発見記録

フランスの歴史と文学

バルザックと小さな中国人のお針子

2007-01-30 07:06:10 | インポート

ダイ・シージエ『バルザックと小さな中国人のお針子』(早川書房)の映画版、『小さな中国のお針子』をGYAOで視聴。http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0028514/ 
たまには素直に感想を記しておこうと思うが、言葉に窮する。いくつかの場面は、長い間記憶に残るだろう。星評価なら5個でも10個でも進呈したい。

小説は2000年に発表、「世界30カ国で翻訳」(訳書帯)されたが、原稿は複数の出版社で断られた後、ガリマール書店に送られた。ダイ・シージエはある朝、作家で原稿審査委員のジャン=マリ・ラクラヴティーヌからの連絡で受諾を知る。

? Nous l'avons corrigé ensemble, précise le cinéaste écrivain. Je faisais des fautes de grammaire. Le français n'est pas ma langue, mais je tenais à écrire dans cette langue, surtout pour évoquer le bonheur que m'avait procuré Balzac ou Dumas. Il m'a fait supprimer des adjectifs, corriger certaines tournures, mais m'a incité à conserver des maladresses. ?
「私たちは二人で原稿に手を入れました」、映像=活字作家は付け足す、「文法の誤まりもありました。フランス語は私の国語ではないけれど、この言葉でどうしても書きたかった、とりわけバルザックやデュマが体験させてくれた幸せを喚起するために。彼は余分の形容詞を削り、ある表現を直すように言いましたが、不器用なところもそのまま残すよう、励ましてくれました」

出版社=書店le Dilettanteのドミニック・ゴーティエは新しい才能を見つける名人として知られるが、ガリマール書店のセールスから今度出る本の話を聞いて愕然とする。文革時代、再教育に僻地に送られた中国人青年が、禁じられた文学の古典を読む・・・。自分が原稿を断った作品だ!(”L'histoire des origines” Le Monde 23.08.02)

本が出た頃、ダイ・シージエは「映画監督として地道にキャリアを積んで」いた。フランス語で書いたのは初めてだが、作家としてもまったくの新人ではなかった。(新島進氏、訳者あとがき) しかしベルナール・ピヴォが「ブイヨン・ド・キュルチュール」で絶賛し「華々しい成功」(同)を収めるまでの経緯は、出版界の「いい話」として、伝説化しつつあるようだ。この前引いたL’Express記事(*)でも、ガリマール書店営業部長ブリュノ・カイエの話として、

?Charmés par le roman de Dai Sijie, les représentants ont travaillé dur et rapporté de nombreuses commandes. Du coup, on a effectué un premier tirage de 8 000 exemplaires.?
ダイ・シージエの小説に魅了されたセールスが、頑張ってたくさん注文を取って来ました。早速初刷8 000部を刷り上げたのです。

(当初は3 000部の予定だった、それでも数字を聞いたダイ氏は、多すぎると言ったという。前出Le Monde記事)


書籍解体 L'équarissage des livres

2007-01-25 06:08:12 | インポート

アスリーヌのブログ「文学賞審査員は読書のアスリートだ」Les jurés sont les athlètes de la lectureは、メディシス賞の審査を務めていたドミニック・フェルナンデスの、審査員は二月の間に600から800冊を読まねばならないとの証言を取り上げた。フェルナンデスは、文学賞なんてどうせ裏取引で決まるんだ、というおなじみの批判に反発し、審査員の献身ぶりを、強く訴えたのである。

本の廃棄処分が仕事のLiber Folliculaさんのコメントに注目したアスリーヌは、「もう堪忍して ある文学解体屋の叫び」 Un équarisseur des belles Lettres demande grâceで、あらためてこれを引く。異例の長いコメントから、「解体」は手作業に依存し(「すべてがロボット化されたあの日本の工場」との対比)、労働環境も良いとはいえないことがわかる。

「休暇明け」に合わせ、どっと出版される新刊小説、昨年夏のアスリーヌ「ヴァカンスに 本も旅立つ」Les livres se font la malle は、多くは出版前の「ゲラ」で、たくさんの新作を抱えていく職業的読書人の日常を、垣間見させてくれた。

