発見記録

フランスの歴史と文学

トロワイヤ ?Le mort saisit le vif?

2007-06-27 10:25:23 | インポート

Henri Troyat, Le mort saisit le vif (Le Livre de poche, 1966)

1942年の作。表題の訳が厄介。「死者は生者をして財産を所有せしめる→相続人は直ちに故人の遺産を与えられる」(小学館ロベール仏和)だけではよくわからないがJuridictionnaire の説明は難しすぎる。トロワイヤも小説の主人公も、法学部出身。

ジャック・ソルビエは子ども新聞「ル・ラタプラン」の主筆。ある日、リセで同級の医師ガラールの死を知らされる。
ガラールは早熟で、難解な哲学書を読み、教師に反抗し、多くの逸話を残した。ソルビエは未亡人シュザンヌの口から、ガラールが少しも変わらず、あまりに複雑な精神を誰にも理解されないまま早逝したことを知る。
ソルビエはシュザンヌと交際を始め、結婚。文学的野心など捨てていた彼にシュザンヌはガラールの遺した小説原稿を見せる。
『怒り』La Colèreとしてソルビエの名義で刊行された小説は、「モーパッサン賞」を受賞。しかしソルビエは小説のヒロインと同姓同名の女性、ニコル・ドミニの訪問を受ける。
「どうしてあなたの本で私の物語をお書きになったのですか?」
― Pourquoi avez-vous raconté mon histoire dans votre livre ? (p.111)
医師と患者としてニコルに出会ったガラールは、彼女をひそかに愛し、その不幸な人生を物語に綴ったに違いない。無心な彼女には盗作など思いもつかない様子、動揺するソルビエを追及もせず立ち去る。
第二作『暗夜』Nuit noireは正真正銘の自作、しかし出版の価値なしとの裁定に、ソルビエは自分の才能のなさを思い知る。

 Mon professeur de Lettres, au lycée, prétendait que le pastiche des grands auteurs était un excellent exercice de style. Je ferai des pastiches de Galard. Je penserai comme Galard eût pensé. J’écrirai comme Galard eût écrit. Je raconterai n’importe quoi, mais avec sa parole. Le récit de mon enfance, de ma jeunesse auprès de mon père, par exemple. Pourquoi pas ? L’essentiel c’est que Galard veuille bien se prêter à moi pendant quelques heures par jour.(p.176)
 リセで、文学の先生は、大作家の文体模写は絶好の練習になると言っていた。私はガラールの模写をやろう。ガラールなら考えたように考える。ガラールなら書いたように書く。何でもいいから、ガラールのことばで語ろう。私の子ども時代、父のそばで送った青春、たとえばそんな話。なぜいけない?肝心なのは、ガラールが日に数時間私に手を貸してくれることだ。

ガラールになりきるための必死の努力、彼が読んだ本を読むのはいいとして、そのうち地下室で探し出したガラールの古着を身につけ、墓地を訪れ、するうち現実と夢の区別がつけがたくなる。テンションの高め方、不条理の笑いは、幻想コントそのままだ。
この作品は風俗小説の側面も持つが、文芸出版の世界のお寒い風刺に堕しがちで、それに比べれば「幻想と驚異」の部分は、生命力を失っていない。

さて「モーパッサン賞」に輝いた『怒り』は、どんな小説なのか。原稿審査に当たった哲学者ボワシエールは言う、

?Admirable ! Je ne trouve pas d’autre mot, admirable ! Et quel culot ! Pas de plan ! Pas d’intrigue ! Des personnages qui surgissent et qui disparaissent dans une trappe! Et, par-dessus tout ça,un style d’or et de sang ! vous m’entendez, mon cher, vous avez un style d’or et de sang ! ? (p.38)
「素晴らしい!他に言葉がない。大胆きわまる!全体の組み立てなど、考えていない!筋書きもない!人物は突然現れ、消えたらそれっきり。何よりかにより、黄金と血の文体だ。いいかね、君には黄金と血の文体がある」

とにかく破天荒な作品らしいのだが、手っ取り早く「小説内小説」として見本を示したらどうなのか。「黄金と血」の比喩が想像させる文章を、いっぱつ書いて見せることはできなかったのか?小説を形式的遊戯として理解する作家の手にかかれば、?Le mort saisit le vif?はまったく異なる作品になっただろう。

