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文屋

文にまつわるお話。詩・小説・エッセイ・俳句・コピーライティングまで。そして音楽や映画のことも。京都から発信。

★エストニアの作曲家、アルヴォ・ペルトの音を織った詩を120行書いたら、無惨に。

2006年03月15日 20時57分00秒 | 


一ヶ月ぐらい、風邪をひいたり仕事がハードだったりで
さぼっていました。

その間、ずっとずっと、ブルックナーの音楽ばかり聴く。

ブルックナーの交響曲を
7番
8番
9番

そして
4番

いろんな演奏で。

それから、
3番
5番
6番

自宅、事務所、車
それからCDウォークマンまで買って
こればかり。

魔、まったく魔。

たまに、マーラー。
これは、普通の音楽。

そして、

1番
2番
0番
00番

まで、ブルックナーばかり。
脳が、平坦になって、逃げまどっている。



最近になって、

エストニアの現代音楽

アルヴォ・ペルト。

これは、音楽ではない。

詩集であり、死臭でもあり、おののく音楽。



きょう、紙子のために

120行の詩を書き上げる。

全編、ペルトの音楽、音を引用した。

いま、ひとりの事務所で読み上げて。

あっと、泣きました。
寂しくなった。



ギーゼキングの
ラベル「逝ける王女のためのパヴァーヌ」を聴く。
ついでに
サンソン・フランソワも。



ペルトの曲の題名

「フラトレス」兄妹
「アルボス」樹
「スンマ」総合

それと、「アルボス」でペルトが引用している

芭蕉の句、

「鐘消えて花の香は撞く夕べかな」

これらの言葉を120行の中に織り込む。

ぼくの詩の題は、『中の碑』。

ほんとに無惨で、寂しい詩になった。

★「まぐわい」という身の真実から、身を落とす話まで、八木重吉をもう少し。

2006年01月12日 15時12分00秒 | 



山口瞳の「小説 吉野秀雄先生」を読了。
冒頭の八木重吉の詩篇の引用から、終始、八木の存在を
傍らに置きながら、師への愛情がつづられていた。
本筋は、山口との師であり友としての吉野秀雄像が語られているのだが
山口が、吉野に教わったのは

「恋をしなさい、人を好きになりなさい、交合をしなさい」

に尽きているようなのだ。これが全編にわたって交響している。

交合、これに「まぐわい」とルビがふってある。

真命(まいのち)の極みに堪えてししむらを敢てゆだねしわぎも子あはれ

これやこの一期のいのち炎立ち(ほむらだち)せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹

この二首も、まぐわいの歌である。

とみ子の前妻であるはつ子の死の前日、命果つる間際に求められ
交合をしたときの歌である。

肉体と精神を分かつことなかれ、とも説く。

さて、八木重吉と吉野秀雄のことであるが

次にアマゾンで

吉野秀雄「やわらかな心」と吉野登美子「琴はしずかに 八木重吉の妻として」
を注文した。

「やわらかな心」の冒頭の章は「前の妻・今の妻」続いて「宗教詩人八木重吉のこと」
である。

八木重吉の詩作品



 冬の野

 死ぬことばかり考えているせいだろうか
 枯れた芽のかげに
 赤いようなものを見たとおもった


 風が鳴る

 とうもろこしに風が鳴る
 死ねよと 鳴る
 死ねよとなる
 死んでゆこうとおもう


二篇の作品の末尾「おもった」「おもう」の不自然さという自然。
あえて、詩にしたくはない、発語の意思が清い。
身を落として記している。

◆八木重吉、八木とみ子、吉野秀雄、文で結ばれた愛情。そして山口瞳も。

2006年01月10日 20時06分40秒 | 





先日宴会の前に立ち寄った北白川の「ガケ書房」で
吉野秀雄のエッセイ集を、飲みに行ってどこかで無くした。
それでアマゾンで調べたら、講談社文芸文庫に「やわらかい心」という
本があるので注文した。

ガケ書房は、一乗寺の恵文社みたいなコンセプトの書店で、
店の外壁が、文字通りガケのような石にかこまれている。
なぜ、「ガケ」かというと、コンセプトが「ロック」であるという。
その心に、ロックがあるならば、
本でもCDでも雑貨でも置いている。

そんな店になぜ、吉野秀雄の本があったのかというと、ショップインショップで
どこかの古本屋の委託でたまたま置いていたのである。

買う前に立ち読みをして、そこに八木重吉にふれた文があったから
購入した。

前々からずっと、詩人八木重吉とともに
それにもまして、その妻八木とみ子のことが気になっていて
重吉が夭折した後に、その子も次々に亡くなり
独りになったとみ子が、数年を経て
歌人吉野秀雄宅の家政婦となり、やがて結婚する。