こちらは「夜の果てへの旅」をもじったタイトルの記事、Voyage au bout du pilon par Marianne Payot(L'Express du 24/01/2005)

パリ近郊の町マルゼルブMalesherbes (地図)には、出版グループEditisの子会社Interforum が巨大な流通拠点(写真)を構える。

自動化が進み、8千万冊がストックされるInterforumには、また売れ残りの本が大量に戻って来る。廃棄処分については、記者も積極的に取材に応じてもらえない。それに「《冒涜的》行為」は大抵「独立会社」が請負うものらしい。
映画『カサブランカ』の登場人物のその後は?という小説As Time Goes By by Michael Walsh (Amazon.com)の仏訳は、53,000部刷って3,500部しか売れなかった(、「ごく普通の小説」le roman lambdaは初刷約3,000部だという)。

これには版元l’Archipelの経営者ジャン=ダニエル・ベルフォン(ピエール・ベルフォンの息子)の、題が「カサブランカに帰る」Retour à Casablancaだから返品が来た、という落ちがつく.。
出版社は処分する前に著作者に通知する義務があるが、無断で行なわれることも稀ではない。アソシアシオンTrait d’union(http://www.trait-d-union.org/)は、フランスで廃棄される本をマダガスカルに送る。現在16の出版社が参加、不要になった本を生かす試みの一つ。


Je vous ai compris !  ドゴール「わかった!」の戦略的両義性

2007-01-20 09:41:02 | インポート

前回はcomprendreが意外にむずかしくて参った。
ドゴールの有名な?Je vous ai compris ! ?はどう訳されているか?
渡辺 啓貴『フランス現代史―英雄の時代から保革共存へ』(中公新書)では「あなたたちの言うことはわかった」(p.108)

Le 4 juin 1958, de Gaulle a rendez-vous avec l'Algérie française. Lorsque sa haute silhouette paraît au balcon du gouvernement général, une folle clameur jaillit du Forum où sont massés des dizaines de milliers d'Algérois. Méfiants, fiévreux, prêts pourtant à s'abandonner, ils guettent ses premiers mots. Va-t-il prononcer la formule sésame qui lui ouvrirait les coeurs : ? Vive l'Algérie française ! ? ? Espoir déçu. Le rebelle de juin 1940 n'est pas homme à se laisser dicter sa conduite par le tumulte du moment. Du haut de son mètre quatre vingt-treize tombe la formule fameuse : ? Je vous ai compris ! ? Un instant décontenancée, la foule l'acclame, malgré tout.

(?L'homme qui sut aller de l'avant contre les siens? Le Monde 28.10.04)

1958年6月4日、ドゴールは「フランス人のアルジェリア」と対面する。長身のその姿が総督府のバルコニーに現れると、何万人もアルジェの人々が集まった広場から、途方もない大歓声が上がる。彼らは疑い深く狂熱的で、しかし〔信頼できる相手には〕すべて任せる用意があり、ドゴールの第一声を待ちかまえる。呪文のような「フランス人のアルジェリア万歳!」を口にすることで、ドゴールは人々の心を開くだろうか?期待は裏切られる。1940年6月の反逆者は、一時の騒ぎに行ないを左右される人間ではない。1メートル93センチの高みから、名高い「あなた方の望むことはわかった!」が発せられる。一瞬とまどうが、とにかく群集は喝采する。

(WikipediaのList of famous tall menでは196cm)

演説全文はここにあったが、いきなり? Je vous ai compris ! ? なのだ。最初のところを訳してみる。

わかった!〔略しすぎ?〕

ここで起きたことは承知している。あなた方がされようとしたことも。あなた方がアルジェリアに開いた道が改革と友愛の道なのも。
あらゆる点での改革をと私は言う。しかし、いみじくもあなた方は、一からの改革、つまり国の基本制度の改革を望まれた、だから私がここにいる。また友愛と言う。あなた方は、帰属する共同体が何であれ、人間が一人残らず同じ熱気を分ち合い、手を取り合う、荘厳な光景を見せてくれる。
よろしい!私はすべてこれをフランスの名において認め、宣言する。今日この日から、フランスは、アルジェリア全土に、ただ一つの部類の住民しか存在しないと見なす。ただ完全なフランス人しかいない、完全な、同じ権利、同じ義務を持つフランス人。
すなわち、これまで多くの人に閉ざされていた道を開かねばならない。
すなわち、生活の手段を持たなかった人に、与えねばならない。
すなわち、威厳を認められなかった人に、認めねばならない。
つまり自らに祖国があることを怪しんだかもしれない人に、その証しをしなければならない。