J’étais un élève morne. Je me savais indigent,mal vêtu, et la conscience de cette médiocrité m’était bizarrement agréable. Mon père ne manquait pas une occasion de me rappeler au respect des fortunes solides et des situations installées. Il me suppliait d’élargir le cercle de mes relations. ?C’est parce que je n’ai pas eu de relations que je gagne un salaire de famine. C’est parce que tu auras des relations que tu feras ton chemin au soleil. Et, en matière de relations, on ne commence jamais trop tôt ! ?(p.9)
私はぱっとしない生徒だった。自分が貧窮し、ひどい身なりなのはわかっていた、そしてこの凡庸さの意識は、奇妙に心地よかった。父は何につけても、ゆるぎない資産と安定した地位に敬意を払うよう私を諭(さと)した。頼むから人間関係の輪を広げてくれと言った。「コネがなかったから私は安月給で働いているんだ。お前はコネを作って、日の当たる道を歩くんだ。コネ作りと来れば、どれだけ早くから始めてもいい」

文学賞受賞を祝う席で、ソルビエは父の姿に気づく。父が近寄る、目には涙を浮かべ、相手かまわず頭を下げ(?Messieurs, messieurs...Excusez-moi...?)息子を?mon petit Jacques?と呼び、「お前は金が稼げるぞ!コネができるぞ!」(?Tu vas gagner de l’argent ! Tu vas te faire des relations !? p.103)

この世界を色で言うなら灰色だ。ソルビエはそこから脱出しようとするが、それには「黄金と血の文体」が必要なのだ。


ひげ男の不眠―どこかで聞いたような話

2007-06-11 09:53:56 | インポート

映画撮影のためコテルニッチに向かう列車の中、エマニュエル・カレールは班のー人に聞かれたことが気になり出す。カメラマンが先に下り、列車から下りるカレールを撮るか、それともカメラがカレールの視線と一体になる撮り方にするか?

  Je n’ai pas su quoi répondre. C’est étrange : depuis que j’ai formé le projet de ce film, j’en ai beaucoup parlé, avec un enthousiasme généralement contagieux, j’ai écrit des notes d’intention, convaincu des décideurs, recruté une équipe, mais cette question toute simple ne m’a jamais effleuré. Et maintenant, dans le train de nuit parti de Moscou, elle commence à me tracasser. Comme le barbu à qui on a demandé s’il dort la barbe au-dessus ou au-dessous de la couverture, je me retourne sur ma couchette sans trouver grand réconfort dans les mots d’ordre que je répétais jusqu’alors comme des mantras : ne rien prévoir, être aux aguets, laisser venir.(Emmanuel Carrère, Un roman russe, p.173-174)
 何とも答えようがなかった。奇妙だ。この映画を計画してから、ずいぶん話をし、たいていはこちらの熱が相手にも伝わった、企画書を書き、決定権を持つ人たちを説き伏せ、撮影班を集めた、でもこの単純な問題を、ただの一度も思いつかなかった。そして今、モスクワ発の夜行列車で、問題が頭を悩ませ始める。眠る時、ひげが毛布の上になるか下になるかと聞かれた男のように、ぼくは寝台席で寝返りを打つ、それまで呪文のように自分に言い聞かせてきた言葉―前もって計画を立てない、注意だけは怠らず、なりゆきにまかせること―にも、それほど慰めは得られなかった。 

アルフォンス・アレのファンなら?La barbe?(邦訳は「ひげ」『悪戯の愉しみ』山田稔訳、 みすず書房)を思い浮かべるだろう。
カレールはしかし「アレのひげの男のように」とは書いていない。
小話は、特定の作者がいても「作者不詳」になりやすいのではないか。アレの話に、さらに元ネタがないとは限らないが。

Yahoo! Questions/Réponsesで見つけた、Gloumさんという方の質問。

C'est l'histoire d'un homme à longue barbe qui n'arrivait plus à dormir  depuis qu'un ami lui avait demandé si il dormait avec la barbe au-dessus   de la couverture, ou en-dessous.  Il lui avait répondu qu'il ne savait pas, et qu'il allait regarder la nuit  prochaine.  Mais la nuit venue, il s'interrogeait. Etait-ce au-dessus? Etait-ce  au-dessous. Il passait sa barbe d'un côté à l'autre sans être sûr que  c'était là son habitude.      Au bout de plusieurs nuits, n'en pouvant plus, il se rasa, pour retrouver  le sommeil.
Vous rappelez-vous d'où vient cette histoire (j'ai oublié)...

