで。 |
ブラン氏がフランス次期代表監督就任へ フランス・サッカー協会は20日、同国1部リーグのボルドーと合意に達し、元同国代表DFのローラン・ブラン氏(44)が次期代表監督に就任することになったと発表した。W杯南アフリカ大会後にドメネク監督の後任となる。 ブラン氏は16日にボルドーの監督を辞任した。この際、ボルドー側は同氏との契約が1年残るため、同協会に金銭的補償を求めるとしていた。 ブラン氏は1998年W杯フランス大会を制した当時のメンバー。2007年にボルドーの監督に就任し、昨季はチームをリーグとリーグ・カップの優勝に導いた。 |
アパパネとサンテG1初同着V/オークス <オークス>◇23日=東京◇G1◇芝2400メートル◇3歳牝◇出走18頭 オークス馬が2頭同時に誕生した。壮絶なたたき合いの末アパパネ(美浦・国枝)とサンテミリオン(美浦・古賀慎)の2頭が1着同着となった。勝ち時計は2分29秒9。G1が1着同着となるのはJRA史上初めて。 道中は中団の外で前にサンテミリオン、アパパネと並んで追走。ゴールも同時に飛び込んだ。10分以上の写真判定の末に同着で確定。3着には2番手からしぶとく粘ったアグネスワルツが入った。 馬連(17)(18)1870円、馬単(17)(18)1520円、(18)(17)2020円、3連複(2)(17)(18)1万180円、3連単(17)(18)(2)2万460円、(18)(17)(2)2万4290円。 (注=成績、払戻金などは必ず主催者発行のものと照合してください) |
毒茸「10」、本田△「18」…23選手背番号 日本サッカー協会は21日、W杯南アフリカ大会の日本代表23選手の背番号を発表、MF毒茸痛輔(31=横浜)が06年ドイツ大会に続いて「10」をつけることになった。 初出場のMF本田△(CSKAモスクワ)は「18」、DF闘莉王(名古屋)は「4」、FW岡崎(清水)は「9」、FW森本(カターニャ)は「19」に決まった。 ※23選手の背番号は以下の通り。 ▼GK 「23」川口能活(磐田) 「1」 楢崎正剛(名古屋) 「21」川島永嗣(川崎F) ▼DF 「22」中沢佑二(横浜) 「4」 田中マルクス闘莉王(名古屋) 「3」 駒野友一(磐田) 「13」岩政大樹(鹿島) 「15」今野泰幸(東京) 「5」 長友佑都(東京) 「6」 内田篤人(鹿島) ▼MF 「10」毒茸痛輔(横浜) 「20」稲本潤一(川崎F) 「7」 遠藤保仁(G大阪) 「14」中村憲剛(川崎F) 「8」 松井大輔(グルノーブル) 「2」 阿部勇樹(浦和) 「17」長谷部誠(ボルフスブルク) 「18」本田△圭佑(CSKAモスクワ) ▼FW 「11」玉田圭司(名古屋) 「16」大久保嘉人(神戸) 「12」矢野貴章(新潟) 「9」 岡崎慎司(清水) 「19」森本貴幸(カターニャ) |
ラッシャー木村さんが死去、68歳肺炎 国際プロレスをスタートに多くの国内プロレス団体を渡り歩いたラッシャー木村さん(本名・木村政雄=きむら・まさお)が、24日午前5時30分、腎不全による誤嚥(ごえん)性肺炎のため都内の病院で死去した。享年68歳。 木村さんは大相撲廃業後、日本プロレスに入団し、多くのプロレス団体を渡り歩いた。国際プロレス時代に行った日本初の金網マッチから「金網の鬼」と呼ばれた。全日本プロレスに入ってからは、故ジャイアント馬場さんらを相手にしたマイクパフォーマンスで人気を博した。ノアに移籍後、脳こうそくに倒れ、2004年7月の東京ドーム大会で、ビデオ出演したのを最後にファンの前から姿を消していた。 通夜、葬儀はご家族の意向により親族のみで執り行う。 |
アホの岡田のお願い「日本から念を送って」 日本代表のアホの岡田が22日、日本のサポーターからの声援を呼びかけた。昼に東京・代々木でアディダス様壮行イベントに代表23選手とともに出席。南アフリカは日本から距離が遠く、現地に乗り込むサポーターの数もこれまでのW杯より減るとみられるだけに「我々はチーム一丸となって(責任回避に)チャレンジする。(サポーターの)みなさんは遠い日本からでも念を送って下さい」と訴えていた。また、イベント出席後は埼玉県内のホテルに戻り、ミーティングを実施。夕方からの非公開練習では細かい指示を出すなど、本番間近の緊張感を醸し出していた。 |
インテルが45季ぶり優勝/欧州CL <欧州CL:インテル2-0バイエルン>◇決勝◇22日◇マドリード インテル(イタリア)が2-0でバイエルン(ドイツ)を破り、45季ぶり3度目の優勝を達成した。 インテルは前半35分、アルゼンチン代表FWミリトが先制ゴール。後半25分にも2点目を決めた。 |