「いみじくも」 très justement だが、何となく不安。 「いみじくも」ってどんな時に使う言葉ですか?Yahoo!知恵袋 

聴衆の多くはフランス系植民者だろう。「計算された両義性」une ambiguïté calculée(前出Le Monde記事)を持つこれらの言葉を、どう解したのか。ニ日後、モスタガネムMostaganemでドゴールは唯一度「フランス人のアルジェリア万歳」を口にし、それは「植民者への力強い檄」(『フランス現代史』)となる。しかし

Rentré à Paris, il lâche à Pierre Lefranc, son chef de cabinet : ? Nous ne pouvons pas garder l'Algérie. Croyez bien que je suis le premier à le regretter mais la proportion d'Européens est trop faible. ? Surprenant ? Pas venant de lui. N'a-t-il pas déclaré un jour à l'écrivain François Mauriac : ? Je renie tout ce que je n'écris pas ? ?
(Le Monde同記事)

パリに戻り、ドゴールは官房長のピエール・ルフランに漏らす、「アルジェリアは手放すしかない。いちばん残念なのはこの私だよ、だが人口比率から言ってヨーロッパ人が少なすぎる」 驚くべきか?ドゴールなら不思議ではない。「文章にしたもの以外は、自分の言葉と認めない」―ある日、作家フランソワ・モーリアックにそう明言しなかったか?

この頃、「100万人の白人入植者が900万人のアルジェリア人を支配していた」(福井憲彦編『フランス史』山川出版社 p.431)


?Georges n’a rien compris.? ファーストネームの話

2007-01-17 22:11:40 | インポート

1961年6月5日、シムノンの自伝的作品『血統』Pedigreeをこの頃初めて読んだのか、母アンリエットは手紙で書く。
?Je l’ai parcouru en pleurant à chaudes larmes, et je me reproche de ne pas avoir parlé de la famille à mes enfants car dans bien des cas, Georges n’a rien compris.?
(本に目を通しながら、涙があふれてきました、子供たちに家族の話をしなかったのが悔やまれます、多くの場合、ジョルジュはなにもわかっていないんですもの。)

(シムノンと夫人ドニーズ宛て。Michel Carley, Simenon Les années secrètes Ed.d’Orbestier, p.48)

父方と母方、二つの家の物語を、記憶にもとづいて綴った大作を、全否定するような言葉で、しかしあらゆる自伝作家にはこの「お前は何もわからなかった」が向けられ得るだろう。一方でシムノンは答えることができたはずだ、「母さんは何もわかってない、これは小説なんだ」

認識のずれと言ったのでは足りない何かを感じさせるこの一節、印象に残ったのは「ジョルジュ」のせいでもある。
母が息子をそう呼んでも何ら不思議はないが、シムノンの作品にはファーストネーム忌避の傾向がある(写原さんが夙にメグレの名前に関する記述でご指摘の通り)
シムノンの読者は名前の呼び方に敏感になるのだ。

アスリーヌの伝記(Simenon, "Folio")で、スイスはエシャンダンEchandensのシムノンのシャトー(写真)を訪れたロジェ・ステファーヌは、
?Auprès de lui, dans sa résidence, un personnel très nombreux : secrétaires ou domestiques ; tous tenus d’une main ferme par Mme Simenon ; tous interpellés par leur patronyme. Ils semblaient n’exister point comme personnes aux yeux de Simenon..?(p.734)
(彼の身近、邸内には大勢のお抱えがいる、秘書や召使い。みんなシムノン夫人の手でしっかりと管理されている。みんな姓で呼ばれる。彼らはシムノンの目にはまったく人格として存在しないように見えた。)

