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フランスの歴史と文学

フォークランドの鯨 ピエール・ブール La baleine des Malouines

2008-03-17 09:46:16 | インポート

Pierre Boulle, La baleine des Malouines (Julliard, 1983)
『フォークランド戦争―" 鉄の女 "の誤算』(サンデー・タイムズ特報部編/宮崎正雄編訳 原書房 1983)

Locationfalklands 1982年春、英国とアルゼンチンとの間にフォークランド諸島の領有権をめぐり戦争が起こる。ピエール・ブールの小説?La baleine des Malouines?(「マルヴィナス(フォークランド)の鯨」)は翌年に刊行された。

洋上の英国艦隊に、最高司令部から緊急連絡が入る。エディンバラ公は王立鳥類保護協会の集まりで、海軍に警告を発された。「注意なさい!鯨目( 鯨・いるか)はレーダーではよく潜水艦のように見えます」(? Attention ! Les cétacés apparaissent souvent sur les radars comme des sous-marins.?)世界自然保護基金総裁としての発言だった。
折りも折り、駆逐艦「デアリング」Daringの艦長クラーク少佐は当直士官の報告を受ける、レーダーが未確認物体を検知した。艦にはフォークランド出身の元捕鯨船乗組員ビョーグBjorgが同乗する。北欧系で、捕鯨の英雄時代を知る祖父の物語を聞き育った。退職後は英国でイルカの訓練師に。作戦行動のガイドとして雇われたのだ。
物体がレーダーから消えた。マッコウクジラなら、1マイル以上潜れるんだ―ビョーグが鯨の知識を披露する。物体が雌と雄、二頭のシロナガスクジラだとわかるまでのサスペンス。

シャチの群れに襲われ、鯨の一頭は死ぬ。もう一頭が、助けを乞うように艦に接近して来る。少佐はためらった末、シャチへの一斉砲撃を命じる。鯨の目は「ほとんど人間のよう」、駆逐艦に「なつき」、「犬のようについて来る」。
「マルゴおばさん」と呼ばれるようになった鯨の体に、びっしりと寄生虫がつく。海軍の「騎士たち」は大掛かりな掃除作戦に取り掛かる。グルカ兵(山岳戦に強いネパールのグルカ族出身)が、鯨の体によじのぼる。
艦隊がフォークランド島に近づくにつれ、緊張が高まる。鯨が何かをおもちゃにしていると思えば、機雷だ!掃海に協力し、上陸作戦のさなか、海に投げ出されたビョーグを救った鯨は、最後には旗艦空母を敵の魚雷から守るため命を捨て、ヴィクトリア十字勲章を授与される。
海には古来から魔物が潜む。将校から兵士まで艦隊挙げての鯨熱を、海軍大将はenvoûtement (呪術、魅惑、とりこにする)と呼ぶ。自然保護や環境・エネルギー問題に皮肉な目を向けることの多かったブールだが、辛辣さは抑制され、珍しく無垢な、気持ちの良い作品になっている。
エピグラフにも用いられたエディンバラ公の警告は、創作ではないようだ。

Philip Fears Whales Will Perish in Conflict
SPECIAL TO THE NEW YORK TIMES
Published: May 12, 1982
The Duke of Edinburgh expressed his regret today that the conflict over the Falkland Islands would probably lead to the death of many whales.

''The British task force in the Falklands area obviously has to protect itself against submarines,'' he told a meeting of the Council for Environmental Conservation. ''Unfortunately for the whales they return an echo which is like that of a submarine. I can only assume that a great many ofthem have been killed as a result.''

http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9E0CEFD61438F931A25756C0A964948260&sec=&spon

領有権争いは19世紀にさかのぼる。『フォークランド戦争―" 鉄の女 "の誤算』(サンデー・タイムズ特報部編)によれば1820年にアルゼンチンの艦隊がフォークランド諸島を占拠、26年には植民が始まった。しかし1833年、英国の砲艦が来襲、アルゼンチン守備隊は島を撤退。建国まもないアルゼンチン共和国の威信は、大きく傷ついた。
英国政府は1852年、「フォークランド諸島会社」に設立勅許を与えた。事業内容は主に羊の放牧。1978年に島を訪れた記者は書いていた、「良かれ悪しかれ、フォークランドは会社の島なのだ」
第二次大戦前には領有権をアルゼンチンに与え、英国が借り受ける「租借」案が協議された。戦後も交渉が行なわれたがまとまらない。1976年アルゼンチンに軍事政権が成立して情勢はにわかに緊迫する。英国による占領150周年の1983年1月までにアルゼンチンが何らかの行動に出ることは、あらかじめ予想された。にもかかわらず、英国の情勢判断は「救いようがないほど楽観的」だった。外務省も、海外情報を評価し首相に伝える「統合情報委員会」も、十分に機能していなかった。
アルゼンチン側にも読み違いがあった。英国の行なった二つの決定(南ジョージア島の南極観測基地の廃止、流氷哨戒艇エンデュランス号の廃船)から、英国はフォークランド諸島を守る気が薄れたと判断した。英国は誤まったメッセージを与えてしまった。もっと明確に武力行使の意志を示すべきだった。これは「起きなくてもよかった戦争」だった。

戦いに勝ち、サッチャー政権の支持率は一気に上昇した。しかし英国側にも多くの犠牲者が出た。敵空軍への優勢を確保しないうちにフォークランド諸島に上陸するのは、軍事的に無謀だった。英国とアルゼンチンの空軍には「タカとムクドリ」の力の差があったが、必死のムクドリは予想以上に手ごわかった。

英空軍の垂直離着陸機「ハリアー」は、ふいに高度を上げる飛行法「ヴィフィング」viffing で、アルゼンチンのミラージュ戦闘機との空中戦に「圧勝」する(もっともWikipediaはこの点、留保をつける)。軍事マニアでなくても興味を引かれるところだが、『鯨』には「ハリアー」や「エグゾセ」の名は出てこない。ブールが南ジョージア島攻略をわずか5行で片づけるのは、早く鯨との遭遇に進みたいからだ。鯨、鯨!

海軍大将が言う、アメリカ海軍なら、レーダーが検知してすぐ、鯨に火の雨を降らせていただろう。英国的性格の不思議、これは『戦場にかける橋』(関口英男訳 ハヤカワ文庫 1975 原著は1952年刊)と『鯨』に共通の主題である。


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