そして二人は、並々ならぬ情熱をもって
八木の命日に、編纂した「八木重吉詩集」を出版する。

ぼくは、八木重吉の詩は、随分前から好んで読んでいる。
十代の頃よりずっと読んできている数少ない詩人のひとりだ。

でも、十年くらい前だろうか、たまたま見た彼ととみ子、そして娘の
三人が映っている写真を見、巻末の年譜を見てショックをうけた。

それ以後ずっと気になっていたのが、八木の死後の行く末だった。

アマゾンで調べたら、山口瞳が書いた「小説吉野秀雄先生」というのが
見つかった。山口は、鎌倉アカデミアという私塾で吉野の教え子だったのだ。

いままで、「年譜」だけでしかわからなかったことが書かれている。

この山口瞳の小説、冒頭からいきなり八木重吉の詩が引用されている。

その中の詩



 悔    八木重吉

 うなだれて
 明るくなりきつた秋のなかに悔いてゐると
 その悔いさへも明るんでしまふ

 

●難解な詩なんてこの世にはないんだよ。傷ついたか無傷かだけよ。

2005年12月30日 16時56分47秒 | 


詩や音楽で、「難解」という認識がある。つまり「難解」と
その人は理解している。たとえば、アントン・ウェーベルンの
弦楽三重奏曲が、すんなり理解できる人が世の中に何人いるだろう。
パウル・クレーの絵を理解する人がたくさんいても
その理解が他人と一致することなど稀である。
要は、その作品を体験したときに、ある種の動揺があり
脳のどこか(心といってもいいけど)
に傷が生じたかどうかだけが問題であって、
「難解」と一旦は、片付けている人は、脳になんの
変化も起きなかったことを「難解」と言い訳しているにすぎない。
つまり、感じることを逸しただけなのだ。
脳の中は、記憶や感覚物(クオリア)が充ちていて
それらは自分の把握できる「1」の領野なのだが
それ以外の把握できない、未知の何かが忍び込んで
傷が生じたときに、人は動揺する。
もしくは、得体の知れない動揺を経て、新たなフイールドに
傷が記されるのかもしれない。
この傷が生じないと、人の脳は、更新されない。
恋愛も失恋もこの更新なのかもしれない。
「1」いう飽和した脳の容量、それが暫定的な自己という
ことかもしれない。だから「私」には「難解」となるが
動揺した時点で、暫時、脳は更新されていく。
詩が人の心を傷つけるためには、その言葉は稀であるだろう。
アントン・ウェーベルンの音楽が
1000人に一人、もしくは5000人に一人ぐらいか。
理解されるとして、その「一人」を根源的に傷つけたとした
その音楽の力はなんと強いのだろう。
1000人が1000人、理解したとしても
誰ひとりとして傷つきもしなかったらそれは
多くの「1」の肥大したただの「1」にすぎず
重層・重畳的に「1」なのである。


■戦慄する、山本陽子の詩の一部分を引用紹介します。

2005年10月12日 19時54分04秒 | 


MIXIのコミュニティで、山本陽子の詩を紹介しました。
スキャンしました。多くの人に、彼女の詩の世界にふれてもらいたいです。

彼女のことは、これからもずっと書いていきます。
引用します。

テキストは、山本陽子全集第二巻 (漉林書房刊)



■全九頁の作品中、冒頭の見開き二頁を掲載します。
 前文ヨコ書きです。   1968年頃の作品です。



10 遙かする、するするながら


 遙かする
純みめ、くるっく/くるっく/くるっくぱちり、とおとおみひらきとおり むく/ふくらみとおりながら、
わおみひらきとおり、くらっ/らっく/らっく/くらっく とおり、かいてん/りらっく/りらっく/りらっく 
ゆくゆく、とおりながら、あきすみの、ゆっ/ゆっ/ゆっ/ゆっ/ とおり、微っ、凝っ/まっ/
じろ きき すき//きえ/あおあおすきとおみ とおり//しじゅんとおとおひらり//むじゅうしむすろしか
つしすいし、まわりたち 芯がく すき/つむりうち/とおり//むしゅう かぎたのしみとおりながら
たくと/ちっく/ちっく すみ、とおり、くりっ/くりっ/くりっ\とみ」とおり、さっくる/さっく
ちっく/るちっく すみ、とおりながら
純みめ、きゅっく/きゅっく/きゅっく とおとおみ、とお、とおり、繊んじゅん/繊んく
さりさげなく/まばたきなく/とおり、たすっく/すっく/すっく、とお、とおりながら
すてっく、てっく、てっく
      澄み透おり明かりめぐり、透おり明かりめぐり澄み透おり
      透おりめぐり明かり澄みめぐり、めぐり澄み明かりぐりするながら、
  闇するおもざし、幕、開き、拠ち/ひかりおもざし幕開き拠ち

