発見記録

フランスの歴史と文学

これは三面記事ではない(2)

2007-08-18 21:30:16 | インポート

作者のフィリップ・ベッソンは、クリスティーヌ・ヴィルマンに一度も会っていない。資料と想像によって書かれた本。とはいえ事件の真相について、何か大胆な仮説が示されるわけではない。当事者が存命中ということもあるが、作者の関心は推理ゲームにはない。

ヴォローニュ渓谷の土地と人間、夫婦の生い立ち、リセでの出会い。クリスティーヌが18歳の時結婚。彼女の若さ、また無口で不機嫌そうな印象を与えたことから、結婚には親族からも反対があった。
夫婦はまず新居の建築に取り掛かる。建築計画が思うように進まず、ジャン=マリは苛立つ。クリスティーヌを平手で打ち、彼女は一時実家に帰る。
新居への引越しは、夫婦にとって「へその緒を切る」ことだった。しかしすぐに何者かの脅迫に脅える日々が始まる。「カラス」(le corbeau 匿名の手紙を書く人)として知られることになる人物は、家族の内情に通じていた。お互いを疑い、複雑な親族間の関係は、さらにもつれる。事件の背景、その夜起こったこと、それに続く、夫婦にとっては試練の日々。三人称の叙述に、クリスティーヌの語りが挿まれる。

  Je n’ai plus les mots pour parler de lui. Ou alors j’ai trop de mots. Ou je les ai trop employés. J’ai tout dit à son sujet. Sa bonne humeur. Son sourire. Son intelligence. Sa vivacité. L’amour qu’on avait pour lui, qu’il avait pour nous. L’enchantement de notre vie avec lui. J’ai répété sans me lasser. Aux questions qu’on m’a posées, j’ai toujours apporté les mêmes réponses. Toujours. Même lorsque j’ai été victime des insinuations les plus abjectes, je n’ai jamais dévié. Je sais ce qui m’unissait à mon tout-petit,je n’ai rien inventé,rien travesti. Que voulez-vous de plus ? (p.51)

もうあの子のことを話すことばがない。でなければことばがありすぎる。ことばを使いすぎたのか。あの子のことはすべて話した。機嫌のいい子。あの子の微笑み。頭のよさ。活発さ。私たちのあの子への、あの子の私たちへの愛。あの子と暮らす歓び。飽きることなく私は繰り返した。質問されるたび同じ答えをした。いつどんな時にも。おぞましい中傷を受けた時も、私の答えは決して変わらなかった。坊やに自分を結び付けているものを私は知っている、私は何も創作しなかった、何も偽らなかった。それ以上に何をお望みですか。

クリスティーヌ・ヴィルマンの無罪は確定している。1995年にはla Commission nationale d'indemnisation de la détention provisoireが、国は不当な拘留の賠償として彼女に410 000フランを支払うよう命じた。
しかし現在も、誰もが彼女の潔白を信じているわけではないらしい。事件当時「リベラシオン」の通信員だったドゥニ・ロベールは、クリスティーヌの周りに生れた「集団的嫌悪」la détestation collective について、司法・警察とメディアの責任を問う。(Denis Robert: "J'ai dérapé au moment de l’inculpation de Bernard Laroche" 20 minutes.fr )

子殺しの女のイメージが払拭しがたいとするなら、小説という形で彼女に悲しみや憤りを、明確に、強い言葉で訴えさせるのも、無意味ではないだろう。

小説が発表された昨年、evene.frの作者インタビュー(? L'intime pudeur ? )は

Les chapitres dans lesquels vous faites parler ou penser Christine Villemin sont les plus forts, les plus émouvants de votre livre. Comment avez-vous fait pour être à ce point réaliste, pour que tout ce que vous lui faites dire sonne si juste ?

J'ai déjà emprunté à trois reprises la voix d'une femme dans mes romans. Dans "Les jours fragiles" notamment, je me glissais dans la peau d'Isabelle Rimbaud, la soeur d'Arthur, au moment où celui-ci revient en France pour mourir et j'imaginais son Journal intime. J'ai besoin de me sentir en empathie avec ceux dont je raconte l'histoire, en sympathie aussi. Et puis je vais interroger à la fois la part de féminité et la part de douleur qui sont les miennes, et qui gisent au fond de chaque homme.

あなたがクリスティーヌ・ヴィルマンを話し・考えさせる章は本の中でいちばん強く、感動的です。これだけ真に迫り、あなたが言わせることばが、まさに彼女らしく響くというのは、一体どんなふうになさったのでしょう。

私はすでに三度小説で女性の声を借りました。特に"Les jours fragiles"ではイザベル・ランボー、アルチュールの妹になりきり、兄がフランスに帰国して死のうとするその時の、「内面の日記」を想像したのです。私は物語の人物に入り込めたと感じる必要があります、共感できることも大切です。そうして私自身のものであり、男性一人一人の奥底に眠る、女性の部分と痛みの部分に、同時に問いかけようとします。

クリスティーヌの語りのパトスと対照的に、三人称の声は距離をおき、時にはその冷静さが冷淡、酷薄とさえ感じられる。

Imaginons.
Imaginons ce que s’imaginent ceux pour qui la mère est coupable.