ここでは姓で呼ぶこと(それは夫人の意思によるものだろうか?)が、形式張った冷たさとして受け止められている。


ジャン=ジャックとルソー エロー・ド・セシェルのビュフォン訪問記

2007-01-15 22:17:43 | インポート

コクトーはアカデミーの入会演説で、ルソーを「ジャン=ジャック」と呼ぶ。
Amélie Nothomb sur le Webでも「アメリー」を目にするし、ギベールの伝記でフランソワ・ビュオが「エルヴェ」で一貫しているのも思い浮かぶ。姓でなく名で呼ばれることの意味はさておき、

Il me disait, en parlant de Rousseau : ? Je l’aimais assez ; mais lorsque j’ai vu ses Confessions, j’ai cessé de l’estimer. Son âme m’a révolté, et il m’est arrivé pour Jean-Jacques le contraire de ce qui arrive ordinairement : après sa mort, j’ai commencé à le méstimer. ?
(Hérault de Séchelles, Visite à Buffon
ルソーの話になり、彼(ビュフォン)は言った。「かなり好感を持っておりました。けれども『告白』を見て、高く評価するのをやめました。〔そこにさらけ出された〕彼の魂に、憤激を禁じえませんでした。ジャン=ジャックに対しては、通常と逆のことが起きました。亡くなった後、軽んじ始めたのです」

Buffon Discours sur le style (Ed.Climats)には、エロー・ド・セシェルのビュフォン訪問記が収録されている。

マリー=ジャン・エロー・ド・セシェル(1759?94) パリ高等法院次席検事から革命下、立法議会、国民公会の議長に。特別法廷を設置、これが1793年に革命裁判所と。フイヤン派からジロンド派、ジャコバン派となり公安委員会の一員に。王党派と通じ陰謀を企んだとして裁かれ、ギロチン刑に処される。著書に『野心論』Traité de l’ambition(本書解説による)

エロー・ド・セシェルがモンバール(地図)のビュフォンを訪ねたのは1785年秋。
ブルゴーニュ侯の城跡に、ビュフォンは14のテラスから成る大庭園を築いた。Parc Buffonには、夏の間だけ書斎にした塔la Tour Saint-Louisが今も残る。(町のサイトmonbard.comのPatrimoine, lieux culturels)『博物誌』は、主に上層のテラスにある別の書斎で書かれた。ルソーが訪問した時には、跪(ひざまず)いて書斎の敷居に接吻した。
78歳のビュフォン(ウードンの胸像が一番似ているという)は結石による排尿困難と尿毒症に、眠れぬほど苦しんでいるが、客人の前では素振りも見せない。毛巻き髪と鏝で髪をカールさせるのはどんな時にも欠かさぬ習慣、かつては朝と夕食前、二度カールを行なった。
天才génieはビュフォン好みの言葉だが、天才の例を求められ、ニュートン、ベーコン、ライプニッツ、モンテスキュー、私と答える。アカデミーでの演説にも感じられた、嫌味のない、あっけらかんとした自信。大人物には違いない。
エロー・ド・セシェルはルソーの思考を、自己自身から同心円を描き広がって行く波に喩える。ビュフォンの思考は、巨大なピラミッド型をなす。修辞を尽くして二人を比較した小文を披露すると、ビュフォンは言の外おもしろがり、何日もかけて自ら推敲を加える。

ビュフォンのように『告白』に「憤激」はしなかったというエロー・ド・セシェルは、

(...)Mais il se pourrait que M.de Buffon n’eût pas dans son cœur l’élément par lequel on doit juger Rousseau. Je serais tenté de croire que la nature ne lui a pas donné le genre de sensibilité nécessaire pour connaître le charme ou plutôt le piquant de cette vie errante, de cette existence abandonnée au hasard et aux passions.
しかしビュフォン氏の心には、ルソーを正当に評価するには必要な要素が欠けていたのかもしれない。あの放浪の人生、偶然と情熱にまかせたあの生活の魅惑というよりはピリっと来る妙味を、味わうに必要な類の感性を、自然はビュフォン氏に与えなかった、そう思いたくもなる。