発見記録

フランスの歴史と文学

ティエポロの道化 プルチネラから「ポンチ絵」まで

2007-01-11 09:45:44 | インポート

Burialofpunchinello_2 ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ『プルチネラの埋葬』(1800年頃)

拝借元 メトロポリタン美術館 http://www.metmuseum.org/ 

ティエポロの道化はスタロバンスキー『理性の標章』の図版で覚えていた。その後調べたことの付け足し。WikipediaとAllen Memorial Art Museum「プルチネラと駝鳥」図・解説を参照。

Giovanni Domenico(Giandomenicoとも) Tiepolo (1727 - 1804)は父親のGiovanni Battista (こちらも別称あり、"also known as Gianbattista or Giambattista" 1696 - 1770)ほど有名ではないかもしれない。ヴェネチアで生まれ、13歳から父の助手の中でも一番手を務める。弟Lorenzo Baldissera Tiepolo(1736-1776)もこのチームに加わった。

バイエルン州ヴュルツブルクWürzburgのレジデンツ(領主司教宮殿)「階段の間」の巨大なフレスコ画()からヴィツェンツァ Frescoes in the Villa Valmarana in Vicenza (1757) またマドリードのカルロス3世の王宮 Frescoes in the Royal Palace in Madrid (1762-66) で父の仕事を助ける一方、自身の作品も制作。
「レジデンツ」については、 ただいま実験中!fromロマンチック街道このページを参考にさせていただいた。

1770年父が亡くなる、この頃ヴェネチアに戻る。父の影響を脱し、自分の流儀を確立して行くのはこれ以降。コメディア・デラルテの道化から人形芝居で親しまれるようになったプルチネラを描いた一連の素描は、晩年のもの。104点の作品は、プルチネラの父親が巨大な七面鳥の卵から誕生する場面に始まり、プルチネラの結婚や死までを物語る。

イタリア語pulcinoひよこ、雛鳥)がその名の由来とも言われ、プルチネラPulcinellaは鳥との縁があるらしい。

ミラノのティエポロ家のヴィラVilla Zianigoのフレスコ画(現在はヴェネチアのカ・レッツォニーコ Ca’Rezzonicoにある)―Giandomenico Tiepolo Frescoes またルーヴルの『カーニヴァルの場景あるいはメヌエット』に見られるように、長い間に亘ってプルチネラはティエポロお気に入りの主題だった。

フランス語ではPolichinelleだが、英語ではPunchinelloになるのもWikipediaで知った。
Punchinelloから道化夫婦Punch and Judyや風刺雑誌の名Punchさらに日本語「ポンチ絵」(風刺漫画)へ。

「ポリシネルの秘密(公然の秘密)」secret de Polichinelleという表現が生まれたのは、大事なことまでうかうかとしゃべってしまうその性格から。(Association@lyon L'origine des expressions)

ところで死語だと思っていた「ポンチ絵」、一部(?)業界では今も生きているらしい。
エイビ進学ナビ・教えて進路Q&A 「ポンチ絵」ってどういう意味?http://oshiete.eibi.co.jp/kotaeru.php3?q=1074042
同 「レポートなどに描く絵の書き方
http://oshiete.eibi.co.jp/kotaeru.php3?q=178471


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