発見記録

フランスの歴史と文学

少年フローベール 「お話」の時間

2006-04-29 20:34:23 | インポート

フローベールの姪カロリーヌの回想 SOUVENIRS INTIMES de Caroline Commanville,
la nièce de Gustave Flaubert
に、フローベールの少年時代を語ったところがある。主に彼が4歳の時から奉公した女中ジュリーからの聞き伝えだという。
ジュリーはルーアンに近い村 Fleury-sur-Andelle (写真)に生まれた。谷合に位置し、点在するお城、廃墟と化した修道院、周囲を囲む丘の森。魅惑の土地は恋の話、幽霊の話と、伝説を育む土壌となった。
ジュリーの家庭は父親が代々の御者で酒飲み、しかし娘にはお話の天分があった。
幼いギュスターヴはジュリーのそばに坐り、一日話を聞いていた。ジュリーは口承の伝説に、本で読んだお話を付け加えた。膝の痛みで一年間床に就いていた時、同じ階級の娘よりは多くの本を読んでいた。

フローベールの父はルーアンの病院オテル・デューl'Hôtel-Dieuの外科部長、病院の一角は現在「フローベール医学史博物館」に。フローベールの生まれた部屋(写真

病院と通りを挟んだ小さな家に、ミニョMignotという老夫婦が住んでいた。ギュスターヴはミニョ爺さんのお話を聞きに行くようになる。爺さんの膝に坐り、何度でもおなじ話をせがんだ。爺さんは『ドン・キホーテ』も読んで聞かせた。セルバンテスに感嘆するフローベールの気持ちは、生涯変わらなかった。


ファルギエールと「名声」の寓意像

2006-04-23 11:10:41 | インポート

Basejoconde アレクサンドル・ファルギエールの作品データ( Base Joconde)オルセー美術館蔵の石膏像RENOMMEE AU FORGERON に目が止まる。図版はない。「名声」Renommée と「鍛冶師」を組み合わせた寓意像には違いない。直リンクできず画面をコピー。サムネイル表示。

ESQUISSE POUR LE GRAND BRONZE FONDU PAR LEBLANC BARBEDIENNE, PRESENTE A L'EXP. UNIVERSELLE DE 1900 ET MAINTENANT CONSERVE AU JAPON ; UNE ESQUISSE EN PLATRE"LE TRAVAIL"EST CONSERVEE AU PETIT PALAIS A PARIS
(この習作をもとに、ルブラン=バルブディエンヌが大ブロンズ像を鋳造、〔ファルギエールの亡くなった〕1900年のパリ万国博に出品された。現在は日本に保存。石膏の習作「労働」がパリのプチ・パレ美術館に)

ルブラン=バルブディエンヌ社la Maison Leblanc-Barbedienne et Cie はブロンズ作品の鋳造や、彫刻の複製を専門とする。フェルディナンFerdinand Barbedienne(1810-1892)が、複製技術を開発したアシール・コラスAchille Collas(1795-1859)と創業。ヨーロッパの主な美術館の彫像はバルブディエンヌの手で近代家屋にふさわしいサイズに縮小された。フェルディナンの死後は甥のギュスターヴGustave Leblanc-Barbedienneが後を継ぎ、1955年まで営業を続ける。より大きな製品の鋳造に事業を拡げ、複製は射撃や体操クラブが競技の賞品にして一般に普及した。(Centre Historique des Archives Nationalesによる )

彫刻家ファルギエールの記念墓碑」 で写原さんがお書きの弟子のマルケストによる墓碑は、あるページでは Renommée entourée de reproductions des statues de Falguière (「名声」をファルギエール作の像の複製が囲む)とされている。お馴染みの喇叭が見当たらないが。
ルネサンス以降「名声」の寓意像は絵に彫刻に、無数に制作されてきた。写原さんが「パッシーの鉄道橋」で「彫像の世紀」と呼ぶ19世紀にも、アレクサンドル三世橋を見下ろす像(写真)のように「名声」はパリを飾った。その他insecula.comで見ることのできる作品http://www.insecula.com/us/oeuvre/O0027184.html

一方ボードレールは、『パリの憂鬱』の一篇「誘惑」に、「栄光」la Gloireを怪しげな女悪魔として登場させる。阿部良雄氏の注釈が「名声の女神」la Renomméeのパロディとするように、

