発見記録

フランスの歴史と文学

ルイ・ギユー『サリド』

2008-07-29 21:56:10 | インポート

Salido 『サリド』の語り手は、家の壁に無数の新聞の切り抜き、写真、ポスター、ビラを貼っていた。中国での戦争、ウィーンに入るヒトラーの軍隊、イタリアやスペインでの対ファシズム抵抗運動が、「壁新聞」には記されていた。大戦に向かってすべてが走り出した今、駅の陸橋に佇み、サイレンの音を聞きながら、彼は「壁新聞」を引き剥がし、捨てようと思う( Folio, p.27)。

1936年2月にはスペイン、6月にはフランスで、左翼人民戦線政府が成立した。7月に軍部の反乱でスペイン内戦が勃発。レオン・ブルム政府はスペイン政府の支援要請を受けるが、右翼や急進社会党の反対、またイギリスの圧力で内戦不干渉を提唱。ダラディエが首相の1939年2月、フランスはイギリスと共にブルゴスのフランコ政府を承認する。

人民戦線の歴史的敗北の苦味、虚脱感?小説は「私」の思いを、未整理のままに示す。

難民支援を行なう le Secours rougeは共産党系の組織だが、彼は党員ではない。1934年、アストゥリアスの労働者蜂起鎮圧以後、スペインからの政治難民がこの町に来るようになり、支援を始めた。
カタロニアの農民サリド中尉は、フランス語を話せない。特徴のない顔に、目だけが変に鋭い。ル・ヴェルネの収容所(Le camp du Vernet d'Ariège, 1939 ? 1944)に移される前に病院から逃亡、「私」は仲間たちと、彼に力を貸す。サリドはモスクワ行きを望むが、パリの共産党「同志」たちは、彼の処遇を決めかねている様子。直接交渉に赴くサリド、難民受け入れセンターの料理人ゴーティエおばさんla mère Gautierがお供をするが、二人はパリで道に迷う。旅は無駄骨に終わる。

兵役を免除されている「私」は、県の難民受け入れ活動に従事したいと申し出、断わられた。サリド逃亡の件は、語り手と地域の間に齟齬を生んでいた。戦時体制への移行と共に社会参加の道が閉ざされ、「私」は宙に浮いてしまう。 本来の「仕事」に戻る時が来たのか?

戦争の始まりだけを、一個人の視点で書く『サリド』は「奇妙な戦争」と敗北以降を語らない。予兆めいたものを読み取ることは、読者に委ねられる。「これまで」と「これから」の間、空白の地点に立つ「私」―当然叙述は直線的に進まない―、そして何人かの人物の肖像。小説が描くものは、それに尽きる。

1976年、『サリド』と合わせ一巻として刊行された『OK、ジョー』 O.K., Joe ! は、米軍のため通訳を務めたギユーの体験に基づく。1944年夏から秋、連合軍によるフランス解放が進行中の物語。
米軍兵士による住民相手の犯罪、軍法会議の裁き。レイプ事件を起こすのは、判で押したように黒人兵。あっさりと罪を認め、絞首刑を宣告される。どうして黒人ばかりなんだ?「私」の素朴な疑問は、アメリカの軍人を困らせ、苛立たせる。
レンジャー部隊の白人将校が、フランス人を射殺する。黒人兵とは明らかに違った扱いを受けた上、無罪放免された将校の表情に「私」は大口開けて笑う人食い鬼 ogre を連想する(p.272)。

反米小説?「私」と接するアメリカ人は知的で快活、気持ちの良い人物揃いである。シカゴの学徒兵ビルはフランス系で、一番親しくなる。ビルは口癖のように、出征前に聞いた司教の訓戒を引く。? Mes garçons ! Si c’est pour maintenir le monde comme il est que vous allez là-bas, alors n’y allez pas ! Mais si c’est pour le changer, alors allez-y ! ?(p.111 「 諸君!世界をそのままに保つため彼の地へ向かうなら、行ってはならない。しかし世界を変えるためなら、行き給え」)

アメリカ流の理想主義、使命感、衛生観念、道徳的潔癖さ。ビルに言わせれば、黒人は「自分に規律を課す」s'imposer une disciplineことができない(p.199)。「私」は無心な聞き手、観察者として、驚いたり不思議がったりして見せながら、それらを物語る。

ドイツ軍との局地戦は続いている。対独協力者への私刑が行なわれる一方、親独民兵隊の残虐さも追想される。『OK、ジョー』は「解放」の語感とはうらはらの、薄闇の印象を残す。