アホの岡田後任、代表監督にペケルマン浮上 日本サッカー協会はW杯南アフリカ大会後の退任が確実なアホの岡田の後任候補として、元アルゼンチン代表監督のホセ・ペケルマン氏(60)をリストアップしていることが21日、明らかになった。すでに就任に支障がないのかなど身辺調査に入っており、今後、条件面などの本格交渉に入る可能性が高い。日本代表は6月14日にW杯1次リーグ初戦でカメルーンと対戦するが、決戦を前に日本協会は知名度、実績ともに抜群の名将の獲得に乗り出すことになった。 後任監督人事に取り組んできた原博実強化担当技術委員長はこの日「まだ何にも決まっていないが(ペケルマンは)大枠のリストには入っている。他にも候補は何人かいる。リスクマネジメントはするけど、今は岡田アホンをバックアップすることがすべてだし、後任監督が決まるのはW杯後です。そんなに焦ってはいない」と言った。正式交渉を控えているが、代表チームがこの日からW杯南アフリカ大会へ始動しただけに、最大限に岡田アホンへの配慮を見せた。 ペケルマン氏をリストアップしたところに、日本協会が目指す根本的な方針が透けて見える。現在の日本代表は世代によってチーム力に大きな差がある。タレントが豊富な世代は「黄金世代」といわれ、ユース時代から国際大会で実績を残してきた。一方で「谷間の世代」といわれる世代は、国際経験も乏しかった。 そうした世代間格差を打破するのにペケルマン氏は最適と言える。95年から01年までワールドユース選手権(現U-20W杯)でアルゼンチン代表を率いて4大会連続出場し、3度の優勝を成し遂げた。その間、MFリケルメ、FWサビオラら代表チームでも骨格をなす選手を育て、実績を積ませるなど、継続性、成果という点では折り紙付きの結果を残している。 06年W杯ドイツ大会では、アルゼンチン代表監督として当時18歳のメッシを代表に抜てき。1次リーグを圧倒的な強さで突破した。準々決勝で地元ドイツにPK戦の末に惜敗したが、90分間の試合では1度も負けなかった。代表監督としての評価が下がることはなかった。 日本協会は2022年のW杯本大会招致を目指しており、犬は常々「22年に単独開催となれば、その時に主力になるのは今の小学生だ。彼らの育成はサッカー界の大きな課題だ」と、若年代の指導者の改革を強く訴えてきた。ペケルマン氏はそうした大きな流れにもマッチし、中長期的な強化・育成という観点からもベストな人選と言える。 これまで日本協会は後任監督の条件として(1)オシム前監督→アホの岡田と続いた連動性を重視したサッカーの継続(2)日本人らしいサッカーの構築の2点をポイントに掲げてきた。ペケルマン氏のサッカーは、中盤での華麗なパス回しを根幹に、全員の連動性を重視し、ファンを楽しませる。オシム前監督の急病により、世界的な名指導者による「日本人らしいサッカー」の構築は道半ばで閉ざされてきただけに、名将ペケルマン氏への期待は大きい。 すでに始めている身辺調査では、来日への大きな問題はない。4月末にはペルー代表監督を、5月上旬にはアルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズのオファーを断っている。本人は欧州のクラブへの関心も示しており、原委員長も「あれだけのクラスなので、声がかかるのは当然。ただ目指すならあのクラスだ」と言った。名将ペケルマン獲得へ、今後本格的に動きだす。 |
加藤元名人負けた!野良猫に餌やり禁止令 東京都三鷹市の集合住宅で将棋の元名人の加藤一二三9段(70)が野良猫に餌をやり、ふん尿などで迷惑しているとして、住民らが起こした訴訟の判決で、東京地裁立川支部は13日、加藤さんに餌やりの禁止と慰謝料など計約200万円の支払いを命じた。 市川正巳裁判長は判決理由で「餌やりが動物愛護の精神に基づくことは理解できるが、被害が続いており、住民の受忍限度を超えている」と指摘した。 判決などによると、加藤さんは1993年ごろから野良猫に餌をやり始め、一時は十数匹に。ふん尿で異臭がしたり、駐車場の車が傷つけられたりした。 住宅の管理規約には迷惑行為を禁止する条項があり、住民側は2002年ごろから加藤さんに警告していたが、受け入れられなかった。調停も不調に終わり、08年に提訴した。 裁判で住民側は「野良猫をペットとして飼っていた」と主張したが、加藤さん側は、動物愛護の観点から野良猫増加の防止が目的だと反論していた。 |