「西洋杉の大木について感嘆したことといえば、誰かがこれを帽子の中に入れて持ってきたのかもしれないということだった」(ギュスターブ・フロベール『ブヴァールとペキュシェ』第1章、鈴木健郎訳、岩波文庫)
Ce qu’ils admirèrent du cèdre, c’est qu’on l’eût rapporté dans un chapeau.(Wikisource)
ジャン-ノエル・ジャンヌネー Googleとの闘い―文化の多様性を守るために (岩波書店)は、この引用を全体の題辞とする。 向学心に燃えるブヴァールとペキュシェは、骨董屋から博物館、パリのあらゆるコレクションを見て回る。パリ植物園で「西洋杉の大木」を嘆賞するのだが、帽子云々は?調べてみるとこの木(画像) には言われがある。
植物学者ベルナール・ド・ジュシュー(1699-1777)は1722年から王室庭園の教授となり、植物コレクション充実に大いに貢献。リヨンのジュシュー家は17世紀以来、植物学者を輩出した。ベルナールは兄アントワーヌの誘いでイエズス会学校での学業を中断、共にスペイン・ポルトガルへ採集の旅をする。1720年帰国、モンペリエで医学博士号を取るが植物への情熱は止まなかった。(Wikipedia)
国立自然史博物館のサイトから借りた図版 Bernard de Jussieu revenant d'Angleterre en 1734, et rapportant dans son chapeau deux pousses de cèdre du Liban.(ベルナール・ド・ジュシュー1734年に英国より帰還、帽子に入れてレバノン杉の新芽を二つ持ち帰る)
「帽子に入れ」は真偽不明、聖地から持ってきたとの説もあるようだ。とにかくそれは、フランスで最初に植えられたレバノン杉だった。 最近でも次のブログで取り上げられている。
Le grand cèdre et le chapeau de M. de Jussieu novembre 13, 2007 par switchie
ここからのリンクを辿る、児童書の古典、G・ブリュノのLe Tour de la France par deux enfants (二人の子供のフランス一周)は第三共和制時代に教科書として出版された。アルザス=ロレーヌがプロシアに併合されまもない頃、父親の死で孤児となった兄弟アンドレとジュリアンは、フランスに脱出、各地を遍歴。地図や挿絵も多く、百科全書的知識が自然に身につくよう書かれている。第65章ではリヨンの生んだ偉人の一人として、ベルナール・ド・ジュシューとレバノン杉の話。フランツおじさんに連れられて出かけたパリ植物園(第117章)で、おじさんはレバノン杉を指さす、本で見た木の大きさにジュリアンは驚嘆。
? Eh bien, dit l'oncle, il y a eu bien d'autres plantes qui ont été introduits en France par le Jardin des Plantes : les acacias, qu'on trouve partout aujourd'hui, n'existaient pas en France jadis et ont été plantés ici pour la première fois. Les dahlias, les reinesmarguerites, qui ornent maintenant tous nos parterres, viennent également de ce jardin. On s'efforce ainsi de transporter et de faire vivre chez nous les plantes et les animaux utiles ou agréables. Nous empruntons aux pays étrangers leurs richesses pour en embellir la patrie.
「だがまあ」とおじさんは言った、「パリ植物園からフランスに入った植物は他にもたくさんある。今ではフランスのいたるところにあるアカシアもその昔にはなくて、ここで最初に植えられたんだ。今ではフランス中の花壇を飾るダリアやアスターも、この庭園から広まった。そういうふうに有益な、あるいは快い植物動物を移植し、私たちの国で生かす努力が行なわれている。外国の富を借りて祖国を美しくするのだ」
『Googleとの闘い』は、2005年ル・モンドに掲載された「Google がヨーロッパに挑む時」Quand Google défie l'Europeを発展させたもの。当時フランス国立図書館長だった著者がGoogleの電子図書館構想の衝撃のもと書いた記事には、大きな反響があった。「アングロサクソンの連携」により計画が進むことにジャンヌネー氏は危惧を抱く。ヨーロッパの言語からの翻訳は「アメリカで出版される全書籍数の3%にも満たない」 Googleの図書館には、どんな本が選ばれることになるのか?
フランス革命史の例が挙がる。氏を不安にさせるのは、例えばサイモン・シャーマの Citizens (邦訳. フランス革命の主役たち臣民から市民へ 中央公論社)である。それはどうやら革命を流血と恐怖政治に還元し、むしろ革命に先立つ時代こそ活力に満ちていたとする本らしい。こういう著作が英米では人気を博するとすれば、古典作品の選択にも偏りが生じないか?
ジャンヌネー氏は歴史家として1989年のフランス革命200周年式典プログラム作成に関わった。最近ではル・モンド(11月9日号)に「ラファイエットをパンテオンに?おいおい!」La Fayette au Panthéon ? Holà !を寄稿、生誕250年を祝う式典で米国大使と同席したクシュネル外相が、ラファイエットの遺骨のパンテオン入りを仄めかしたのに反対を表明した。アメリカ独立革命の英雄、ジャコバン嫌いの王権擁護派、ラファイエットの史的評価にも米仏隔たりがあるかもしれない。いやフランス人にとっても革命の遺産とは何なのかは、まだ決着のつかない問題なのだ。ジャンヌネー氏の一文にも早速反論があった。
サイモン・シャーマの本は、Googleで"books french revolution"を検索するといきなり出てきた。一方で、刊行当時のNYRBでは、辛辣な評を受けている( April 13, 1989 The Two French Revolutions By Norman Hampson ) シャーマは、フランスの産業・経済は18世紀に大きく発展したが、革命がそれを台無しにしたと見る。「1780年代には、機械化を伴う新事業が、ほとんど毎月起こされるようだった」 これには「シャーマの描くフランスが、19世紀のランカシャーに思えてくる時がある」 また農業の発展が本当に近代のとば口まできていたか、アーサー・ヤングの『フランス旅行記』を引きあいに出し、疑問を投げかける。
読んでもいない本への言及を重ねるのは恥ずかしいことだが、行きがかりでやむをえない。『Googleとの闘い』に戻る。Googleの広告やランク付け技術への批判(ヨーロッパでは、「重要な関連サイトが検索エンジンのリストから除外される可能性は小さい」)、Googleはアーカイブの長期的な保管保存に無関心だとの指摘。この点もヨーロッパの方が進んでいるという。
独自の検索エンジンなど構想段階のものを含め、欧州側の試みが紹介されているが、私は後ろ向きの人間で、まだこれからの話には関心が薄い。さしあたりフランス国立図書館のGallicaを何とかしてもらえないかと思う。文書内検索もコピペもできないものが多すぎる。前出Le Tour de la France par deux enfantsも、Gallicaのでは拾い読みができない。挿絵も画像が粗く、どうかすると無残に化けている。結局それは予算の問題であるらしい(「(急速に発展しているが)現在の技術を前提にしても、テキスト・モードはイメージ・モードの八倍から十倍の費用がかかるためだ」)Gallica 2 ではどうなって行くのか、楽しみにしておこう。