ウァイス『ロダンの生涯』(榊原晃三訳 二見書房 1969)は「小説」だった。
うずくまった姿勢で彫刻『ダナイード』(図)のモデルを務めるカミーユ・クローデルは、こんなふうに描かれる。
「・・・彼があまりに熱心に制作しているので、彼女は息をするのもはばかられた。今は、神も彼の邪魔をすることはできないだろうと思った。
彼女はそのままのポーズを続け、ついに背中がこわれるかと思え、筋肉がきりきりと痛んだ。
しかし、彼はただこういうだけだった、『もっと肩を高く挙げなさい。お尻が高すぎる。ほんのちょっとも我慢してられないのかい。なんだ!横にそう動いちゃだめじゃないか』」
訳者榊原氏によれば「・・・しかも、この小説を書くにあたって、作者は事実をいささかも曲げておりません。作者ウァイスは、この小説を書くにあたって〔繰り返しが気になるが榊原氏原文のママ〕、数年もフランス、イタリア、オランダに滞在し、膨大な資料を集めたということです。そして伝記小説の画期的な手法を発見しました。つまり、ロダンの実伝はいささかも曲げたり切り捨てたりすることなく、その告白部分だけフィクションで埋ずめ、壮麗な一大ロマンに仕上げたのです」
原著Naked Came I : A Novel of Rodin by David Weiss のAmazon.comレビューでは現在でも評者が揃って高い点をつけている。
問題のドレフュス事件に関して、この本でカリエールに「君も彼(ドレフュス)を支持する気なのか」と尋ねられロダンは答える、「畜生!ぼくにはもう厄介なことづくめとは思わんのかね」
反ドレフュス派として知られたドガと、「バルザック像のごたごた」で手が一杯、「新しい闘い」にまで巻き込まれたくないロダンの違い。
頭からドレフュス有罪と決め付けるドガ、中立を保ちたいロダン。ちなみにカミーユ・クローデルは「もちろんですとも、有罪よ」なのだ。
ロダンはドレフュス再審請求請願書への署名を断り、バルザック像問題では味方だった人たちから裏切り者扱いを受ける。
ロダンを問い詰めるドガは肥満しているが「しぼんだ感じ」、「いつもぶつぶつ不平をこぼしているような目」をしている。
図はドガの自画像(1890年頃) ユダヤ人憎悪が募るにつれドガは年来の友だったリュドヴィック・アレヴィ(オッフェンバックのオペレッタ台本を書いた)と疎遠になって行く。
ドガの言葉「芸術家は独り生きねばならず、その私的生活は知られぬままであるべきだ」をエピグラフとする論考がDegas & the Dreyfus Affair Portrait of a Poisoned Friendship:
Edgar Degas, Ludovic Halévy and the Dreyfus Affair By Elissa Harwood http://blogs.princeton.edu/wri152-3/f05/eharwood/
ウァイスの本では、ロダンにとってカリエールは「悪意に満ちた世の中で、一点の悪意も持ち合わせていない男」、ドレフュス派の友人たちがみんなロダンに背を向けても、彼だけが変わりません。
>桜の時期の大混雑が終わったころに行ってみるつもりです。
本やネットで見るだけで満足してしまう私は、美術好きと言えるんでしょうか。距離の問題もありますが。