「お前は私の威力を知りたいの?」と贋の女神は可愛らしい逆説的な声で言った。「まあお聴き。」
そして彼女はその時、世界中のありとあらゆる新聞の表題でもって葦笛のようにリボン飾りをした巨大な喇叭を口に当てると、その喇叭を通して私の名を呼び立てたが、すると私の名は万雷のとどろく音を立てて空間にひびきわたり、いちばん遠い惑星から木霊となって私の耳に帰ってきた。」(ボードレール全詩集Ⅱ ちくま文庫)

「名声」のような寓意像は、徐々に第一線の芸術家の手がけるものではなくなって行く。
古典的理想化を経た美しい人体が、「美」や「自由」、輝かしい理念を体現できた時代は終わったのか。

図を見ることはできないが、ファルギエールは「名声」を鍛冶師と一組にし、「労働」を讃える像にした。その点に「労働」が世界を創造する力として感じられた時代の匂いがする。
フェルディナン・バルブディエンヌもまたペール・ラシェーズ墓地に眠る。http://lachaise.gargl.net/photos/photos-thematiques-barbedienne.htm
アルフレッド・ブーシェ作の「労働」le Travail(槌を手にしているというが、わかりにくい)は兜に翼の生えた「霊感」l'Inspirationと並び死者を護っている。

追記 「バルディエンヌ」かもしれない。「ベ」と記されているのは
マダム・ド・モンタランベールのミュゼ訪問(8)。チェルヌスキ美術館
ロダンの作品の鋳造も行なったという。

写真の大きな鏡などの工芸品も。

RODIN-Web.orgのTHE BARBEDIENNE MASS EDITIONS: EXAMPLE OF AN UNNUMBERED SERIES によればロダンは1898年、B社と「接吻」と「永遠の春」のブロンズ複製制作の契約を交わす。彼の存命中に「接吻」の複製は319個も作られた。


マグリットと『自然の驚異』

2006-04-21 18:14:11 | インポート

マグリットの『自然の驚異』Les merveilles de la nature( シカゴ現代美術館)は、あるページでは『愛の歌』Song of Loveと題されている。
実際、「愛の歌」でもよさそうに思える。この絵に添えられれば『自然の驚異』と同じ黒いユーモアを生むだろう。

何でもいいわけではないが、「メタファー型タイトル」(→4/18日記)にはそういう自由さがある。とりわけマグリットのように絵と言葉の「不一致の一致」「一致の不一致」を特徴とする作家では。

どうやらマグリット自身、タイトルを忘れていたらしい。絵の持ち主に題はLe Chant d'amour(愛の歌)だと知らせ、かと思えば1965年の回顧展の際友人に尋ねられ、忘れたと答えている。カタログ・レゾネ作成の機会に、元のタイトルと、1953年ブリュッセルの画廊La Sirène での人魚のテーマによる展覧会と自身の個展に出展されたことが明らかになった。
(上の図の解説による)

1935(?)年の『集団による発明』L'invention collectiveはすでに頭が魚の逆さ人魚を描いている。
ポール・デルヴォーにも『人魚の村』などの作品がある。53年の人魚展にはデルヴォーの絵も出展されたのかもしれない。

頭が牛、体は人間のミノタウロスについてボルヘスの『幻獣辞典』(柳瀬尚紀訳 晶文社)は「ダンテは古代人の著作に馴染んではいたが、その貨幣や建築には疎く、ミノタウロスが人間の頭をもち雄牛のからだをしていると想像した。(「地獄篇」第12曲1-30)」
Sirens_1 「セイレーン」の項には、「『オデュッセイアー』第12書で彼女たちのことを最初に語ったホメロスは、彼女たちがどんな姿だったかまでは伝えていない。オウイディウスによると、彼女たちは羽毛の赤みがかった鳥で、幼い少女の顔をしている。ロードスのアポロニウスによると、上半身は女、下半身は海鳥である」

図はアテネの壷絵 紀元前6世紀末から5世紀初め 大英博物館


Googleのロゴ ミロ風に

2006-04-20 11:12:36 | インポート

Googleのロゴが、ミロ風になった。1893年4月20日が誕生日。一日限定なのでコピーして置きたいが「特別ロゴ」は転載禁止である。
Miro *のようなトレードマークがあるので、ミロっぽく見せるのは(他の画家に比べれば)むずかしくない。

いや真似したつもりでもすでに何となく違う・・・。

ミロのパロディを探してみる。Cat art parody cat prints of Picasso's Cats Meeting Miro's Cat on a Dark and Starry Night

