発見記録

フランスの歴史と文学

Duane Michals デュアン・マイケルズ

2006-01-30 10:01:08 | インポート

Img049 Duane Michals デュアン・マイケルズ(?)日本語表記は若干ばらつきあり。
この写真集(Coll"Photopoche", Centre National de la Photographie, 1984)のことを忘れていた。複数の写真を組み合わせた「シークエンス」(Paradise Regainedがここに→ http://wwh.nsys.by/klinamen/gf1.html)写真に手書きの文を添える、こういう形式面以上に、エルヴェ・ギベールを連想させる点が多い。影響とかそんなことを言いたいのではない。ただ不思議な共鳴、共振に驚く。
1982年にMusée d'Art Moderne de la Ville de Parisで彼の展覧会が開かれる。この時ギベールの依頼でフーコーがカタログの序文を書いた。

技術的なことはわからないが、それらの写真はexpériences(経験、実験)として自分を惹きつけるとフーコーは言う。?…tout est matière à photographie, surtout les choses difficiles de notre vie : l’anxiété, les gros chagrins d’enfant, le désir, les cauchemars.Les choses qu’on ne peut pas voir sont les plus lourdes de sens. On ne peut pas les photographier, seulement les suggérér. [...] J’aime ces formes de travail qui ne s’avancent pas comme une œuvre, mais qui s’ouvrent parce qu’elles sont des expériences : Magritte, Bob Wilson, Au-dessous du volcan, La Mort de Marie Malibran, et bien sûr H.G.?(François Buot, Hervé Guibert Grasset p.89 から孫引き)
すべてが写真の素材だ、とりわけ私たちの人生のむずかしい事ども―不安、子供の体験する大きな悲しみ、欲望、悪夢。見えないものが一番重い意味を孕む。それは写真に撮れず、暗示することしかできない。(・・・)私が愛するのは、作品(業績)として着々と進むのではなく、経験(実験)であるがゆえに開かれたものになる、こんな形の仕事だ―マグリット、ボブ・ウィルソン、『活火山の下に』、『マリー・マリブランの死』(ウェルナー・シュレーター監督の映画)、そしてもちろんH.G.。


ゴンクール賞と「反」の構造

2006-01-28 22:14:34 | インポート

ちょうど100年前のフランス雑誌瞥見(1月14日)で写原さんがフェミナ賞についてお書きなのに便乗。

18世紀風サロンの再現はゴンクール兄弟の夢だった。1870年弟ジュール没。エドモンはオートゥイユの家の「屋根裏部屋」le Grenierに文人たちを招く。
アカデミー・フランセーズがバルザックのような真の才能に必ずしも門戸を開いてこなかったことにゴンクールは批判的で、1874年にはフローベール、バルベー・ドールヴィイ、アルフォンス・ドーデ、ゾラらを含む私的なアカデミーの会員をリストにする。名簿は何度も更新された。80年には亡くなったフローベールにモーパッサンが代わる。
http://www.freres-goncourt.fr/

http://www.academie-goncourt.fr/cr_testament.htm

96年エドモン没、遺言によりアルフォンス・ドーデとレオン・エニックはアカデミーと「散文の創作作品」に与えられる文学賞の創設を任せられる。

遺産をめぐるゴンクールの一部家族との法廷闘争(レーモン・ポワンカレが文学者側の弁護士)を経、アカデミー・ゴンクールが生まれた。
1901年4月パッシーのレオン・エニックの家にユイスマンス、オクターヴ・ミルボー、ロニー兄弟、エニック、ポール・マルグリット、ギュスターヴ・ジュフロワが集まる。更にレオン・ドーデ、エレミール・ブールジュ、リュシアン・デカーヴの三人を選出。会員は「十人衆」les Dixと呼ばれることに。

http://www.academie-goncourt.fr/creation.htm

1903年に第1回ゴンクール賞を受けたのは無名の作家ジョン=アントワーヌ・ノーJohn-Antoine Nauの『敵なる力』 Force ennemie  宇宙から来た生命が、詩人である「私」の中に入り込む。錯乱した主人公は精神病院に。
異様におとなしい紳士たち、自分は「アンテクリスト」だと思い込む元司祭、独房の重症者、様々な患者の群れ。副院長格の医師は患者以上にグロテスクな怪物。
詩人はやはり入院中の「ラファエロ前派の夢見た」ような黒髪の女性を情熱的に愛する。肉体を離れ「アストラル体」となって病院を抜け出す。幻想、SF、ロマン主義、自然主義などの分類を無意味に思わせる作品。2000年に復刊(Max Millo Editions)、刊行者マックス・ミロの序文ではゴーゴリ『狂人日記』や映画『カッコーの巣の上で』、 セリーヌやドストエフスキーに比される。

ミロが想像するように『敵なる力』はユイスマンスやロニー兄弟、特にミルボーを魅したはずだ。著者のノーには賞金五千フランが与えられたが、大きく報道されることもなく終わる。(第2回、レオン・フラピエ La Maternelleの受賞で初めて注目を集める) 

