Daniel Pennac, Chagrin d'école (Gallimard)
cancre 劣等生 (原義は「カニ」)
crack (1)競馬の人気馬 (2)できる子、名人 ~ en mathématiques 数学が・・・
fort en thème (悪い意味で)優等生、ガリ勉 文字通りには「thème(母国語から外国語への翻訳練習)に強い子」
昨年ルノード賞を取ったペナックの本、裏表紙に少年時代の通信簿のコピー。どの科目もクラス平均を大きく下回る。フランス語ぐらいは得意でもよさそうだが、平均14,2に対して7、英語には先生のコメント、?Parle beaucoup, mais pas un mot d’anglais?(よくしゃべるが、英語はひとこともなし)
ノートに書いたいたずら書きの再現(p.31)では、b の文字が徐々に小さな人間に変身し、走り出し、水に飛び込む。
14歳の時、初めて入った寮から母親に宛てた手紙(p.43) ?Moi aussi j’ai vu mes notes, je suis écoeuré, j’en ai plein le dot [sic], ...?(ぼくも点数を見ました、いやになります、もう沢山です〔原文のまま(dotはdosの誤まり)) いちいち「原文のまま」と付記し、誤りだらけの文を引く。よくできる三人の兄と自分を比べ、少年は母親に訴える、これ以上「殺戮」le massacreを続けるのはやめて、ぼくを植民地に行かせてください。軍人の家系で、ペナックはカサブランカで生まれた。どこか遠い、「世界の果て」への亡命の夢。
できない子は、なぜできないのか。貧困や社会的なハンディを背負った子供もいる。ペナックの父はポリテクニーク出身、母は専業主婦、教養ある家庭。環境の問題ではなかった。
この本は「なぜ」の社会学的分析より、まずできない子の「わからないという苦痛」la douleur de ne pas comprendreを問題にする。
自分を「ゼロ」nul として意識し、怠ける理由を見つけるのばかりうまくなり、いよいよだめになって行く心理的な過程も、仲間と「群れ」bandeを作りたがるわけも、ペナックにはよくわかる。それは彼自身と、教師として接してきた子供たちの物語だ。
著名人が、実は劣等生だったと告白するのは、決して珍しくない。むしろそれは普通の道を歩まなかったしるし、一種の「勲章」になっている。彼らの言葉を信じられるのは、その背後に真性の痛みが感じ取れる時だけだとペナックは言う(p.95)。
s’en sortir (窮地を)切り抜ける 何とかうまくやる
わが子が?s’en sortir ?できるか、ペナックの母親は、絶えず息子の将来を案じてきた。もうすぐ百歳になる彼女に、ペナックの兄ベルナールは、弟が有名作家として出演したテレビ映画を録画し見せる。それでも母は、同じ不安を口にする。?Tu crois qu’il s’en sortira un jour ? ?(p.14)
1959年に劣等生だった子供は、1969年から教職に就く。
―Si ce que vous décrivez de votre cancrerie est vrai, pourrait-on m’objecter, cette métamorphose est un authentique mystère ! (p.95)
「もしあなたがお書きの劣等生ぶりが嘘でないなら」、と反論されるかもしれない、「この変身はまことの謎ですね」
しかし成長期の十年は大人の十年ではない。寮生活を始めたことで、両親への嘘やごまかしにエネルギーを費やす必要がなくなった。
救い主として現われた何人かの先生。まず第3学級(中等教育4年目)のフランス語の老教師は宿題をやってこないペナックに、小論文の代わりに小説を書かせる。週に一章、主題は自由だが、綴りに誤りがあってはいけない。ペナックは創作に夢中になる。辞書を頼りに、綴りを確めながら。トマス・ハーディを耽読していた頃で、それは暗くて救いのない運命論的物語だったはずだ(p.98)。
Je m’en moque. 知るもんか。
Je n’y arriverai jamais. ぼくにはとてもできそうにない。
「副詞的代名詞」などと呼ばれる?en?と?y?は、?Ça y est.?(うまくいった、よし)のように、何を指すのか明瞭でないことがある。ペナックは生徒たちと一緒に、こういう単純だが謎めいた言葉の解明に取り組む。?en?で表わされる、できない子たちの日常。そこから未来へと抜けだし(s’en sortir)、成功する(y arriver)ことが、できるだろうか。