      響き、沈ずみ、さあっと吹き、抜けながら
  響き、ひくみ、ひくみ、ひくみ透おり渉り、吹く、透おり、/
 先がけ、叫び、しかける街々、とおくをわかち、しずみ、//透おり交いながら、/
  しずみ 、しずみ透おりひくみ、ひびき、ひくみ/つよみ透おりするながら、たえまなく
   透おり交わりするながら//ひびき透おり放ち、
     瞬たき、路おり乗するながら
夜として視護るごと、めばめき 帳ばり、ふた襞、はたはた ひらき 覆い/
       響き、/尽くし/吹く透おり/消え、
          しずみ、/ひくみ、/
ひびき透おり吹き
     ふためき、はたと墜として、はたり、/途断え、やみ、蔽い

   吹く、吹く、吹く、おとないかぜ透おり、おとなしかぜ渉り、
   吹く、やすらぎ//すずしやぎ
  りり、 りりり、りりり

    夜する/ふんわり、かげろう 薄すまめぎ/口開き拠ち、
夜切り、浮きたち、ひろひろ透おり、澄み透おり透おり明かりするながら、
 絹ぎ/すき/消え/さやとおり 澄まり静まり夜する口開切り拠ち

■9月4日、次の日曜日、東京上野で詩のリーディングやります。

2005年09月02日 21時58分27秒 | 
9月4日(日)に東京・上野の「ウエノポエトリカンジャム」に
出演します。

場所は、不忍池に浮かぶ、水上野外音楽堂。

総勢、100名ぐらいが出演する大イベント。

ぼくは、夕方からの第五部に出ます。読む詩は、まだ決まっていない。

ちなみに五部のタイムテーブルを紹介しておきます。

関東の方、気軽にぼくに声をかけてください。



五部/18:15~19:50

司会・和合亮一

【出演】

1.小島宗二(初・神奈川)

2.萩原健次郎(初・京都)

3.ユーリ(初・東京)

4.マイアミ(初・京都)

5.月乃光司(初・新潟)

6.伊津野重美(初・神奈川)

7.ジュテーム北村(2・東京)

8.アーサー・ホーランド(初・東京)

9.三上寛(初・千葉)

10.福島泰樹(初・東京)

入場無料。詳細は下のサイト。

http://upj.jp/root.html

   


★伊東静雄の終戦体験の日録記述を読んで、詩人にとっての「現実」を考えた

2005年08月04日 11時49分41秒 | 



■MIXIというソーシャルネットワークで伊東静雄のコミュニティに
参加しているが、そこでの掲示板で自分が発言した言葉を記録の意味でここに
残していきます。




昭和20年8月の日記にある、有名な記述。

 一日中雨。
 十五日陛下の御放送を拜した直後。
 太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを
照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼつてゐる。そ
れなのに、戦は敗れたのだ。何の異変も自然におこらないのが信
ぜられない。

想像できないほどの強烈な出来事だったのでしょう。

ナショナリストでなくとも、ここには、ナショナルな心情がくっきりと吐露されています。このことは、好悪、あるいは、非難の対象となるものではないでしょう。

この終戦のできごとは、
「夏の詩人」の夏という、空気の結節と偶然を思わざるをえません。

この日記は、8月31日に、思い返したかのように記され、
日記は、22年まで空白になっています。

昭和20年の8月31日は

一日中、雨。

だったのですね。雨も太陽も現実感があります。
心の中の光景としての既視感のような、ずれをともなった
リアリティ。これがこの詩人の天分のような気がします。

時代ともっとも無縁でありたかった詩人ですが
時代に生きた、国土や国民(民衆)の心情には、濃厚に
交感していたのでしょう。

自分ではなく
なにかが、悲しんでいるときに
悲しくなる。

そうしたタチこそが、詩人の本分なのかもしれません。



  ■ある人の発言に呼応して、、


ぼくも西脇の、詩論集「斜塔の迷信」を読んでいたところです。

そこにこんな言葉

 詩人は現実を破壊しなければならないから、まず現実というもの を獲得しなければならない。現実は詩の条件である。現実は詩の 限界である。現実は詩の尺度である。現実という尺度がないと、 詩の効果を計算することはできない。どれだけうまく現実が破壊 されているか計ることができなくなる。

と書いて、そのあと

 詩の限界は現実から一定の間隔を保つことであって、現実に完全
 に到達してはいけない。その一定の間隔が詩の限界であると思う。

と言っている。

きのう、ぼくが書いた

 >心の中の光景としての既視感のような、ずれをともなった
  リアリティ。これがこの詩人の天分のような気がします。

この「ズレ」、こそが西脇の言う「間隔」なのでしょう。

現実、これを「自然」と決めつければ、
伊東がひたすら拘泥した「自然」の「リプレゼンテーション」が
間隔、あるいは、錯視や錯誤を意図的に保った
表現であったことがわかります。