アカデミー・ゴンクールの会員は当初男ばかりだった。クレール・ガロワはフェミナ賞百周年の記念講演で、当時ユイスマンスが「ここにはスカート無用」? pas de jupe chez nous ?.と言ったという。「スカート」とは、当時人気の女流作家ミリアム・アリ。1904年、審査員はすべて女性の文学賞が創設された時、賞がミリアム・アリに贈られたのは、アカデミー・ゴンクールの性差別への抗議の意味があった。(*1)審査を行なうのは雑誌「幸福生活」に寄稿する女性たち、「数は20人、アカデミー・ゴンクールは10人で、女の脳は男の脳の半分相当だと言うのだから」(*2)「幸福生活」賞はその後1922年にフェミナ賞と改名、審査員も現在の12名になる。
http://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/communiq/donnedieu/histoirefemina.htm

ゴンクール賞が決まるその日、記者や文芸批評家はレストラン「ドルーアン」での長い審議が終わるまで待機する。決まれば大慌てで受賞者に取材、原稿書き。1925年、待つのにうんざりした彼らは、半ば冗談に自分たちで賞を新設してしまった。これがルノード賞の始まり。http://www.renaudot.com/
「11月賞」 le prix Novembre(1989年から。その後「12月賞」le prix Décembreとなる)は1998年ウエルベック『素粒子』に与えられたことで知られ、明確に「反ゴンクール賞」をめざす。
http://membres.lycos.fr/sublimeacide/pages/Les%20prix%20litt%E9raires.htm
こうして本来「反」の立場から生まれたアカデミー・ゴンクールとその文学賞は、いくつもの「反」を生んで行った。

とこれが今日の落ち。「反」は正確でなく「もう一つの」かもしれません。

(*1)「スカート」発言は事実か、いつのものか?アリはTrois ombres(1932)で、ユイスマンスとの友情を振り返っているという。

(*2)検索すると大抵「22人の」 20人プラスリーダー格のアンナ・ド・ノアイユと誰かもう一人を含めてか。同じ席でのAllocution de Renaud Donnedieu de Vabresでも"...elles sont vingt, rassemblées sous l’égide d’Anna de Noailles."


Une histoire de solitude ある孤独の物語

2006-01-25 17:00:45 | インポート

一度2000年7月のLe Monde記事Sumako Koseki, une histoire de solitudeに戻ります。あちこちするのはご容赦を。

彼女は3年前郷愁に駆られ日本に帰国した。

? J'ai compris que mon histoire était une histoire de solitude. Je ne suis ni française ni japonaise. Quand on ne peut pas appartenir à un pays, la solution, c'est d'appartenir au tout, au cosmos. Ce que je prenais pour de la nostalgie vis-à-vis du Japon était en réalité la nostalgie que chacun éprouve après l'arrachement de la naissance. ?

(私はわかりました、自分の物語が孤独の物語なんだと。私はフランス人でも日本人でもありません。一つの国に帰属することができない時、解決は全体に、宇宙に帰属することです。日本への郷愁だと思ったのは、実は人間が生れることで宇宙から引き離された後、感じずにいられない郷愁だったのです。)

Si la mort mène à ? rejoindre ce tout ?, Sumako Koseki croit que l'art permet de s'en approcher ? avant de mourir ?, dit-elle. Elle cherche aussi à l'atteindre par d'autres voies corporelles, en pratiquant le tai-chi, un art martial chinois, et le zazen, une discipline physique et mentale de méditation.

(人は死ぬことで「この全体と再び結びつく」とするなら、古関すまこは、芸術は「死ぬよりも前に」それを間近に体験させてくれると言う。また彼女はその他の身体を通した技法で目指す地点に至ろうと、中国の武術太極拳や身心の瞑想技術である座禅を行なう。)

舞踏は日本では片隅に追いやられていると彼女は言う。国の財政的援助も限られ、舞踏で生活することはむずかしい。

初めのL'Autre Journalの記事では、舞踏家の多くが主にヨーロッパへ「亡命」したというその理由がおぼろげながら窺えた。「和」を重んじる日本の社会は創造的な仕事をする人間に「機能停止」(un blocage)を起こさせる面があるのだと言う。


OéとOe sakeとsaké

2006-01-24 21:47:38 | インポート

"...Son président, le flamboyant Takafumi Horie (prononcer ?Horié?), 33 ans, ...
(・・・同社の社長、華々しきTakafumi Horie(≪ホリ≫と読む)は33歳、・・・)http://www.liberation.fr/page.php?Article=352346

Oeで通りそうな大江氏も↓ではKenzaburô Oé (*1)
http://correcteurs.blog.lemonde.fr/correcteurs/2005/11/harakiri.html

nama sake
Se dit des saké non pasteurisés. 
http://www.lejapon.org/info/modules.php?name=News&file=article&sid=863