それは長いひげの男の話で、眠るとき、ひげは毛布の上か下かと友だちに聞かれてから、眠れなくなったのです。友だちには、さあどっちかな、今晩様子を見てみようと答えたのでした。でも夜になると、考えました。上だったか、下だったか?ひげを上にしても下にしても、それがいつもしている通りか、確信が持てません。幾晩もこれが続き、我慢できなくなった男は、気持ちよく眠れるように、ひげを剃ってしまうのです。
この話、出典をご存知ありませんか(私は思い出せません)

さすがにベストアンサーの回答者はアレを引用し、エルジェの漫画?Coke en stock?(『紅海のサメ』)にも似た話があると教えてくれる。

Wikipédiaの項Alphonse Allaisには、

En juillet 2005 le Premier ministre français Dominique de Villepin employait au cours d'une conférence de presse l'expression ? patriotisme économique ?. On peut attribuer la paternité de cette expression à Alphonse Allais qui l'emploie dans une nouvelle publiée dans ? Deux et deux font cinq ?. Patriotisme économique. Lettre à Paul Déroulède. Bien entendu, il brocarde joyeusement les thèses du patriotard.
2005年7月、フランスのドミニック・ド・ヴィルパン首相は記者会見の中で「経済的な愛国主義」という表現を用いた。この表現はアルフォンス・アレが生みの親とみなすことができる。アレはそれを『2足す2は5』収録の短篇「経済的な愛国主義。ポール・デルレードへの手紙」で用いる。もちろんアレは愛国屋の主張を笑いの種にしている。

この年7月、ペプシによるダノンDanone社の買収の噂が流れ、フランス政府はダノンを守ると意思表明をした。ド・ヴィルパン発言もそういう文脈でのもの。
2001年9月にもジョスパン首相がこの表現を用いている。ニューヨークでのテロによって景気の一層の冷え込みが懸念される中、首相はシュッド=ウェストSud-Ouest紙のインタビューで? Face au terrorisme et aux désorganisations qu'il cherche à provoquer, il y a une responsabilité presque civique des chefs d'entreprise et des consommateurs ; ils doivent (...) soutenir l'activité économique ?(テロとそれが引き起こそうとする混乱を前に、経営者にも消費者にも責任がある。公民の務めと言っても過言ではない。彼らは(・・・)共に経済活動を支えなければならない)と語り、? Faisons preuve tous ensemble de patriotisme économique. ?(一丸となって経済的愛国主義の証しを見せよう)と訴えた。(Dominique de Villepin en appelle au ? patriotisme économique ? Même expression, autre contexte Le Monde 29.07.05)

日本でも何かの名前や標語を公募すると、同一案がいくつも集まることがある。別に真似したわけではないだろう。俳句では「類想」「類句」と言うらしい。
アレのコントでは、山田氏が「安上がりの愛国主義」と訳されたように、言葉はおなじでも意味合いは違う。黒いユーモアの見本のような発想で、少なくとも「経済的愛国主義」のスローガンよりは独創的に思える。


エマニュエル・カレール『ロシア小説』

2007-06-07 06:43:39 | インポート

Romanrusse Emmanuel Carrère, Un roman russe (P.O.L, 2007)

シムノンの作品はロシア小説に比されることがある。1935年、批評家アンドレ・テリーヴは『下宿人』『情死』などを評した中で、?Ils offrent un comprimé de roman russe, à qui il ne manque que d’être diffus et tortueux.? (それはいわば圧縮したロシア小説で、ただ違うのは冗漫でもまわりくどくもないことだ)(Assouline, Simenon, ?Folio?,p.318)
この評に見られる「宿命」fatalité 「悲愴」pathétique 「自然のまま」brutなどの語彙から、テリーヴに何が「ロシア的」と感じさせるのかを推ることはできる。ロシア小説と聞いただけである風景が想起される、紋切型を承知の上でカレールの近作タイトルは選ばれた。