Img051_1 この猫シリーズと似た趣向の絵本”Art House" by Graham Percy(Chronicle Books, 1994)は、キッチンはヒエロニムス・ボッシュ、ガレージはピラネージ、デュシャンのコーヒー挽き(「大ガラス」()の下部)が洗濯物掛けと、一軒の家の部屋や家具がすべて誰それ風。一瞬ミロ?と思わせるのはカルダー風ピアノ。

今日のようなのをGoogleの「特別ロゴ」ということは、
どろん嬢様のななめな小径 特別ロゴ 芸術家編で教わった。
モネやゴッホのは覚えているが、
アンディ・ウォーホルの誕生日 2002年8月6日 など、これを見ただけではわからなかったと思う。


L’éminence grise 影の助言者

2006-04-18 11:18:17 | インポート

『マグリットと写真』展が先月15日から6月11日までパリのMaison Européenne de la Photographieで開催中。Photosapiens.comの記事の写真(拡大したのはページの下に)。ベルギー海岸で撮影され、むこう向きの男はマグリットか。背中のところに開かれた本が、浮遊するような貼り付いた(?)ような、微妙な位置にある。

写真はL’éminence grise (影の助言者)と題される。マグリットの好む、意味深長なタイトル。
造形作家は単に作品を『無題』とすることもできる。ミニマル・アートのドナルド・ジャッドの場合Untitledが並ぶ(イメージ検索結果

佐々木健一氏は『タイトルの魔力』(中公新書)で美術や文学作品の題名を修辞学的に分類する。
フランス・ハルスの肖像画『デカルト』のような「提喩型」は、作品の中から中心になる要素を取り出してタイトルとする。作者でなく、後世の人がつけたものは、ほとんどこの型。「提喩型」は何がそこに描かれているか、どんな意味があるかを明快に示す。
『赤と黒』のような「メタファー型」タイトルは近代の産物である。題を付けることは「作者の独特の表現行為となる」
読者は「赤と黒」を、「作品世界の精神的内包を表現するものとして受けとめ」る。「メタファー型」は多義的で、様々な解釈を許す。私たちは確かに作品とタイトルの類縁性を感じるが、それをうまく説明できるとは限らない。
また「メタファー型のタイトルがメタファーとしての意味を持ちうるのは、あくまでも作品との関係においてであるから、作品を見たり読んだりする以前の段階では、それはメタファーとしての意味を発揮することもできない」

一枚の絵を見る目は、タイトルに大きく左右される。

佐々木氏はブリューゲルの『イカロスの墜落』を例に取る。タイトルは作者によるものではないが、この名で一般に知られている。
Icar 学生たちにスライドを見せ、記憶によって画面を記述してもらう。主題を知らない学生にとってこの絵は平和で穏やかな風景画である。
主題を教えられ、目は初めてイカロスを捜す。そして右前景の、海面に突き出た脚を見つける。

「ゲシュタルト心理学の教えを思い起こそう。われわれはさまざまな部分の総和として全体を知覚するのではない。まず全体を知覚し、その全体像の中で部分を捉えるのだ」
主題を知らない者の目は、まず絵を全体として掴もうとする。暗い前景の突き出た脚は、意味のない「ノイズ」となり、見落とされてしまう。

Éminence grise (影の助言者、懐刀)について、アカデミーの辞書(第9版)http://atilf.atilf.fr/academie9.htm
Éminence grise, par allusion à la couleur grise de la robe des Capucins, nom donné au Père Joseph, conseiller privé du cardinal de Richelieu. Par ext. Celui qui, sans occuper de fonctions officielles, exerce, dans l'ombre ou en retrait, une grande influence sur le personnage qui détient le pouvoir d'action ou de décision. L'éminence grise du ministre.
(カプチン修道会士の僧服の灰色への暗示、リシュリュー枢機卿の私的顧問ジョゼフ神父がこう呼ばれた。転じて、正式の役職には就かず影または裏にいて、活動・決定の力を持つ人に大きな影響を及ぼす者。「大臣の・・・」)

Perejoseph リシュリュー枢機卿()が「赤の猊下」l'Éminence rougeなので、ジョゼフ神父は「灰色の猊下」l'Éminence grise と呼ばれることになった。

日本語の「黒幕」と同様、éminence griseは陳腐化した言葉である。ただそれがマグリットの写真に添えられると何かが起こる。
私たちは写真とのつながりを捜す。何が、誰がéminence griseなのか。

アンリ・ミショーはマグリットの絵を出発点に『謎の絵から夢想して』En rêvant à partir des peintures énigmatiquesを書いた。マグリットの作品の驚かせ、夢見させる力は、時にはまるで謎々を思わすタイトルに、多くを負っている。