先生が出席を取る。生徒たちの答え、? Présent ?, ? Présente ?―そこに「いる」こと、absent(不在の、放心した)ではなく。教師にもprésenceが求められる。そうして初めて教室は「現在をそのままに生きる」vivre le présent comme tel 場になる。先生にも、生徒たちと常時「い」続けることはできない。「別の場」ailleursを求めて、ある女性教師は弦楽クワルテットでチェロを弾く。
フランスでも時代と共にさまざまな教育論が現われ、教師もその都度新理論に影響されてきたと思われる。ペナックの語調がいらだたしげになるのは(p.143)おそらくそういう事情があるのだろう。書き取りdictéeが「反動的」だという議論に対しては、敢然とこれを擁護する。ペナックは書き取りが大の苦手だった。しかしそれが始まる一瞬、何が読まれるのかと好奇心をそそられたものだ。
生徒のひとりニコラが言う(p.146)、ぼくは書き取りでは零点しか取ったことがない。他にも同じような子供がいる。
聞いていたペナックは、即興の文章を書き取らせる、? Nicolas prétend qu’il aura toujours zéro en orthographe...?(ニコラはいつも正書法で零点を取るだろうと言い張る・・・)
他の子供たちのこともうまく文中に織り込んで興味を持たせ、しかも文法の要点チェックになるような内容でなければ。先生はすばやく頭を働かせる。
毎日の書き取りは、クラスの日記のようになって行く。辞書の早引き競争。指名した子に書き取りの問題を作ってこさせる、「6行の文章で代名動詞が2個、avoirを伴う分詞が1個、それから・・・」
本を書き出した時、ペナックは友人たちに警告された。近頃の子供は、昔の子供とは違う。それに彼が教師を辞めて12年ほど経つ。その間にだけでも学校は変わった。
若い先生たちに?Nous ne sommes pas formés pour ça ! ?(私たちはこんなことのために養成を受けたんじゃない)と悲鳴を上げさせるような状況。子供をしつけられない家族。一部の学校での暴力。スカーフの着用のような「宗教の回帰」、先生たちが監督surveillantやカウンセラーといった専門家の手を借りたくなっても無理はない。
しかし、とペナックは考える、困難なしに教育ができると考えるのは、つまり理想の生徒を想定しているのだ。逆に劣等生こそ普通だと思うのが、教育の知恵というものだろう。生徒にすべてを、何よりまず勉強の必要から教える者がいなければならない。それが教師の役割なのだ(p.274)。
父親のおじ、ジュールはコルシカの村の小学校教師だった。忙しい栗の収穫期、親は子供に授業を休ませたがる。するとジュールおじさんは、無理やり子供を学校へ「さらって」enlever行くのだ。おじさんのおかげで、フランスには何世代もの教師、郵便屋、憲兵、官吏が生まれた。公教育の父とされるジュール・フェリーと奇しくも同名のおじさんは、「人食い鬼」ogreを連想させないだろうか。
Si c’est une légende, je l’aime. Je ne crois pas qu’on puisse concevoir autrement le métier de professeur.(p.26)
伝説だとしても、私はこの話が好きだ。教授の仕事を別な風に考えることができるとは思わない。
「ジュール・フェリーの子供」の死を、ペナックはおよそ1975年頃と位置づける。昔の子と今時の子が一番違うのは、「彼らは兄さんのお古のセーターを着ていない」(p.283)ことだ。「郊外」の少年たちも、靴やジーンズはブランドものに惹かれる。消費社会化した先進国の教師は「お客様である子供」l’enfant-client(p.286)を相手にしなければならない。
時々語り手ペナックの分身、「劣等生であった私」が現われて、遠慮なくツッコミを入れる。長年の、多くの人たちとの対話、そして自問自答の末に書かれたことが感じ取れる。逸話と卓抜な比喩で語りかける円熟した技量、ベストセラーになったのも肯ける。フランスの今時の学校を見てきたわけではない評者には、教育の現況についてペナックの叙述で十分かどうか、何とも言えないが。「伝説」として、この本はプレヴェールの詩『劣等生』と並ぶ価値を持つだろう。
Hommage à Jacques PREVERT : Le cancre
http://mortain.free.fr/Culture/Prevert/prevert6.htm