L’enfant n’est jamais allé jouer dehors. D’ailleurs, qu’irait-il faire sur un tas de gravats, dans cette étendue devant la maison qui n’est pas un jardin, où la mère n’a même songé à planter des arbustes, des fleurs, où traînent encore les outils qui ont servi à la construction ? (p.116)

想像しよう。
母親が有罪だと思う人が想像することを想像しよう。

子供は決して外へ遊びに行かなかった。それに石や漆喰の山の上に、何をしに行くのか、母親は小潅木や花を植えようと思いつきもせず、建築に使った道具がまだ転がっている、家の前の、庭でさえない空間に。

声は「何をしに行くのか」を反復しながら、クリスティーヌの証言を疑問に付していく。そして母親と一緒に子供が家に入るところ、浴槽での殺害、遺体を車に乗せ川に行くまでを克明に物語って見せる。「彼は家に戻った。母親について行った」(Il est rentré dans la maison. Il a suivi sa mère.)「彼女は何をやるべきか知っている。彼女は一日中、そのことを考えた。たぶんこの何年か、ずっと考えていた」(Elle sais ce qu’elle a à faire. Elle y a pensé toute la journée. Elle y a pensé toutes ces années peut-être.)

クリスティーヌ・ヴィルマンがこの小説を読み、作者を訴えると明言したとの話(*1)、どこまで本当かはわからない。
もし彼女が読めば、どんな箇所が耐えがたいと感じられたか、想像することはできる。

三人称で通さず、クリスティーヌの一人称の語りで統一もせず、二つの声の対話としたことこそ重要に思えるが、上出のインタビューはその点にふれていない。

(*1)Polémique Christine Villemin/Philippe Besson par François Busnel
Lire, mai 2006 http://www.lire.fr/critique.asp/idC=49985/idR=198/idG=3

またevene.frのインタビューにも言及あり。


これは三面記事ではない ? Ceci n'est pas un fait divers ?

2007-08-09 18:01:05 | インポート

Besson Philippe Besson, L'enfant d'octobre (Grasset, 2006)

叢書「これは三面記事ではない」? Ceci n'est pas un fait divers ?の1冊。巻頭に、現実の事件を「小説に再構成」した、一部登場人物の発言は作家の創作と注がつく。

1984年10月16日の夕刻、ヴォージュ県の村レパンジュLépanges-sur-Vologne(地図)で、4歳の男の子グレゴリ・ヴィルマンが突然いなくなる。母親クリスティーヌがグレゴリを車に乗せ帰宅、家の前で遊ぶように言ってアイロンをかける間のできごと。その夜、西南西のドセルDocellesで、ヴォローニュ川から手足を縛られた子供の遺体が引き上げられる。

翌朝、父親ジャン=マリに匿名の手紙が届く。「お前が嘆き悲しんで死ぬのを楽しみにしてるよ、チーフ」 ? J'espère que tu mourras de chagrin, le chef. ?  
ジャン=マリは自動車座席製造工場で、工員から短期間で職工長になった。4年前、低家賃住宅から高台にある新居に移る。電話と手紙による執拗な脅迫が始まったのはその頃だった。
通称「グレゴリ事件」l' affaire Grégoryについてはネットにも動画を含め多くの資料がある。ジャーナリストや事件に関わった警察・司法関係者による本も、何冊か出ている。大方のフランス人とは違い当方の知識は漠然としたもので、本書に沿ってその経緯を整理してみる。

激しい性格のジャン=マリは、家族の中にも敵を作りがちだった。憲兵隊は18日、「ヴィルマン一族」le clan Villemin 70人を集め、筆跡鑑定のため書き取り dictée を行なう。
11月1~2日、ジャン=マリの従兄弟で紡績工場の職工長ベルナール・ラロッシュが、義理の妹ミュリエルに告発される。
ミュリエルはコレージュの帰り道、ラロッシュの車に乗せてもらった。遊んでいるグレゴリにラロッシュが声をかけてから、川べりに着き凶行に及ぶまでを、ミュリエルは物語る。
5日、エピナル裁判所予審判事ジャン=ミシェル・ランベールはラロッシュを告訴。
7日にはミュリエルが早くも証言を撤回。12月には声と筆跡の鑑定結果が形式上の不備で無効と。
入れ替わるように、グレゴリの母親に疑惑の目が向けられる。11月22日、判事は事件当夜のアリバイ確認のためクリスティーヌを召喚。
1985年2月4日、ラロッシュは保釈。
同22日、クリスティーヌの妊娠が公表される。
3月29日、ラロッシュに子供を殺されたと信じるジャン=マリは、ラロッシュの家に赴き、口論の上、相手を射殺。
7月5日、判事はクリスティーヌを殺人罪で告訴、身柄を拘留。しかし16日にはナンシー控訴院弾劾部が保釈の決定を。
9月30日、ヴィルマン夫妻の第二子ジュリアン誕生。
1986年末、控訴院弾劾部が今度はクリスティーヌの重罪院移送を決める。彼女は数日後自殺をはかるが未遂に。弁護士は上告、翌87年3月17日、破棄院は上の判決を破棄。
若くて未経験なランベール判事に代わり、以後ディジョン控訴院長モーリス・シモンが予審を行なう。老練なシモン判事は、すべてを一から見直す。
最終的に1993年2月、ディジョン控訴院弾劾部が「証拠の不在」により不起訴の判決を。クリスティーヌの無罪は公式に認められた。
ジャン=マリにはラロッシュ殺害の罪により同年12月、コート=ドール重罪院で懲役5年(うち執行猶予1年)の判決。未決拘留33ヶ月を裁量し、12月27日条件つきで釈放される。

現在夫婦はエソンヌの村に住み、ジャン=マリは元の会社の技術者として働く。
また2000年には手紙の切手についた唾液のDNA鑑定が行なわれるが手掛かりは得られないまま、2001年4月予審は終わる。

事件のまとめならこんな小説仕立てでない「本格ノンフィクション」に頼るべきかもしれない。しかし基本的事実は創作を加えていないようである。

世論とメディアの加熱、先走り、また初動捜査を行なった憲兵隊やランベール判事の責任、これらの問題指摘は、たぶん先行する本でもなされているだろう。この本は必要だったのか? (続く)