発見記録

フランスの歴史と文学

マルグリット・デュラスとクリスティーヌ・V

2007-12-19 17:33:28 | インポート

長らく中断してしまいました。変形性股関節症との診断なのですが、座った姿勢が続くと膝や太股が痛み出すのです。椅子のクッションを取り替えたり環境改善の甲斐あって、ようやく持ち直しました。とにかく書きかけのところから続行します。

マルグリット・デュラスはこの「グレゴリ事件」に尋常ならぬ関心を持つ。アドレールの伝記によれば

Marguerite en était littéralement obsédée, possédée. Pendant quelque temps, elle ne parlait plus que d’elle, de son mari et d’elle, de son enfant, de son mari et d’elle. Son nom, son visage, son regard, son histoire, sa sexualité hantaient l’imaginaire de Marguerite Duras.(Laure Adler, Marguerite Duras, Gallimard)
マルグリットは文字通りクリスティーヌ・ヴィルマンに付きまとわれ、取り憑かれていた。しばらくの間、話をすれば彼女のことだった、彼女の夫と彼女、彼女の子供、彼女の夫と彼女。 彼女の名前、彼女の顔、彼女の眼差し、彼女の物語、彼女の性は、マルグリット・デュラスの想像世界を占有していた。

1985年7月、デュラスは「リベラシオン」紙の提案を受け、レパンジュに旅する。現場がどうしても見ておきたかった。クリスティーヌとの会見を強く望むが、重ねて拒否される。デュラスは「別のやり方で彼女を捕え」ようとした。
17日、デュラスの文が「崇高な、必然的に崇高な、クリスティーヌ・V」“Sublime, forcément, sublime, Christine V.”の見出しで「リベラシオン」に掲載。
記事には英訳(Translated by Andrew Slade)がある。

丘の上の家を訪ねるデュラス。曲がりくねった道の果て、現れる家。「私は見た」「私は見る」と繰り返し、荒涼とした風景を喚起する。畳み掛けるような調子は「取り憑かれた」人のものだ。「子供は家の中で殺され、そして浴槽に漬けられたに違いない」 あまりにも性急な断定と、憶測、ほのめかし―子供がいなくなった後、子守りを頼んでいた女性の家に現われたクリスティーヌが、開口一番、自分の生活の悲惨さを訴えたのは、わが子を探す母親として不自然ではないか?
フィクションともルポルタージュともつかぬ文章。読む者を動転させる言葉の力は認めるとしても、またそれがどこか陰険な中傷文を思わせることも確かなのだ(レジーヌ・ドゥフォルジュが「密告」délation と評したのが、デュラスを憤慨させるだろう)
デュラスはクリスティーヌの日常を想像する(ステーキの焼き加減が気に入らない夫の平手打ち)。「自由の囚人」であり、ひそかな憤りを抱え、脱出願望を持つ女性の、男が支配する世界への反逆。クリスティーヌが拘留・保釈されたばかりの時点で、子殺しを「幻視」してしまうこの記事、初稿では「命を与える母親は、命を奪う権利を持つとの考えを展開していた」という。(ドゥニ・ロベール、前出インタビュー) 後にクリスティーヌは推定無罪の原則と肖像権を侵害したとして、デュラスと「リベラシオン」のセルジュ・ジュリを告訴する。

ブルトンたちシュルレアリストは、父親を殺害したヴィオレット・ノジエールに讃辞を寄せた。しかしデュラスの場合、そこには何かもっと強い思いが働いていたようだ。

Je n’ai pas rêvé.
On ne rêve pas quand on écrit, ou on n’écrit pas.
Je me suis rapprochée de Christine V.
J’ai inventé, mais dans la banalité du sort commun et je ne crois pas que la culpabilité de Christine V. ait été potentiellement augumentée ou diminuée du fait de cet article.
私は夢を見たのではない。
書く時には夢など見ない、そうでなければ書かないものだ。
私はクリスティーヌ・Vに近づいた。
私は想像を加えた、でも普通の境遇で、ごく普通にありそうな範囲内で。クリスティーヌ・Vの罪状がこの記事のせいで潜在的に重くなったとも軽くなったとも思わない。
(デュラスの記事を読み手紙を書いた女性イザベル・Cへの返信から。アドレールの伝記巻末に収録)

邦訳『アウトサイド』(佐藤和生訳 晶文社)にはデュラスが「外部から促され」新聞・週刊誌に書いた文を集める。「愛人が男の妻を殺す時」は、「フランス・オプセルヴァトゥール」掲載、1957年、産科医ドクター・エヴヌーと愛人シモーヌ・デシャンが起こしたこの事件については当時の「タイム」記事を参照。
お話としてうまくまとめ、最後に落ちまでつけた「タイム」の記事に比べ、デュラスの文は、論争的調子が際立つ。デュラスは苛立っている、この犯罪にもっともらしい動機を探し、あるいは被告の生活史から犯行を説明し、要するに犯罪を「フレームにいれ」てしまおうとする人びとに。「情痴犯罪についての耽美主義者」と揶揄されるのを恐れず、シモーヌの犯行の夜のいでたち(裸の上に黒いマント、黒手袋)に注目し、彼女の容貌についても、逆にその醜さがドクターを「支配」したのではないかと穿った推理をする。
法廷でシモーヌが「自分の考えが説明できないのです」と繰り返したことにデュラスはこだわる。なぜ被告に時間を与え、十分に語らせなかったのか。別の文「『ならず者』との対話」は元囚人へのインタビュー。もし彼女がクリスティーヌ・ヴィルマンに会見できれば、記事もこれに似た形になったはずだ。しかし二人の間に対話が成立しただろうか?
1957年から80年までの文から成る『アウトサイド』には、「クリスティーヌ・V」は収められていない。続編Le Monde extérieur,Outside 2 に入っているのかも。


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2 コメント

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ご復帰されて何よりです。夜道の月に雲がかかった... (写原祐二)
2007-12-20 18:17:03
ご復帰されて何よりです。夜道の月に雲がかかったようで、その心細さは・・・でした。当方でも三面記事に手を出しかけてしまっていますが、やはりこのグレゴリ事件は三面記事以上の心の深淵、これは誰によっても解明されることはないのだろうと思いました。
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早々にコメントを頂いてありがとうございます。手... (松本)
2007-12-21 06:45:10
早々にコメントを頂いてありがとうございます。手術が必要なほどではないのですが、薬もあまり効果がなくて、復帰に時間がかかりました。
写原さんが紹介されているベルエポックの犯罪記事は、なるべく事実だけ、簡潔に書くものですね。デュラスの饒舌に少々くたびれると、何かほっとします。ドレフュス事件などと違い、こういう犯罪は一時世間を騒がせてもやがて忘れ去られる、「好古の士」でも現われない限り。
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