発見記録

フランスの歴史と文学

サンドラール 『リュクサンブール公園の戦争』

2008-05-01 11:19:27 | インポート

On ne peut rien oublier
Il n’y a que les petits enfants qui jouent à la guerre.
何も忘れることはできない
戦争ごっこをするのは 幼い子供だけだ

サンドラールの長詩 ? La Guerre au Luxembourg ?は第一次大戦のさなか、1916年に書かれた。引用は英訳に原詩を付したBlaise Cendrars Complete Poems による。

夏の終わりのリュクサンブール公園、戦争ごっこに興じる子供たちは、列を組み行進し歌う(?Une, deux, une, deux / Et tout ira bien…? / Ils chantaient)松葉杖で男の子が拍子を取る、目には眼帯をして。女の子は伝令や看護の役。そんな情景を見つめているのは、現実の戦争を体験してきた詩人の目だ。やがて夕方になり、子供たちは女中や母親に連れられ家に帰って行く。

「松葉杖で男の子が拍子を」と書いたが、
Un blessé battait la mesure avec sa béquille
Sous le bandeau son oeil
子供が何かを松葉杖代わりに、負傷兵の真似をしていたのか?本物の負傷兵が、子供の行進に調子を合わせていたのではないか。迷うのは戦争と「ごっこ」が隣り合わせだからだ。二つの世界が、二重写しになる。

La Somme Verdun
Mon grand frère est aux Dardanelles
Comme c’est beau
Un fusil
ソンム ヴェルダン
兄さんはダーダネルス海峡にいる
何てきれいなんだ
鉄砲は

飛行船がエッフェル塔に近づくと歓声があがる。
On applaudit le dirigeable qui passe du coté de la Tour Eiffel

アンリ・ルソーは1890年の自画像に気球と、建設まもないエッフェル塔を描きこんでいた。それに似たのどかな光景のように思えるが、大戦中にはツェッペリン飛行船がパリに空襲を行なっている。

少年たちは死者や負傷兵の役をやりたがる。

Puis on relève les morts
Tout le monde veut en être
Ou tout au moins blessé
Coupe coupe
Coupe le bras coupe la tête
On donne tout
Croix-Rouge
Les infirmières ont 6 ans
Leurs coeur est plein d’émotion
On enlève les yeux aux poupées pour réparer les aveugles
J’y vois ! J’y vois !
それから死者を起こす
みんなが死者になりたがる
少なくとも負傷者に
切れ 切れ
腕を切れ 首を切れ
なにもかも
赤十字
看護婦は六歳の子供たち
こころ高ぶり
人形の目をむしり取る 兵士の見えない目を治すために
見えた!見えたぞ!

サンドラールは1914年7月29日、新聞掲載のアピールで、Ricciotto Canudo(イタリアの詩人、映画の理論家)と共に在仏の外国人芸術家に志願入隊を呼びかけた。数日後、自らフランス外人部隊に入隊。9月に戦線に旅立つ前に、ユダヤ系ポーランド女性Féla Poznanskaと結婚。1915年5月、アルトワでの攻撃でフランス軍は膨大な数の死者を出すが、サンドラールは生き延びる。「シャンパーニュの戦い」で9月28日負傷、右腕切断に至る。
この日戦場となった「ナヴァラン農場」laFerme de Navarin跡には、後に納骨堂と一体のモニュメントが作られた。詩は亡き外人部隊の仲間三人に捧げられているが、その一人ポルトガル人Xavier de Carvalhoが戦死したのもこの場所である。
http://www.crdp-reims.fr/memoire/lieux/1GM_CA/itineraire.htm
http://www.crdp-reims.fr/memoire/lieux/1GM_CA/monuments/03navarin.htm#site

この詩は戦時下の検閲を経、問題なく出版されている。声を上げて反戦を歌うわけではない。かといって戦意高揚に役立つとも思えない。ただ、? A PARIS / Le jour de la Victoire quand les soldats reviendrons… ?と始まる結びは、そこだけ取り出せば素朴な「勝利の日」の到来祈願と読めてしまう。驚いたことに1920年刊のアンソロジーErnest Prévost et Charles Dornier,?Le livre épique, anthologie des poèmes de la Grande Guerre?(Librairie Chapelot)では「勝利」の章にはこの最後の部分だけが、「勝利の日」のタイトルで収録されたという。(Michèle Touret, ?Manipulations poétiques : Autour de La guerre au Luxembourg de Blaise Cendrars ? PDF この論考には多くを負っている)

機関銃や毒ガスの使用、長い塹壕戦、第一次大戦は戦争のロマン主義を吹き飛ばした。この詩を書いた時、サンドラールの戦争観も1914年夏と同じではありえなかっただろう。しかしそれが「好戦」か「厭戦・反戦」かを二者択一的に問うことに、意味はあるだろうか。

A présent on consulte les journaux illustrés
Les photographies
On se souvient de ce que l’on a vu au cinéma
今度は絵入り新聞や
写真を参考にする
映画で見たことを思い出す

軍の映画部が作られたのもこの時期。フランス中の映画館で、劇映画の前に週刊戦争ニュース les Annales de la guerre が上映された。大量のイメージで戦争を擬似体験する。それは子供だけに限られたことではなかっただろう。現代にも通じる現象への、軽い皮肉を感じ取れなくもない。しかしこの作品全体が―サンドラールは献辞でそれを?ces enfantines ?と呼ぶ―公園の池を海戦の場に変え、大人に負けない情念や衝動を抱えた「幼なごころ」についての省察と言えないか。ヴァレリー・ラルボーの短編集?Enfantines?(1918) を連想させるのは、タイトルだけではない。

生田耕作訳『リュクサンブール公園の戦争』(奢霸都館)を参考にしたかったが古書の値段に仰天。ボードレールやランボーの訳詩集なら数知れずあるのに、サンドラールがあまり訳されていないのは不思議だ。


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