青い電球 灯火管制の時代

2008-07-23 11:28:20 | インポート

Le dortoir n’était que faiblement éclairé par quelques ampoules bleues. Un vieillard s’etait mis à tousser. Les deux petites filles dormaient profondément, l’une près de l’autre, leurs masques à gaz au pied de leurs lits. La mère douloureuse avait fini par s’endormir et tout était resté calme pendant quelques instants. (Louis Guilloux, Salido suivi de O.K., Joe ! ? Folio ? p.18 )

(共同寝室は、ただ幾つかの青い電球でぼんやり照らされていた。一人の老人が咳をし出した。二人の少女は隣り合いに、自分の寝台の足下にガスマスクを置いて熟睡していた。悲痛な母親はそのうち眠りこみ、しばし何もかもが静まり返った。)

ルイ・ギユーの小説『サリド』の語り手は、パリと北仏から流入する避難民の受け入れセンター le Centre d’accueil aux Réfugiésにいる。第二次大戦が始まったばかりの1939年9月11日を基点に、物語は過去と現在を行き来する。ギユーは生地ブルターニュのサン=ブリューSaint-Brieucで、実際に難民支援活動に関わった。

前夜遅くパリからの列車で着いた二人の娘には、ブラウスに名前と住所を書いた札がピンで留められ、ガスマスクを肩から掛けていた。同じ列車から降りたのは男女の老人たちと、ドイツから来た若いユダヤ系の母親。連れている子供の一人は病気で、病院に運ばれた。 タイトルの「サリド」はこの年の2月、列車で輸送されてきたスペイン共和派民兵のひとり。スペイン内戦でフランコ側が攻勢を強めるにつれ、多くの共和派民兵が国境を超えフランスに逃れた。

問題は、共同寝室を照らす「青い電球」である。同じ開戦直後のパリを描いたジャン・メケールの小説では

C’était la guerre qui bleuissait les lampes et mettait partout des odeurs de caveau. (戦争は灯火を青ずませ、至る所に地下納骨所の臭いを漂わせていた。)

Chaque soir, dans les rues passées au bleu de guerre, les bistrots faisaient le plein. (毎晩、戦争の青に染まった通りで、ビストロは軒並み満員になった。)

(Jean Meckert, La marche au canon Joëlle Losfeld, p.12 )

Dans les trains, les ampoules étaient peintes en bleu pour que les convois ne soient pas repérés par les avions. (飛行機から列車が見つけられないように、車内の電球は青く塗られた。)(Vie des Français sous l'Occupation allemande Wikipédia

『サリド』の受け入れセンターは駅のそばに置かれている。駅付近は標的にされやすかったはずだ。

小松清の回想では1939年9月1日、

午前一一時ごろ、ドイツ空軍がワルソー爆撃をはじめたというニュースが入った。その瞬間から、パリにはタクシーの空車がすっかり姿をけした。戦争になるとは、ほんとうに信じていなかったパリ人は、しばし呆然として手を拱いている有様だったが、気を取り戻すと、いっせいに気が狂ったように身のまわりのものをトランクにつめこんで、われ勝ちに停車場に殺到した。

(『沈黙の戦士』 海原 峻『フランス現代史』(平凡社)から孫引き)

群れを成してのパリ脱出 l'exodeが起きるのは、1940年、いよいよドイツ軍が迫った時だと思っていた。これはその先駆けか。 『サリド』では開戦早々のこの時期、市中に空襲警報が鳴り渡る、訓練のようなものか。行政から一般民衆まで、空からの攻撃を恐れ「防空体制」la défense passiveの構築に努める。

灯火管制と青の連関に気づかせてくれたのは、シムノンの自伝的小説『血統』だった。こちらはベルギー、第一次大戦中のこと。

Il y a trois ans maintenant que la guerre dure et que les vitres des réverbères sont passés au bleu, de sorte qu’ils éclairent à peine ; et quand, à six heures, les magasins ferment leurs volets, on erre dans les rues comme des fantômes en braquant devant soi le rayon dansant d’une lampe de poche.

(もう三年戦争が続いている、街灯のガラスは青く塗られ、ほとんど照明にならない。六時に商店がシャッターを閉めると、懐中電灯の躍(おど)る光を頼りに、亡霊の一団のように路上をさまよう。)(Simenon, Pedigree Labor/Actes Sud, p.462)