辞書の一例。
SAKÉ, SAKI併記 http://atilf.atilf.fr/dendien/scripts/fast.exe?mot=sake
いちばん古い例 saquéからの変遷を示す。
またnetsuke(辞書ではともかく、一般にはアクサン無しで通用する)の場合
Étymol. et Hist. 1881 netské (E. DE GONCOURT, Mais. artiste, t.2, p.305); 1903 netzké (Nouv. Lar. ill.); 1932 netsuké (Lar. 20e).
同辞書kamikazeの注。
Prononc. et Orth. : [kamikaz(e)]. Banque Mots 1971, p. 222 -kase, ainsi que -kazé et -kasé. CATACH-GOLF. Orth. Lexicogr. 1971 proposent d'écrire kamicase.
Google.frでkamicaseを検索した結果

"Moé, ou Moe, (萌え) est un néologisme japonais..."
http://fr.wikipedia.org/wiki/Mo%C3%A9

(*1)Kenzaburô Oé ローマ字でも「訓令式」ではTôkyô のように書くと定めていた。
http://www.halcat.com/roomazi/doc/sisinkakikata.html

別問題になるが大文字のアクサン省略についてもフランスでは是か非か議論があるらしい。
LE COUP DE DE DE DE GAULLE (Le coup de dé de De Gaulle )などの傑作例が↓に

http://sqlpro.developpez.com/Normes/SQL_normes.html
 


舞踏、アルトー、ペスト、シムノン

2006-01-23 11:49:09 | インポート

昨日の続き。古関すまこ舞踏の会でも紹介されているLe Monde(22.07.00)記事 Sumako Koseki, une histoire de solitude

DE SUMAKO KOSEKI, on ne voit d'abord, sur scène, que les mains et les pieds nus.
(まず舞台に見えるのは、古関すまこの手と素足だけである。)

光は手足の動きだけを浮かび上がらせ、やがて闇から白塗りの彼女の顔がーlune un peu folle(少し気のふれた月)―現れる。

Sumako Koseki cherche dans la danse la magie originelle du théâtre évoquée par Antonin Artaud, appelant à ? imposer cette notion supérieure du théâtre qui nous rendra à tous l'équivalent naturel et magique des dogmes auxquels nous ne croyons plus ?.

(古関すまこが舞踏で追い求めるのはアルトーの言った演劇の根源的魔術だ、アルトーは「もう信じる者のなくなった教義の自然で魔術的な等価物を我々すべてに返すような演劇の高次の概念を認めさせる」よう訴えた。)

『演劇とその分身』からか。訳してみてもちんぷんかんぷんである。

どこかの大学の試験問題(section C (b) )に『演劇と・・・』からの引用。

ギリシア神話などちょん切ったり八つ裂きにしたり凄惨な話が多いがアルトーは言う、
Et c'est ainsi que tous les grands Mythes sont noirs et qu'on ne peut imaginer hors d'une atmosphère de carnage, de torture, de sang versé, toutes les magnifiques Fables qui racontent aux foules le premier partage sexuel et le premier carnage d'essences qui apparaissent dans la création.
(こうしてすべての偉大な「神話」は暗澹とし、殺戮と拷問と流血の雰囲気なしには想像できない、これら目覚ましい「話」は世界に現れる根本存在の最初の性の分離、最初の殺害を群集に物語る。)

(essences「根本存在」は苦しい。「本質」よりはましかと思う)

アルトーは演劇を疫病ペストと同一視する。それは「膿(うみ)を出す」ために集団で行なわれる一種の儀式である(ギリシア悲劇の「カタルシス(浄化、発散)」と似ているかも)
Le théâtre comme la peste est une crise qui se dénoue par la mort ou la guérison. (演劇はペストのように一つの危機であり死か治癒によって終わる。)

サイトで似たようなことを書いた覚えがある。

ー彼(シムノン)はプルーストやゾラの「年代記小説roman-chronique」と、古典悲劇に似た「危機小説roman-crise」を対置します。危機の小説とは、日常と異なる、短い時間にいっさいが凝縮されたような時間を書くものらしい。
 シムノンが自分をどちらの派だと考えているかは明らかです。彼は自作の、物語をつねに凝縮し、登場人物をいきなり絶頂に押しやる傾向を認める。結局彼の追及しているのは「裸の人間」、時代や環境を取っ払ったところに残る原型としての人間なのだと言う。
http://www1.ocn.ne.jp/~ppl/epaves/sgide.htm

青土社の雑誌が特集を組んだりしないシムノンだが、おかげでアルトーのことばが(少しだけ)わかる気がする。Criseは「発作」でもある。

自己引用が多いのはお許し願いたい、いつまで無事に続けられるかもわからないし「総括」の意味もある。

引用文のアルトーは、
Et la question qui se pose maintenant est de savoir si dans ce monde qui glisse, qui se suicide sans s'en apercevoir, il se trouvera un noyau d'hommes capables d'imposer cette notion supérieure du théâtre, qui nous rendra à tous l'équilibre naturel et magique des dogmes auxquels nous ne croyons plus.
(この滑り去る世界、それと知らず自殺していく世界に、この高次の演劇の概念を認めさせることのできる一団の人々が現れ、もう信じる者のない教義の自然で魔術的な均衡を我々みんなに返してくれるだろうか?今問われるのはこのことだ。)

これだと「教義」dogmesに悪い意味は込められていないようだ。