同じ西脇の書で、ピカソのことが語られていて、

ピカソは、

「画家の仕事は、芸術というものによって「自然でないもの」を表現するのが本職である」と言ったことが紹介されている。






★京都の詩人「新しい言葉たち」のリーデイングイベントを京都大学で開きます。

2005年05月02日 15時24分57秒 | 


リーデイングイベントの日時と場所が決まりました。

■日時 5月28日(土)午後2時から午後5時まで。
■場所 京都大学文学部新館 第三講義室
(百万遍の交叉点を東へすぐ京大の北門からすぐです。)

■入場無料

■出演者

浅山泰美

河津聖恵

佐々木浩

田中宏輔

藤原安紀子

遠藤志野

萩原健次郎

豊原エス




★ゲストなど交渉中


詩のリーデイングとトークなども考えています。




★はじめて読んだゴットフリート・ベンの詩。古本屋で200円だった。

2005年03月22日 20時03分28秒 | 

休日が続いて、明くる日がしとしとと雨。
なんだか、身体が重くて眠たい。
昨日、古本屋=北白川の文庫堂へ行って
全集の片割れを安価で買う。

●「劉生絵日記」、岸田劉生の絵の入った日記。軽妙。  500円
●「故旧忘れ得べき」高見順の旧版。(筑摩)本のたたずまいがいい。 100円
世界名詩集(平凡社)
●ノバーリス「聖歌」・ハイネ「冬物語」 200円
●ウンガレッティ「破船の愉しさ」・クワジーモド「人生は夢でない」 200円
 ・カルドゥッチ「魔神に捧ぐる頌」
●ゴットフリート・ベン「肉」・カロッサ「詩集」 200円

とくに、ゴットフリート・ベンの「肉」は、はじめて読んだが驚いた。



 循環

 人しれず身まかったひとりの売女のひとりぼっちの臼歯は
 金をつめていた。
 ほかの歯たちは、こっそり申し合わせたように
 抜けおちていた。
 死体処理人がその金歯をたたき出し
 質に入れてダンスに行った。
 なぜって、彼が言うよう、
 土に還すのは土だけでいいのだからな。


訳は、ツェラーンの研究でも有名な詩人、生野幸吉。

生野の訳だけでも価値がある。

この作品は、ベンの最初の詩集『死体公示所』(1913年)より。

ナチに一旦は、協力した詩人とは思えない、いやそれ故か
協力した詩人と言うべきか、危険な力をもった詩人だ。





■ウジェーヌ・アッジェという完璧な詩人は、パリを写真で撮り尽くそうとした。

2005年03月15日 00時56分11秒 | 

心が動くんじゃないよね。
写真の場合。ファインダーがレンズが動く。
でなきゃ何も撮れない。
心よりも速くレンズが無意識に対象を撮ってしまえばいい。
それは、芸術の理想かもしれない。
フランスの黎明期の写真家、ウジェーヌ・アッジェの場合、
ユトリロなどの当時の画家のための資料として、ひたすらパリの街を撮った。
芸術でもなんでもなく。画家たちに二束三文の値段でそれを売って
生活していた。被写体に人間が入らないように夜明けの街を
重い機材をかついで毎日。
たまたま、同じアパートに住んでいた、マン・レイの助手だった
若いアメリカ生まれ(マン・レイもそうだが)の女性
ベレニス・アボットが、アッジェを発見する。
「ひょっとして、何も観念を有せず、つまりは、眼が機械化しているかのような
アッジェ爺さんのほうが、わが師匠のマン・レイよりも本質的なんじゃないの
表現のパラダイスを生きてるんじゃないの」と彼女は思ったか。
次に彼を発見したのは、アンドレ・ブルトンだった。
そりゃそうだよね。アッジェは、自己の観念よりも速く、写真を
ただ撮っていた。これは、シュル・レアリスムの自動筆記という
詩法といっしょだったんだよね。その次が、ワルター・ベンヤミン。
ぼくは、このアッジェの悲惨なパラダイス文芸を
「脳の木」という詩集にまとめた。
アッジェの写真は、完璧に孤絶して美しい。
観念が飛んで、欠けているからか、ひたすら
再現(リプレゼンテーション)だけが志向される。
アッジェの孤絶はもはや彼自身の観念、悲嘆の回路をめぐる
時間さえもなく、生や生動と同化されて、
写真が「撮られ続ける」。世界が不可能を志向しつつ再現されていく。
その写真には、生体としてのアッジェのフィジカルな欲動だけが
記される。
これが、詩でなくてなんというのだろうか。


              つづく