カレールの母が歴史家カレール=ダンコース、これは「常識」なのかもしれないが知らなかった。母方の祖父ジョルジュGeorges Zourabichviliはグルジア生まれ、ロシア革命後独立を宣言したグルジアが赤軍に占領され、一家は亡命。ジョルジュはベルリンの大学で哲学を学び五ヶ国語を話すが、フランスではタクシー運転手や露天商をやるしかない。妻ナタリーとの婚約時代に書いた手紙の、常軌を逸した饒舌、暗いエネルギーに、カレールはドストエフスキー『地下生活者の手記』を連想する。
グルジアを救おうとしなかった西欧に怨恨を抱き、民主主義を信奉せず、ファシズムに共感しながら、ユダヤ人排斥にだけは加担しない。ドイツ軍による占領下、経済部の通訳を務め、風向きが変わりだしても逃亡もレジスタンスに鞍替えもせず、1944年9月10日ボルドーで身柄を拘束されたまま消息を絶つ。
ジョルジュの生と死は長い間、家族の歴史の、大っぴらに語れない部分だった。カレール=ダンコースの欧州議会選挙立候補は、極右の日刊紙に父の対独協力を揶揄する記事が出、取りやめになる。
ジョルジュがベルリンで過ごした時期、亡命ロシア人の中にはナボコフもいた。出会うことのなかった二人だが、カレールは祖父の手紙を読み思う、すべてを高みから見下ろすダンディ、どんな逆境にあっても自らの天才を信じるナボコフこそ、祖父がそうあろうと望み、不安と自己不信から決してなりきれなかった類の人物なのだと。

祖父の物語は単独で小説に仕上げられそうだが、それだけでは「コラボ(対独協力者)」に食傷した文学愛好家を引きつけられない。第二次大戦中赤軍の捕虜になり、ロシアのコテルニッチKotelnitch村の精神医療施設に半世紀以上幽閉されていたハンガリー人の物語(カレールはドキュメンタリー映画撮影のためロシアに旅する)、同居人ソフィーとの愛情生活(近頃の「オートフィクション」の常として大胆であからさまに描かれる)、またカレールは、幼時には話したロシア語を再発見していく。これらの物語が緊密に結びあわされ、冗漫でも野暮ったくもないフランス産ロシア小説が誕生した。

シムノンの『マンハッタンの三つの部屋』は私生活を小説化した例として知られる。しかしシムノンはこの作品を、映画俳優フランソワ・コンブを主人公に、三人称の物語として書く。シムノンの小説にシムノンが現れるややこしさ(それは無限に錯綜させることができる)を、シムノンは嫌った。自伝的な『血統』さえ、少年をロジェと名づけ三人称で書かれる。

カレールは2002年夏、ル・モンドに短篇小説を発表する。書き出しは
Au kiosque de la gare, avant de monter dans le train, tu as acheté Le Monde. C'est aujourd'hui que paraît ma nouvelle, je te l'ai rappelé ce matin au téléphone en ajoutant que ce serait une excellente lecture de voyage. 
(駅のキオスクで、列車に乗る前に、君はル・モンドを買った。ぼくの小説が発表されるのは今日だ、ぼくは今朝、電話で君にそのことを思い出させ、絶好の旅の読書になるだろうと言い添えた。)
ポルノとも愛の手紙ともつかぬこの小説は、パリ発ラ・ロシェル行きTGVに乗ったソフィーが読むはずのものだった。「ぼく」は同じ時間に列車に乗りル・モンドを読んでいる人々の反応を想像する。「君」と呼ばれる女がすぐそばにいるかもしれないことに、彼ら彼女らは、いささか興奮を覚えるのではないか?
しかしソフィーは予定の時刻に列車に乗らない。きわどい、一方的な贈り物として書かれた小説を、彼女は読むことがない。短篇L'usage du ? Monde ?は「小説内小説」としてそのまま再録され、第三章を成す。

ソフィーとの間に最初からあった小さな溝は、このエピソードに明らかな「ぼく」の自己中心性、妄想癖、異様にねじ曲がった性格から、やがて修復不能になる。ソフィーの言葉? tu es vraiment tordu ?(あんたほんとに変よ)を冒頭テリーヴの?tortueux?と重ねるのは安直にすぎるが、自分の手で幸福を壊してしまうような行動に祖父ジョルジュのことを思い、「ひねくれ者の血」などと感じるとしたら、これを宿命と反復の物語にしたがる作者が悪いのだ。