発見記録

フランスの歴史と文学

奇奇妙妙 ki ki mio mio

2006-06-07 20:55:26 | インポート

Zen2_2 ヴェイルガンス 永平寺の鐘から続く。

『私は作家だ』の最後に出てくる、呵呵大笑して死んだ僧Dokyoとは道鏡か?

永平寺の近くの滝で悟り(?)を開いてしまったマルクと作家エリックの掛け合いは、サーカスを意識したものらしい―耳慣れない楽器mélophone(p.179)は「道化のアコーデオン」だと注釈。

仏教や日本文化についての知識は「ねた」として存分に活用される。

Un maître zen du IXe siècle a déclaré : ? Les mots saint et profane sont des mots creux. Nos saints sont de vieux cons puants. Les Boddhisattvas sont des trimballeurs de fumier. Les notions d’Eveil et de Paradis sont des piquets pour attacher des ânes. Bouddha est un vieux bout de bois, une merde.(p.154)

(九世紀の禅師は喝破した、「聖俗を言うのは虚しい。聖人は鼻持ちならぬ老いぼれの阿呆である。菩薩は肥(こえ)運びである。「悟り」と「浄土」の概念はロバ(愚か者)をつなぐ杭である。仏陀は古い棒切れ、糞である」)

擬音語「ずきずき」のように散りばめられる日本語、「股旅物」「ひだるがみ」、原稿締切りの迫った作家は「缶詰」にされる。
秀吉が手紙で使ったという「もじ言葉」moji kotoba ―「鯉」(こい)の代わりに「こもじ」と書く。(p.130)  (「もじ言葉」検索結果

ポルトガルの宣教師が伝えた語 deusから、日本人はdaiuso(大嘘)という言葉を作った。(p.154)
調べてみるとまったくの出鱈目でもない。
茨木聖書教会<日本語になったキリスト教のことば> 「神」から「大嘘」まで
http://www.ne.jp/asahi/ibaraki/church/nihongo/niho001105.htm
ヨハネ皆川尚一氏「日本宣教論序説 日本に伝来したキリスト教」
(「日本のためのとりなしニュースレター」)http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2003/2003.02.pdf

珍奇でおかしくて、役には立たないが「へーっ」と感心させたり、何となく記憶に残る、そんなねたが選ばれているのだ。

Les plus beaux noms de la langue française étaient potamochère et ornithorynque.(p.163)
(フランス語で一番美しい名詞は「河猪(かわいのしし)」potamochèreと「かものはし」ornithorynque だった。)

マルクは少年時代、河猪()の牙をおじさんからもらう。
おじさんの「植民地ヘルメット」casque colonial ( 内側はコルク張り、通気孔など暑さ除けの工夫がある)も欲しくなる。
小さな頃から自分の部屋を小博物館にしていた。収集品のカタログを作り、入場券を近所の靴屋や肉屋に買わせる。母はお金を返して歩かねばならなかった。

日本という博物館。これは批判ではない。興味本位の批判は自分に跳ね返って来ることになる。

クリップアートはSerge Renoud氏による。GOgraph.com

楽器mélophoneについては「メロホン 奥が深いぞ」ブログ「今日の隊ちょ~」03/22/2005が非常に重要な指摘をされている。


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